二撃[4]
敵は知らない。
最初の一撃と、二度目の一撃で弾丸が違うことを。
知らなくていい。
知られては困る。
又兵衛は、敵に「たまたま遠くまで飛ぶ弾丸があった」と思わせようとしていた。
通常の火縄銃でも、弾丸の形状や重量、射手の技量、風向きなどによって、思いのほか遠くへ飛ぶことはある。
ならば、あの二射目もその類だと思わせればいい。
たまたま遠くまで届いた。
そういうものだ、と。
贄玉という特殊な弾丸の存在そのものを、敵に悟らせない。
そのため、又兵衛は二種類の弾丸を徹底して使い分けた。
遠くの敵には贄玉。
近くの敵には通常弾。
敵から見れば、射程の違いは単なる「ばらつき」にしか見えない。
そうしておけば、次に敵が来た時も、「この距離ならまず安全だ」そう思って、また同じ射程まで近付いてくる。
そこへ贄玉を叩き込む。
気付いた時には、もう遅い。
又兵衛は、鉄砲そのものだけで敵を撃っているのではない。
敵の認識を撃ち抜いているのだ。
「下がれ! 下がれ!」
戦場に重綱の兵たちの怒号が響き渡る。
だが、もはや命令は命令として機能していなかった。
先頭の兵が倒れ、その後ろの兵が足を止める。
後ろから押された者が前へよろめき、倒れた仲間の身体に足を取られる。
誰もが何が起きたのか理解できぬまま、ただ生き延びようとしていた。
その混乱を又兵衛は逃さなかった。
「出るぞ!」
木柵の門が開く。
次の瞬間。
七十騎の騎馬が、堰を切ったように飛び出した。
蹄が大地を激しく叩く。
土煙が舞い上がる。
馬上の武者たちが槍を構え、崩れかけた敵の先鋒へ一斉に突っ込んでいった。
「おおおおおっ!」
鬨の声が山中を震わせる。
混乱していた重綱の兵たちは、横から襲い掛かってきた騎馬にさらに浮き足立った。
槍が閃く。
馬体が敵兵の群れへ突っ込む。
押し倒される者、逃げようとして味方とぶつかる者。
先ほどまで整然と進んでいた一千八百の軍勢の先頭が、一瞬にして戦場の混沌へと変わった。
「退けぇっ!」
「下がれ!」
「持ち場に戻れ!」
叫び声が幾重にも重なる。
だが、もう誰の声が誰に届いているのかすら分からない。
重綱自身も、もはや前進を命じることは出来なかった。
退くしかない。
先鋒は総崩れだ。
だが、七十騎の騎馬も、いつまでも敵陣の中で暴れ続けられるわけではない。
又兵衛には、それがよく分かっていた。
七十騎。
先鋒の一団はおよそ五百。
数の差はあまりにも大きい。
一度の突撃で敵を崩すことは出来ても、そのまま深追いすれば、たちまち囲まれる。
そうなれば、今度はこちらが喰われる。
だからこそ、又兵衛は敵の崩れ具合を冷静に見ていた。
槍を振るいながら、敵の足を見る。
逃げる者。
立ち止まる者。
隊列を立て直そうとする者。
その動きを一つ一つ見極める。
──ここまでだ。
これ以上は欲張らない。
敵に恐怖を刻みつけた。
先鋒を崩した。
そして、十分な損害を与えた。
ならば、今度はこちらが引く番だった。
「引くぞ! ついてこい!」
又兵衛の声が飛ぶ。
七十騎が、一斉に馬首を返した。
まるで一匹の巨大な獣が方向を変えたかのように。
誰一人として遅れない。
馬蹄の音を轟かせながら、七十騎は木柵へ向かって駆け戻る。
追いすがろうとする者もいた。
だが、追えない。
いや、追ってはならない。
その先には、再び木柵と鉄砲が待ち構えている。
七十騎は門の中へ吸い込まれるように消えた。
門が閉じる。
静寂が戻った。
いや。
完全な静寂ではない。
山道には、呻き声が残っていた。
地面には、五十を超える亡骸が転がっている。
周囲には、その倍もの負傷者が倒れ伏していた。
つい先ほどまで、勝利を確信していた一千八百の軍勢。
その先頭は、僅かな時間で血と恐怖に塗り替えられていた。
そして木柵の内側。
又兵衛は馬を止め、振り返った。
後退する敵兵を見つめながら、静かに息を吐く。
「さて……次はどう出てくるかな」
眸海の情報で、先鋒を率いるのが渡辺重綱であることは知っている。
典型的な三河武士、渡辺守綱の薫陶を受けた男だ。
この程度で引くはずがない。
出鼻を挫かれたからと、血気に逸って突進してくることもないだろう。三河者らしく、泥臭く、執拗に攻め続けてくるはずだ。
世に名の知れた武将ではない。
だが、井伊の赤鬼が先鋒を任せた男である。
このままで済むはずがない。
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