千丸[3]
「誰の許しを得て、このお庭に入ったの!?」
鋭い声が、冬枯れの庭に突き刺さった。
企みが始まってから、数日後のことである。
奥庭に続く小径で、弓月は数人の娘たちに取り囲まれていた。
陽は高く昇っているものの、山あいの空気は冷たい。枯れた草の間からわずかに顔を覗かせる花を見つけ、弓月はしゃがみ込んでいた。
その手には、摘んだばかりの小さな花が数輪。
突然、大声を浴びせられ、弓月はびくりと肩を震わせた。
「えっ……えっ……このお庭……」
立ち上がり、周囲を見回す。
いつもなら隣にいるはずのお関の姿がない。
弓月は心細さを覚えた。
実はその頃、お関は離れの前にいた。
娘たちの企みで、弓月の部屋の前には泥が撒かれていたのである。誰がやったのかは分からなかったが、お関は黙ってそれを片付けていた。
そのわずかな隙を狙ったのだった。
「ここは桔梗さまのお気に入りなの! それを勝手に入って、どういうつもり!」
「ご、ごめんなさい……」
弓月は小さな声で謝った。
何がそれほど悪いことなのか、よく分からない。
ただ、目の前の娘たちが怒っている。
それだけが怖かった。
花を握った手が震え、弓月は無意識に胸元へ引き寄せる。
そこへ桔梗がゆっくり歩み寄ってきた。
周囲の娘たちとは違い、その顔には怒りよりも妙に穏やかな笑みが浮かんでいる。
「知らなかったのなら仕方ないわ」
弓月が顔を上げる。
「でも、もう二度とここへ来ないように」
「……は……はい」
素直に頷いた。
それを見て、桔梗の口元がわずかに上がる。
「ただし──」
その一言に、弓月の肩が再び強張った。
「今まで勝手に入った分の償いはしなくてはいけませんよ」
「あ……あの……償いって……」
「今までここで摘んだお花を、全部返しなさい」
「え……?」
「摘む前と同じように戻すの」
弓月は目を見開いた。
そんなことができるはずがない。
摘んだ花の多くは、もう枯れている。
茎から切り離された花を、元の場所へ戻したところで生き返るわけではない。
それは幼い弓月にも分かった。
「そんな……無理です……」
「まあ」
桔梗はわざとらしく眉を上げた。
「では、仕方がないわね」
そして弓月の顔から視線を下ろす。
黄金色の髪。
その髪を留める、小さな銀色の蝶。
「あら……」
桔梗の瞳が、その髪飾りに止まった。
「代わりの物で我慢してあげましょう」
弓月の胸がざわついた。
「そうね……」
桔梗はしばらく考えるふりをしてから、にっこりと笑った。
「その頭に付いている髪留めでいいわ」
「……!」
「それを渡しなさい」
弓月の顔から血の気が引いた。
母の形見。
幼い頃から、お関に何度も聞かされてきた。
母が残した、たった一つのもの。
弓月にとって、それは単なる髪留めではない。
顔も知らない母と自分を繋ぐ、細い糸のようなものだった。
「こ……これは……」
震える指が、髪飾りに触れる。
「母さまのもので……」
声が震えた。
「これは……だめです……」
「いいから桔梗様に献上なさい!」
しびれを切らした取り巻きの一人が声を荒らげた。
「それで許されるのですよ!」
「いや……」
弓月は首を振った。
「これは……だめ……」
「渡しなさい!」
「いやっ!」
次の瞬間、娘たちが一斉に弓月へ手を伸ばした。
「やめて!」
小さな身体が押される。
足がもつれ、弓月は地面へ倒れ込んだ。
冷たい土が着物を汚す。
それでも必死に髪を押さえた。
だが、幼い少女一人の力では抗えない。
「やめて! 返して!」
髪を掴まれ、銀の蝶が引き抜かれる。
「いやっ!」
弓月の悲鳴が庭に響いた。
「お願い!」
奪われた髪飾りへ手を伸ばす。
「かかさまの……!」
だが、その手は届かなかった。
桔梗の手の中で、銀の蝶が陽光を受けて冷たく光っている。
「返して!」
弓月は地面に膝をつき、涙で濡れた顔を上げた。
「お願い……かかさまの……返して……!」
その姿を見下ろし、娘たちは笑った。
笑い声は次第に大きくなる。
つい先ほどまで恐れていた相手が、自分たちの前で泣いている。
そのことが、幼い少女たちの胸に奇妙な優越感を生んでいた。
弱い者が苦しむ姿を見て、自分たちが強くなったような錯覚を覚える。
残酷さとは、必ずしも憎しみから生まれるものではない。
時には、子供の無邪気さの中からこそ、容赦なく顔を出す。
弓月は泥に膝をついたまま、ただ泣いていた。
母の形見を取り戻すことしか頭になかった。
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