方便[4]
「そうではない」
政宗の低い声が静寂を破る。
「これは、貴殿にしか頼めぬ『仕事』なのだ」
部屋の空気がぴんと張り詰めた。
源次郎は思わず息を呑む。
「……それがしにしか、頼めぬ『仕事』?」
「春になれば、小早川の大軍が攻めてくるだろう。我らは迎え撃つため、あらゆる備えを進める。だが、それだけでは足りぬ」
政宗は源次郎を真っ直ぐ見据えた。
「何が足りぬか、分かるか」
源次郎は目を伏せる。
戦場を思い描きながら、静かに考え続けた。
やがて顔を上げる。
「……後詰め、でござるか」
「左様」
政宗は静かに頷いた。
「この戦は籠城戦となろう。城が持ち堪えている間に大坂から調停が入れば我らの勝ち。間に合わねば負けだ」
そこまで言うと、一拍置いて続けた。
「だが、勝負を運任せにはしたくない」
その眼差しは真剣そのものだった。
「真田には、我らの後詰めを頼みたい」
「なっ……なんと!」
源次郎は息を呑んだ。
頼まれているのは、自分一人の働きではない。
信濃二十七万石、真田家そのものの出兵だった。
「どうか! 源次郎!」
政宗は畳へ両手をつき、深々と頭を下げた。
「お主を漢と見込んで頼むのだ。金吾がいかなる大軍を率いて来ようとも、真田が後詰めに来ると思えば、我らは十日でも二十日でも長く持ち堪えてみせよう。どうか、この願いを聞き届けてくれ」
隣では慶次郎まで頭を下げる。
この二人が、ここまでして自分を頼る。
その光景に、源次郎の胸が熱く震えた。
(俺を……そこまで買ってくれているのか)
誰かの子ではない。
真田昌幸の息子だからでもない。
真田源次郎という一人の武将として必要とされている。
その事実だけで、胸の奥から熱いものが込み上げてくる。
「頭をお上げくだされ、御両所!」
源次郎は思わず声を張り上げた。
「お考えは十分に分かりました。拙者、これより支度を整え、佐助が戻り次第、松本へ参ります!」
その目には力強い光が宿っていた。
「必ずや親父を説き伏せ、後詰めの役目を果たしてご覧に入れます!」
感極まった声はわずかに震え、目元には熱いものが滲んでいた。
「おお、引き受けてくれるか!」
「ありがたい! これで儂らも心置きなく戦える!」
政宗と慶次郎も満面の笑みを浮かべる。
だが、その笑顔の裏には苦い思いが隠されていた。
無論、これは方便である。
二人とも、真田家が後詰めに来るとは最初から考えていない。
惣無事令がある以上、あの真田昌幸が隣国との戦へ軽々しく兵を出すはずがない。
源次郎がいくら熱弁を振るったところで、良くて叱責。
悪ければ座敷牢へ放り込まれるのが関の山だろう。
それでも、この真っ直ぐ過ぎる若武者なら、本気で父を説き伏せられると信じて疑わない。
その純粋さが眩しく、そして痛々しかった。
源次郎は意気揚々と部屋を後にした。
襖が静かに閉まり、足音が廊下の向こうへ遠ざかっていく。
二人はしばらくその音に耳を澄ませていたが、やがて同時に小さく息を吐いた。
「……これで、源次郎の件は片付いたな」
政宗が呟く。
慶次郎は苦笑しながら肩をすくめた。
「しかし、あまり気分の良いものではないな。あんな真っ直ぐな男を騙すというのは」
政宗は静かに目を閉じる。
「死ぬよりは、ずっとましさ」
短い一言だった。
だが、その言葉には二人の偽らざる本心が込められていた。
源次郎には、生きていてほしい。
その願いだけは、嘘ではなかった。
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