釣野伏[1]
「やられたのはどれほどだ! 数を知らせいっ!」
怒号が飛び交う。
負傷者の呻き声。逃げ戻った兵たちの荒い息遣い。馬の嘶き。
先ほどまで整然としていた戦場は、見る影もなく乱れていた。
重綱は兵の損害を確かめながら、初戦の敗走で混乱しきった第一陣をまとめ、橋のたもとまで後退した。
そこには僅かながら平地がある。
およそ八百の兵が集まり、ようやく隊列を組み直し始めていた。
思わぬ敗北だった。
だが、重綱は冷静さを失ってはいない。
戦力は、いまだ圧倒的に上だ。
敵は寡兵。
こちらは大軍。
先ほどの一撃は、敵の奇策にしてやられたに過ぎない。
「もう一度、村へ押し出すぞ。用意いたせ!」
「忠右衛門様、入口には手負いのまま動けぬ者もおりますが……」
「かまわん」
重綱は即座に言い切った。
「まずは、あの柵を破る。怪我人を救うのは、その後だ」
冷たい命令だった。
だが、迷いはない。
敵のやり方は分かった。
ならば、対処すればいい。
最初の戦いでは、敵は鉄砲の一斉射撃後に生じる空白を利用した。
ならば、その空白を作らせなければいい。
敵には好きなだけ撃たせる。
こちらは盾を下げない。
撃たれようが、隊列を崩さず、ただひたすら前へ進む。
人数はこちらが圧倒的に多い。
多少の犠牲が出ようとも、柵の前まで兵を送り込めれば、最後は物量で押し切れる。
作戦と呼ぶには、あまりにも泥臭い。
だが、それでいい。
戦は、華やかな策だけで勝つものではない。
敵が少なく、こちらが多いのなら、その差を真正面から押し付ければいい。
それは実に三河者らしい、手堅い攻めだった。
「敵はつるべ撃ちに撃ってくる。だから、盾を下げるな」
重綱は短く命じた。
「盾を砕かれた者は、後ろと交替せよ」
「ははっ!」
第二陣が動き始めた。
先頭には竹盾を構えた足軽が三列。
盾を一枚ずつ重ねるようにして、ゆっくりと進んでいく。
一枚が砕かれても次の一枚、また砕かれても、その後ろに別の盾がある。
これなら敵がどんな撃ち方をしてこようが関係ない。
撃たせる。
耐える。
そして進む。
「見えたぞ! あそこが柵だ!」
足軽頭の叫びが響いた。
兵たちの目に木柵が映る。
その手前には、先ほどの戦いで倒れた味方の亡骸が転がっていた。
呻き声を上げる負傷者もいる。
兵たちはそれらを踏まぬよう避けながら進み、後方の者たちは負傷者を引きずり、亡骸を運び出していく。
戦場を、次の戦いのための場所へ変えていく。
地面はすでに大量の血を吸っていた。
湿った土から立ち上る、生臭い鉄の臭い。
その臭いが兵たちの鼻を突く。
だが、誰も止まらない。
「押し出せぃ!!」
第二陣を率いる杉浦仁兵衛が吠えた。
重綱の与力であり、渡辺家とも縁の深い男である。
その声に応じ、竹盾の列が一斉に動いた。
走らない。
突撃もしない。
ただ、ゆっくりと。
確実に。
一歩ずつ、木柵との距離を縮めていく。
「来るぞ!」
柵の向こうで声が上がった。
次の瞬間、五十挺の鉄砲が一斉に火を噴いた。
轟音。
白煙。
竹束が次々と砕け散る。
乾いた破裂音が重なり、竹片が宙を舞った。
だが、致命的な損害はない。
仁兵衛は、思わず口元を緩めた。
(やはりな)
先ほどとは違う。
今回は騙されない。
敵が次の一斉射撃をするまでの間に突っ込む必要はない。
撃たせ続ければいい。
盾を並べたまま、少しずつ進む。
そのまま柵へ到達すれば、こちらの勝ちだ。
砕かれた竹盾を後列と入れ替え、隊列を整える。
そして再び前進。
その時だった。
「なっ……!?」
仁兵衛の顔から血の気が引いた。
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