破境[2]
この世界において、日本の中心は京都に据えられている。
千年の都は、もはや歴史の象徴というだけではない。政治、そして人の流れも、すべてがそこを起点として脈打っている。街路は幾重にも重なり、鉄路は放射状に伸び、まるで京都そのものが巨大な心臓であるかのように、絶え間なく人と物を送り出していた。
新幹線が誕生したのも、その流れの延長にある。
一九六〇年代。最初に敷かれたのは、大阪、京都、東京を結ぶ大動脈だった。やがてそれは枝を伸ばし、地方へと広がっていく。その一本が、北陸新幹線である。
京都と金沢を結ぶ線路は、一九八〇年代に開通した。今ではさらに北へ延び、新潟へと至っている。滑らかな軌道の上を走る列車は、時間の距離を削り取り、かつて遠かった土地を「日帰り圏内」にまで引き寄せた。
金沢。
小早川家の城下町として栄えたその街は、長い歳月の中で文化と産業を育て上げ、現代では人口百二十万を抱える大都市へと変貌している。古い町並みと新しい建造物が自然に溶け合い、どこを歩いても歴史の残り香が漂う。京都から新幹線で一時間あまり──その程よい距離感もあって、観光地としての人気も高い。
六月下旬。
梅雨の湿気を含んだ空気が、京都駅の構内にまとわりついていた。高い天井の下、人のざわめきと発車ベルが交じり合い、どこか落ち着かない響きを生んでいる。
その中を、工藤拓真は歩いていた。
手にした切符の感触がやけに現実的で、逆に、これから向かう場所がどこか曖昧に感じられる。
ホームに滑り込んできた新幹線は、白い車体を鈍く光らせていた。扉が開き、人々が吸い込まれるように乗り込んでいく。その流れに身を任せながら、拓真は一瞬だけ足を止める。
──金沢。
その名を、心の中で静かに反芻する。
知っている街のはずだった。
だが同時に、知らない街でもある。
彼の中には、二つの金沢が存在している。元の世界で何度か訪れた、記憶の中の金沢。そして今から向かう、書き換えられた歴史の上に成り立つ金沢。
似ているはずだ、と調べた限りではそうだった。だが「似ている」という事実が、かえって不気味だった。微妙な差異が、どこに潜んでいるのか分からない。
その曖昧さが、胸の奥に小さなざらつきを残している。
車内に入り、指定された席に腰を下ろすと、すぐ隣から明るい声が飛んできた。
「先生は金沢へ行ったことがあるんですか?」
垣屋日菜。
山崎教授のゼミに所属する学生であり、そして──かつて自分と共に戦った男、垣屋勘兵衛の血を引く少女。
無邪気な問いだった。
それだけに、返答は一瞬詰まる。
「えっ、あ、ああ、行ったことは……無いかな」
言葉がわずかに引っかかる。自分でも分かるほど、不自然な間だった。
ある、と言えば嘘になる。ない、と言い切るのもまた違う。
頭の中で、二つの記憶がかすかに軋み合う。
過去の出張で歩いた街路、土産物屋の並び、雨に濡れた石畳──それらは確かに「金沢」だ。だがそれは、この世界のものではない。
曖昧な境界線の上に立たされている感覚に、拓真は小さく息を吐いた。
「私は何回か行ったことがあるんで、案内は任せてください! 竪町って所に素敵なカフェがあって……」
日菜の声は軽やかで、迷いがない。
その無垢な調子に、拓真はわずかに救われる思いがした。
彼女の語る金沢は、ただの「楽しい場所」だ。遠足で訪れた思い出や、友人と過ごした時間が詰まった、温度のある街。
小学三年のときに初めて来たこと。首都圏の子どもなら一度は遠足で訪れる定番の場所であること。話題は次々に移り変わり、どれも他愛がない。
だが、その他愛なさが心地よかった。
研究室で見る彼女は、もっと抑えた印象がある。論文と資料に囲まれ、言葉を選びながら話す姿。しかし今は違う。窓の外に流れる景色に目を輝かせ、思いつくままに言葉を紡いでいる。
──こんな顔もするのか。
ふと、そんな感想が浮かぶ。
だがすぐに、その理由までは思い至らない。研究出張という非日常が、彼女の気分を解いているのかもしれない──それくらいの曖昧な理解で、思考は止まった。
列車は静かに加速し、やがて京都の街並みが後方へと流れていく。ビルの群れが途切れ、田畑が広がり、遠くの山並みが霞んで見える。
時間が圧縮されていく。
距離が、意味を失っていく。
「そう言えば今日って、どこに泊まるんですか?」
日菜の問いが、再び現実に引き戻す。
「なんか、樫本教授が旅館関係に顔が広いらしくて、宿泊先は全部手配してくれるそうだよ。もしかしたら旅館かもしれないね」
「え~、素敵。どんなとこなんだろ?」
期待に弾む声。
その軽やかさに対して、自分の内側にあるものはあまりにも重い。
これから向かうのは、ただの出張先ではない。
自分がかつてばらまいた「異物」が眠る場所。
雷振筒。
その名を思い出すだけで、指先にかすかな錯覚が蘇る。引き金の感触。反動の衝撃。耳に残る乾いた破裂音。
あれが、金沢城から出土した。
果たして本物かどうか?
それを確かめに行く。
ただそれだけのことが、妙に現実離れして感じられた。
気づけば、日菜の話は途切れることなく続いている。笑い、驚き、少し誇らしげに語るその姿を横目に、拓真は窓の外へ視線を移した。
流れていく景色の中に、まだ見ぬ金沢を重ねる。
やがて列車は減速を始め、車内に到着を告げるアナウンスが響いた。
一時間五分。
あまりにも短い旅路だった。
だが、その終点に待っているものは、決して軽くはない。
ホームに降り立った瞬間、湿り気を帯びた空気が肌にまとわりつく。
その感触に、拓真はほんのわずかだけ息を詰めた。
──ここが、この世界の金沢か。
既知と未知が重なり合うその場所に、彼は静かに足を踏み入れた。
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