一撃[2]
「貴様何者だ! 儂と知って嘲るのなら、それ相応の覚悟は出来ているのだろうな!」
「俺を見忘れたか才蔵!!」
男は一歩前へ出た。
「かつて佐々内蔵助様の配下として、共に轡を並べた俺を!」
その言葉に、才蔵は目を凝らした。
男の姿。
旗印。
そして、その騎馬姿。
記憶の奥に埋もれていた面影が、一気に浮かび上がった。
「……まさか」
才蔵の目が見開かれる。
「貴様……!」
男を指差した。
「貴様は水野六左衛門! なぜ貴様がこんな所にいる!」
「大義のためよ!」
六左は即座に答えた。
「互いに関ヶ原で負けたとはいえ、家臣の女房を欲しがるような色狂いに、己を売り渡すなど出来ぬわ!」
その一言が、才蔵の胸に突き刺さる。
周囲の空気が、一瞬で凍りついた。
才蔵の顔から、すっと表情が消える。
次の瞬間、額に青筋が浮かんだ。
「……貴様……」
握り締めた拳が震える。
耳の奥で、どくどくと血が脈打っている。
怒髪天を突く。
まさに、その言葉通りだった。
才蔵は槍を握り直すと、いきなり駆け出した。
「才蔵様!」
背後から近習が叫ぶ。
だが、才蔵は止まらない。
つい先ほどまで、敵の仕掛けを見たら深入りせず、速やかに引き上げる。
そう考えていたはずだった。
そんなことは、頭の中からすっかり消え失せたように見える。
だが──。
実のところ、才蔵は何も忘れてはいなかった。
怒っている。
それは間違いない。
腹の底から煮えたぎるほど、怒っている。
しかし、その怒りの中には、武将としての計算もあった。
水野六左衛門ほどの男に、あれほど公然と愚弄されて、黙って引き返す。
それを三百の兵が見ている。
もし大将である自分が侮辱を受けたまま尻尾を巻いて逃げ帰れば、兵たちはどう思うだろう。
敵を恐れて退いた。
そう受け取られてしまえば、士気に影響する。
ましてや、これから大軍を率いて飛騨へ攻め入ろうとしているのだ。
大将の武威が揺らげば、戦場で兵を動かすことすら難しくなる。
だからこそ──才蔵は怒らなければならなかった。
いや。
怒ってみせなければならなかった。
「六左ぁぁぁっ!」
咆哮とともに、才蔵が敵陣へ突っ込んでいく。
兵たちの目には、それは完全に怒り狂った武者の姿に映ったことだろう。
だが、才蔵自身は冷静だった。
命を賭けるつもりはない。
勝つつもりもない。
ましてや、敵陣へ深入りするつもりなど毛頭ない。
ただ一度だけ、敵の目前まで踏み込み、自分が臆病者ではないことを兵たちに示す。
そして、頃合いを見て引く。
それだけだ。
才蔵にとって、怒りすらも戦の道具に過ぎない。
「六左! その素っ首を落としてやる! 覚悟せい!」
「おう! それでこそ笹の才蔵! 存分に相手してくれるわっ!!」
怒号が飛び交った。
大牧村の入口。
木柵を挟んで対峙していた二人の武者が、ほとんど同時に馬を駆った。
蹄が地面を蹴り上げる。
土煙が舞う。
次の瞬間、甲高い金属音が響き渡った。
槍と槍が激突したのだ。
才蔵の槍が弾かれる。
だが、六左の槍も同時に跳ね上がる。
二人は一瞬たりとも間合いを緩めない。
馬上で身体を捻り、槍を引き、再び突き出す。
ガッ!
ギィンッ!
乾いた音が立て続けに響き、穂先が火花を散らした。
村の入口は広くない。
大軍が押し寄せれば、たちまち身動きが取れなくなるような場所だ。
しかし、二人の武者が一騎打ちを演じるには十分だった。
その周囲を、双方の兵が取り囲んでいる。
誰も手を出そうとしない。
槍を握った手に力を込めながら、ただ固唾を呑んで二人の戦いを見守っている。
戦国の世にあっても、一騎打ちなど滅多にあるものではない。
ましてや、目の前で槍を交えているのは、ただの武者ではない。
可児才蔵。
幾多の戦場を駆け抜け、その槍働きによって「笹の才蔵」の名を轟かせた男。
対する水野六左衛門もまた、幾度となく戦場を生き抜いてきた猛将である。
どちらも一歩も退かない。
そして、この二人の間に割って入れるほどの武者は、この場にいない。
だからこそ誰もが見ていた。
いったい、どちらが勝つのか。
「どうした才蔵!」
六左が吠える。
「打ち込みが浅いぞ! さすがに年には抗えぬか!」
「黙れ、若造!」
才蔵が怒鳴り返す。
「貴様にこの笹を噛ませてやるわ!」
その背には、旗指物ではなく、生の笹が一本、まっすぐに突き立っている。
才蔵は常にそれを背負って戦場を駆けた。
それこそが才蔵の証。
幾多の戦場をくぐり抜けてきた男の、武名そのものだった。
「減らず口は俺を討ってから叩くんだなぁ!!」
六左の槍が唸る。
才蔵が受ける。
槍の穂先が大きくしなった。
次の瞬間、才蔵が槍を返し、六左の喉元へ突き出す。
六左は身を捻ってかわした。
そのまま反撃。
才蔵が受ける。
また一撃。
また一撃。
一合。
二合。
五合。
十合。
二十合近く打ち合っても、未だ勝負の行方は見えない。
周囲で見守る兵たちの息が、次第に詰まっていく。
──凄い。
誰もが、そう思った。
馬上で槍を振るう二人の動きには、無駄がない。
力任せに打ち合っているように見えて、その実、互いに相手の動きを読み、ほんの僅かな隙を探り続けている。
その一瞬が、生死を分ける。
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