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Last rewrite  作者: 蒼了一


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初雪[2]

 一六〇三年、世界は小氷期のただ中にあった。


 現代より平均気温は一〜二度低く、そのわずかな差が人々の暮らしを大きく狂わせていた。


 三年前の一六〇〇年、南米ペルーのワイナプチナ山が大噴火を起こし、大量の火山灰が成層圏へと吹き上がる。その灰は太陽の光を遮り、いわゆる「日傘効果」によって世界規模の寒冷化を招いた。


 ヨーロッパでは冬になるとロンドンのテムズ川が完全に結氷し、川の上で市場が開かれたという。ロシアでは真夏にもかかわらず霜が降り、作物は枯れ果て、大飢饉が国土を覆った。中国でも深刻な干ばつが続き、明朝滅亡の遠因になったとも伝えられている。


 その異変は、海を隔てた日本にも容赦なく牙を剥いた。


 飢饉にまで至る土地は限られていたものの、凶作は何年も続き、人々は実りの少ない田畑を前にため息をついた。そして冬になれば雪は容赦なく降り積もる。積雪量は現代とは比べものにならず、とりわけ北陸は当時から天下に名高い豪雪地帯だった。


 街道は雪に埋もれ、人馬の往来は途絶える。


 冬が訪れることは、そのまま土地が外界から切り離されることを意味していた。


 そして、その雪は金沢城下にも等しく降り積もった。


 しかし、この白き帳(とばり)は、ある男にとってはまさに天から授かった好機であった。


 加賀大納言小早川秀秋。


 昨年勃発した内ヶ島との争いが世に知れ渡り、秀秋は事情聴取のため大坂への出頭を命じられていた。


 無論、素直に応じる気などない。


 病を理由に使者を追い返し続け、言い逃れもいよいよ限界に差しかかった、その矢先──。


 待ちに待っていた天佑、豪雪が北陸一帯を覆い尽くしたのである。


 秀秋は天を仰ぎ、高らかに笑った。


「天は余に味方しておる! これで春には、いよいよ飛騨攻めじゃ! 内ヶ島を神速すり潰し、禍根を除いてくれるわ! 大坂へ上るのはその後で良い!」


 初雪が降ったその夜。


 城内には火鉢の炭が赤々と燃え、重臣たちは静まり返った広間へ集められていた。


 秀秋の声だけが、張り詰めた空気を震わせる。


 災いの根源である内ヶ島を滅ぼしてしまえば、後の言い訳はいくらでも立つ。


 その瞳には、もはや大坂への恐れはない。あるのは、自らに都合よく巡ってきた好機を逃すまいという昂揚だけだった。


 そして、その場で飛騨攻めの陣立てが発表される。


 総大将──加藤主計頭清正。


 副将──井伊兵部少輔直政。


 居並ぶ家臣たちの間に、小さなどよめきが走った。


 その二人の名は、それだけで敵味方を問わず人の心を震わせる。


 虎殺しと赤鬼。


 戦国を駆け抜けてきた二人の猛将が、一つの軍勢に並び立つのである。


 しかも動員兵力は、およそ二万。


 白雲城の守兵は、ようやく千余り。


 二十倍もの兵力差は、戦というより圧殺に近かった。


 秀秋が望むのは持久戦ではない。


 一気呵成。


 電光石火。


 雪解けと同時に白雲城を呑み込み、その勢いのまま戦を終わらせる。それがこの男の描く青写真だった。


 *


「はてさて、次は儂か貴殿にお声がかかると思うていたが……まさか二人共とはな。しかも総勢二万とは……」


 苦笑を浮かべたのは、加藤清正の下屋敷を訪れた井伊直政だった。


 火鉢の熱で温められた部屋とは裏腹に、二人の胸中は冷め切っている。


「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹くと言うが、いくら何でもやりすぎだ……」


「然り、然り」


 直政が肩をすくめると、清正も呆れたように鼻を鳴らした。


 主命とはいえ、千人あまりが籠もる山城を落とすために二万もの兵を動員する。


 その数は、小早川家が有する兵力のおよそ半数にも及ぶ。


 武将として幾多の戦場を潜り抜けてきた二人だからこそ、その異常さが痛いほど理解できた。


「俺達は新参者の外様だからな。二万と言っても、さほど惜しくは無いのだろう」


 清正は低く吐き捨てた。


 その言葉には皮肉だけではなく、自嘲も混じっていた。


 関ヶ原以後、小早川家へ召し抱えられた二人は、いずれも天下に名を轟かせた名将である。


 井伊直政は、かつて徳川家の重臣として上野高崎十二万石を治めた勇将。


 加藤清正は、肥後熊本二十五万石を領した猛将。


 その武名は、小早川家に新たな威光をもたらした。


 だが同時に、その輝きはあまりにも強すぎた。


 主君の存在すら霞ませてしまうほどに。


 それは小早川家臣団にとって、決して見過ごせぬ脅威だった。


 二人を慕って集まった旧臣や兵は、およそ二万。


 もし今回の遠征でその数が少しでも減ればよし。


 もし攻めあぐねれば、「二万も与えたのに勝てなかった」と責を負わせることもできる。


 飛騨の山岳地帯では、大軍であることが必ずしも優位にはならない。


 むしろ狭隘な地形は兵力差を削り取り、戦を泥沼へ変える。


 それでも秀秋は、雪解けと同時に神速で落とせと命じた。


 二人には、その命が無茶であることなど重々承知している。


 それでも拒むことはできなかった。


 かつて一国を預かった大名として失ったもの。


 そして今なお、自らの旗の下に集う者たちの命。


 背負うものが大きい者ほど、理不尽な命令にも背を向けられない。


 火鉢の炭が小さく爆ぜる音だけが、重苦しい沈黙の中に虚しく響いていた。

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