要塞[2]
「才蔵は水野六左衛門に討ち取られたのか?」
清正が問う。
直政も黙ったまま義太夫へ顔を向けた。
「それが見ていた者の話では、二十合ほど渡り合ったところで才蔵が引こうとしたそうだ」
義太夫は文面を確かめながら続ける。
「すると六左が槍を向け、その後に才蔵が倒れた。亡骸の行方は分からぬが──眉間に穴が空いておったらしい」
「…………」
「…………」
部屋から音が消えた。
軒先を叩く雨音だけが、やけに鮮明に聞こえる。
清正と直政。
二人の脳裏に、同じものが浮かんだ。
「雷振筒……」
清正が低く呟く。
「おそらく……いや」
義太夫が首を振った。
「間違いなく、そうでしょうな」
直政の顔から、わずかに血の気が引いた。
「敵も雷振筒を持っているということか……」
その言葉が落ちた途端、陣中の空気が変わった。
雷振筒。
それがどれほど恐ろしい武器なのか。
直政は、誰よりもよく知っている。
関ヶ原。
あの戦場で、この異形の銃が戦の常識そのものを打ち砕いていく様を、直政は己の目で見た。
甲冑を着込んだ武者を一撃で倒し、遠い間合いから人の命を奪う。
あれは、ただの鉄砲ではない。
戦場に立つ者の心そのものを変えてしまう武器だ。
そして今、それを敵が持っている。
「ならば、こちらもそのつもりで当たらねばなりませぬな」
直政は静かに言った。
声に怯えはない。
むしろ、冷たい覚悟が滲んでいる。
「確か兵部殿のお手元には、雷振筒が十二挺ありましたな。もう少し増やすとしよう」
清正が尋ねる。
「いやいや、それでは主計頭様の手持ちが少のうなります」
直政は即座に首を横に振った。
「拙者は今あるだけで十分。敵が雷振筒を持っているといっても、よもや龍仙寺衆がおるわけではないでしょうからな」
「左様か」
清正は頷いた。
だが、その表情から緊張が消えることはなかった。
「それにしても……六左衛門に雷振筒か」
ぽつりと呟く。
「内ヶ島は、思ったより厄介かも知れぬ……」
「……それに、六左が前に立っている、ということは」
直政が静かに応じる。
「その後ろには、もっと大物がいると考えた方がよいでしょう」
「…………」
「あの男を従わせるだけの器量を備えた者が……」
清正は答えなかった。
ただ、顎に手を当て、しばし考え込む。
内ヶ島。
飛騨の山奥にある、小さな領国。
その程度に考えていた。
だからこそ、二万もの兵を動かすにあたっても、勝敗そのものに疑いは持っていなかった。
だが。
可児才蔵を討ち取った男が水野六左衛門。
そして、その手に雷振筒。
これは偶然なのか。
それとも──。
「兵部殿」
清正が顔を上げた。
「くれぐれもお気をつけなされ」
その声には、先ほどまでの軽さがなかった。
「何かあれば、儂も飛騨へ入るゆえ」
「ありがたきお言葉」
直政は短く頭を下げた。
それ以上、二人は何も言わなかった。
小早川家が動員した兵は二万。
前線の指揮を直政が担い、城端に置いた本陣から清正が全体を指揮する。
すでに役割は決まっている。
全軍を一気に白雲城へ叩きつけるような、愚かな戦い方をするつもりはない。
後方の支援線を確保し、補給を絶やさず、着実に進む。
数の力で一歩ずつ敵の領域を削り取っていく。
兵力差は圧倒的だ。
ならば、焦る必要などない。
それが清正と直政の共通した認識だった。
戦略そのものに揺らぎはない。
ただ、飯田覚兵衛から届いた一通の報せが、二人の胸の奥に小さな棘を突き立てた。
まだ、それは抜くほどのものではない。
しかし、確かにそこにある。
そして、その棘が何を意味するのか。
二人はまだ知らない。
やがて雨脚が強くなった。
先ほどまでの小雨は、いつしか細かな霧雨となり、やがて兵の肩や兜を容赦なく濡らしていく。
雨そのものが人を殺すわけではない。
だが、濡れた衣は体温を奪い、冷え切った身体に重くまとわりつく。
その冷たさは、じわじわと骨の奥へ染み込んでくる。
そんな雨の中。
井伊直政率いる六千の兵が、静かに飛騨路へ進み始めた。
旗が濡れ、槍の穂先から雫が落ちる。
足元の泥が兵たちの草鞋に絡みつき、一歩ごとに重さを増していく。
誰も口を開かなかった。
ただ、長く続く雨音と、幾千もの足音だけが山道に重なってゆく。
その先に待つものを知る者は、まだ一人もいなかった。
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