歩拍[1]
飛騨攻めに動員される陣容が白雲城へともたらされたのは、年が明けて間もない頃であった。
北陸はいまだ深い雪に閉ざされている。峠は白く埋もれ、人馬の往来は著しく制限されていたが、それでも命綱のような通信路だけは辛うじて生きていた。雪を踏み分ける飛脚や荷駄が、凍てつく風に耐えながら各地を結び、細いながらも情報と物資を運び続けている。
眸海は飛騨侵攻の陣立てをかなり早い段階で掴んでいた。しかし、その内容があまりにも常軌を逸していたため、すぐには報せを送らなかった。
二万。
その数字は、飛騨という土地を知る者なら誰もが首を傾げる兵力だった。
情報が誤っているのではないか。敵の偽情報ではないのか。そう考え、幾重にも裏を取り、細部を照合し、ようやく確信を得た末に白雲城へ伝令を走らせたのである。
「二万とは……金吾は、ついに狂うたのか?」
文を読み終えた慶次郎は肩をすくめ、呆れ半分の笑みを浮かべた。その笑みの奥には、「まさか」という思いが色濃く滲んでいる。
「眸海は相当念入りに調べたようだ。ここまで細かな陣立てを揃えている以上、本気と見るべきだろう……」
政宗も苦笑を浮かべながら文面へ視線を落とした。
内心では到底信じ難い。しかし、眸海ほどの男が確証もなく情報を流すはずがない。兵数だけでなく、諸将の配置まで事細かに記されている以上、誤報と切り捨てることはできなかった。
何より、小早川家ほどの大勢力が、飛騨の内ヶ島ごとき相手に、わざわざ情報戦を仕掛ける理由など見当たらない。
「総大将が主計頭とは、随分と大物を引っ張り出したな」
又兵衛は愉快そうに口角を上げた。
だが、その笑みは慶次郎のような呆れではない。
猛獣が強敵の匂いを嗅ぎ取った時に見せる、抑え切れぬ昂揚だった。
相手が強ければ強いほど胸が躍る。
勝敗よりも、命を懸けて刃を交える瞬間を求める。どうしようもないほど戦人の血が騒いでいた。
「副将が万千代(井伊直政)ってのもいい。あいつの首は俺が取るからな! 皆、覚えておけよ!」
六左は拳を握り締め、豪快に笑った。
直政はかつて共に家康へ仕えた、いわば同僚である。
その実力も、戦場での恐ろしさも、誰より知っている。
だからこそ、その首には誰より価値があると信じていた。今度は敵として、戦場で相まみえることを思うだけで、胸の奥から熱いものが込み上げてくる。
「金吾様が戦んことば知っちょっかち? こんな山奥い二万も引き連れてくっなんて、正気じゃありもはんわ!」
七郎は腹を抱えて笑い、パンパンと手を叩いた。
あまりに馬鹿げた兵数に、笑うしかなかったのである。
「しかし、主計頭様も兵部少輔も戦ごとには手練れた方々。大軍を扱う難しさは、十分ご承知のはず」
藤四郎だけは笑みを浮かべながらも、その眼差しは冷静だった。
加藤主計頭清正も、井伊兵部少輔直政も、当代屈指の名将である。
その二人が、狭く険しい飛騨の山々へ二万もの軍勢をどう動かすつもりなのか。
兵の多さが、そのまま強さになる土地ではない。
だからこそ、その采配には純粋な興味すら覚えていた。
「それはまず、お手並み拝見といった所か」
政宗が静かに口元を緩める。
その言葉を受け、又兵衛も獰猛な笑みを浮かべた。
「果たしてどれだけの働きが出来るかな。今度の主君は太閤殿下でも内府様でもない」
「飼い主を間違えた番犬に、野良犬の喧嘩を見せてやるさ」
六左の荒々しい一言が座を締めくくる。
一瞬の静寂の後、
「おう!」
野太い声が広間いっぱいに響き渡った。
誰一人として敵の大軍に怯む者はいない。
むしろ胸の内で燃え始めた闘志を確かめ合うように、それぞれが拳を握り締める。
冬の空気は凍えるほど冷たい。
それでも広間の熱気だけは、戦を待ち望む男たちの気迫によって、雪さえ溶かしそうなほど熱く満ちていた。
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