二撃[2]
織田信長と豊臣秀吉。
二人は紛れもなく天才であった。
刻一刻と変化する情勢を読み、常人には見えぬ勝機を見出す。
敵が十なら二十。
敵が百なら二百。
如何なる状況に置かれようとも、その時々に最も適した一手を選び、勝利へと繋げていく。
家康は、そんな二人と自分との違いを、誰よりも深く理解していた。
──自分は天才ではない。
信長のように雷光のような閃きもなければ、秀吉のように魔法のような人心掌握術もない。
ならば、どうするか。
答えは単純だった。
勝てるまで準備をする。
負ける可能性を、一つ一つ潰していく。
兵を集め、兵糧を蓄え、武具を揃え、戦場を作る。
そして、戦う。
華々しさとは無縁の、泥臭い積み重ね。
だが、それこそが家康という男の強さだった。
徳川の軍法には、そんな家康の戦略思想が深く流れている。
だからこそ、井伊直政が指揮官として最初に命じたのは「道を拓け」だった。
白雲城までの道は細く険しい。
山襞に沿って辛うじて人が通れる程度の道へ、大軍を送り込もうというのだ。
道が細ければ、兵は詰まる。
荷駄は滞る。
鉄砲も弾薬も届かない。
負傷兵を後方へ運ぶことすら難しくなる。
どれほど兵が多くとも、道が細ければ軍勢は巨大な塊ではなく、分断された小集団へと変わってしまう。
それでは意味がない。
ならば道そのものを、自軍の領域へ変えてしまえばいい。
連日二千人規模の人員が山へ入った。
斧が振るわれる。
鋸が木を切る。
巨木が軋み、山肌を震わせながら倒れていく。
倒木は運び出され、根を掘り起こし、土を削り、崖を崩す。
山襞を縫って伸びていた細い道は、見る見るうちにその姿を変えていった。
幸い、大牧村までの道で難所と呼べる場所は、すべて合わせても五百メートルほどしかない。
そこを重点的に広げればいい。
人を投入すれば、山は変えられる。
わずかな期間で道幅は広げられ、牛馬を連ねた荷駄隊が通れるまでになった。
可児才蔵が率いた三百の偵察部隊が襲撃された、あの山道さえも切り開かれた。
まだ地面には血の臭いが残っている。
だが、もうそこに伏兵が身を隠せる場所はない。
道の両側に立っていた木々は伐り倒され、見通しは大きく開いた。
奇襲という選択肢そのものを、伐採によって消し去ったのである。
荘川に架かる橋も造られた。
一本ではない。
並行して二本の橋が架けられた。
一つが損なわれても、まだ二つある。
兵が渡る。
荷駄が渡る。
鉄砲も、兵糧も、矢も渡る。
途切れることなく、次から次へと。
かつては山中を這う毛細血管のようだった道が、今や太い動脈へと変わった。
そこに流れるのは兵という血液だ。
一千、五千、一万。
大軍が、止まることなく敵地へ流れ込んでいく。
それこそが、寡兵で白雲城を守る者たちにとって、最も採ってほしくない戦い方であった。
小早川は、兵力差を利用して一気に押し潰そうとしている。
そのために地形すら変える。
白雲城側が頼みにしていた「山」という天然の防壁は、少しずつその意味を失いつつあった。
そして、渡辺重綱率いる一千八百の兵が、大牧村の入口へ到着した。
山間に響いていた軍勢の足音が、次第に大きくなる。
木々の間から旗指物が姿を現し、槍の穂先が日の光を弾いた。
その先に、大牧村がある。
村の入口は木柵によって固く閉ざされていた。
柵の隙間から、黒々とした銃口が幾つも覗いている。
守備兵は、およそ二百。
白雲城にとっては、決して少なくない。
だが、小早川の先鋒はその九倍。
兵数だけを見れば、勝負にならない。
重綱は馬上から木柵を見据えた。
山間の小さな村。
その向こうにいるのは、わずか二百の兵。
これを落とせば、大牧村は小早川の手に落ちる。
そして、ここを足場にしてさらに奥へ侵攻する。
直政の戦略は実に明快だった。
「盾を出せ!」
足軽大将の鋭い声が響く。
それに応じ、最前列の兵たちが竹を束ねた盾を次々と立てる。
軽い。
丈夫だ。
そして何より、火縄銃の弾を防ぐには十分な厚みがある。
木盾よりも軽量な竹盾は、敵陣へ距離を詰めるにはうってつけだった。
最前列の兵たちが盾を構える。
その向こうでは、火縄銃を構えた白雲城の兵たちが息を殺している。
誰もが知っている。
火縄銃で最も恐ろしいのは、最初の一斉射撃だ。
五十挺。
それが一斉に火を吹けば、どれほど鍛え上げられた兵であっても、無事では済まない。
だが。
逆に言えば、その一斉射撃さえ凌げばいい。
火縄銃は、一度撃てばすぐには次を撃てない。
火薬を詰める。
弾を込める。
火皿に火薬を充填する。
火縄を調整する。
二発目は射手の技量によって間隔がずれていく。
だから、同じ密度の一斉射撃を繰り返すことはできない。
次は準備の出来た者から撃つ。
それまでの間に槍が届けば、鉄砲隊は為す術がない。
重綱の目の前で、竹盾の列がゆっくりと進み始めた。
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