釣野伏[2]
木柵の扉が大きく開いた。
先ほど、あそこから七十騎が飛び出してきた。
竹盾は鉄砲には強い。
だが、騎馬には弱い。
盾を構えた兵は、その手に槍を持てないからだ。
あの騎馬が再び突っ込んでくれば、盾を持つ足軽が一方的に蹂躙される。
「弓を構えぃ!!」
仁兵衛が叫ぶ。
「騎馬は前へ!」
後列から弓隊が進み出る。
味方の頭越しに放つ曲射。
威力も精度も落ちるが、牽制にはなる。
そして、こちらの騎馬も前へ出す。
乱戦になれば敵は鉄砲を撃てない。
これで敵騎馬の突撃を受け止める。
仁兵衛は次々と指示を飛ばした。
敵の出方に合わせて、最善の手を打つ。
これでいい。
これなら対応出来る。
そう思った。
だが──何かがおかしい。
敵の騎馬が、一向に出てこない。
先ほどまで柵に並んでいた鉄砲隊も、いつの間にか姿を消している。
「……どうした?」
仁兵衛は眉を寄せた。
「なぜ出て来んのだ?」
大きく開かれた門。
その奥に、人の気配はない。
あまりにも静かだ。
すでに敵が逃げた。
そう考えることも出来る。
鉄砲隊が消えたのも、こちらの圧力に耐えかねて退いたと考えれば説明はつく。
だが、門が開いている。
そこだけが、どうにも引っ掛かった。
仁兵衛は、門の奥を睨み続けた。
背筋を、冷たいものが這い上がる。
「…………罠だ」
呟きが漏れた。
兵法を知る者ならば、誰もが知っている。
空城の計。
守備側が圧倒的に不利な状況で、あえて城門を開け放つ。
敵を誘い込み、そこに罠があると思わせ、退却を促す。
諸葛孔明が司馬懿を相手に用いたことで有名な策だ。
孔明の場合は、城内に罠などなかった。
だが、ここは違う。
この村は、何ヶ月も前から襲撃に備えてきた。
ならば、何も仕掛けていないと考える方が不自然だ。
「脚の早い者に、様子を見させてこい」
それでも仁兵衛は退けなかった。
司馬懿のように、罠を恐れて引くわけにはいかない。
この村を落とすことこそが、己に与えられた使命なのだ。
五人の小者が駆け出した。
開け放たれた門へ吸い込まれるように走っていく。
仁兵衛は馬上から、その背中をじっと見つめた。
何がいるのか。
伏兵か。
鉄砲か。
あるいは……。
「敵がーっ!!」
やがて、一人が叫びながら戻ってきた。
「敵が下がっておりますーっ!!」
「何だと?」
「村の中には何もありません! もぬけの空です!」
息を切らしながら、小者が続ける。
「反対側の道に、敵が引いております!」
一瞬、仁兵衛は言葉を失った。
次の瞬間、顔が怒りに歪む。
「……してやられた!」
歯が軋む。
「舐めた真似を……!」
罠ではなかった。
いや。
罠だった。
こちらを散々迷わせ、その隙に兵を引く。
そして自分は、それを疑いながらまんまと乗せられた。
胸の奥が煮えたぎる。
戦場で、ここまで愚弄されたことなどない。
「後を追うぞ!」
仁兵衛が馬首を巡らせた。
「奴らを逃すな!!」
守備隊が去った時点で、大牧村は手中に収めたも同然である。
だが、そんなことはどうでもよかった。
このまま敵を逃がしてなるものか。
武門の意地が、仁兵衛の冷静さを押し流していた。
馬腹を蹴る。
駆け出す。
その後ろから二百の騎馬が続いた。
さらに四百の足軽が続く。
第二陣は一気に大牧村を駆け抜けた。
逃げる敵を追って。
その先に、何が待っているのかも知らずに。
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