破境[1]
工藤拓真が帰還した二〇一一年──その年の空気は、どこか歪んでいた。誰もが気づかぬほどに静かで、それでいて確かに、歴史の底が入れ替わっている。世界は何事もなかったかのように動き続けているのに、拓真だけがその違和感の中心に立たされていた。
歴史を書き換えたのは自分だ。
その事実だけが、足元のない世界に立つための唯一の支点だった。
何の足がかりもなく放り出され、戸籍すら失っていた身でありながら、彼はどうにか生きる場所を掴み取った。城州大学の客員研究員──肩書きだけ見れば、風が吹けば消えてしまいそうな仮初の身分。だが拓真にとっては、それでも過分だった。身を証明するものが何一つなかったあの日々を思えば、名前があり、居場所があるというだけで、十分すぎるほどに「現実」だった。
三年。
その歳月は短いようでいて、彼にとっては長かった。過去と現在のあいだに横たわる歪みを、誰にも知られず抱え続けるには。
そして皮肉なことに、彼をこの社会に定着させたのは──他でもない、自らが書き換えた過去だった。
龍仙寺衆。
その名を思い浮かべるたび、胸の奥がわずかに軋む。
島左近の力を借りて組織した、あの時代には存在し得ない異物。連射式ライフルという異形の兵器を携え、関ヶ原の戦場で荒れ狂う大名たちを蹂躙した部隊。その戦いはあまりにも鮮烈で、歴史の表層に深い爪痕を残している。
現代においても、その名は消えることなく語り継がれていた。研究対象として、あるいは伝説として。
だが、その実像に迫ろうとした者たちは、ことごとく壁に突き当たっている。活動期間の短さ、記録の断絶、そして何より──創設者とされる「工藤広真」という人物の不在。
広真。
その名を耳にするたび、拓真は微かに苦笑する。
誤記だ。単なる書き間違い。だがその誤りこそが、今では歴史として定着している。自分という存在が、わずかな歪みとしてしか残っていないことに、安堵とも虚しさともつかぬ感情が胸をよぎる。
それでも。
工藤拓真という「例外」が現れたことで、龍仙寺衆の研究は一気に進展した。彼は誰よりもその実態を知っている。いや、知っているどころか──創った側の人間だ。
龍仙寺の正確な位置を特定し、発掘によってそれを証明したとき、学界は小さく震えた。点でしかなかった歴史が、線として繋がり始めた瞬間だった。
だが拓真にとってそれは、過去を掘り起こす作業であると同時に、自分自身を少しずつ暴いていく行為でもあった。
掘れば掘るほど、あの時代の記憶が鮮明になる。
火薬の匂い、鉄の重み、引き金にかけた指の感触。
そして、結果としてもたらされた凄惨な殺戮。
──忘れてはならない。
そう言い聞かせる一方で、できることなら思い出したくないとも思っている。
そんな矛盾を抱えながら、彼は今日も研究室に籠もる。龍仙寺衆研究の第一人者である山崎教授の下で、過去という名の亡霊を相手にし続ける日々。
その山崎から、ある日、仕事を頼まれた。
金沢にある加賀大学の樫本教授からの問い合わせ。
復元改修のために行われた発掘調査で、金沢城の鼠多門から奇妙な箱が出土したという。その中に収められていたのは──六挺の雷振筒。
その報告を聞いた瞬間、拓真の呼吸がわずかに止まった。
雷振筒。
その名は、ただの研究対象ではない。
自分が持ち込み、戦場にばらまいた異物そのものだ。
あれが、この時代に──しかも、金沢で形を保ったまま残っている。
あり得るはずのない事実が、静かに現実として差し出されている。
それが本物かどうか。
問いは単純だ。だが答えは、決して軽くはない。
触れれば分かる。手に取れば、嫌でも思い出す。
あの重みも、構造も、撃ったときの反動も。
だからこそ山崎は、拓真を指名したのだ。
そして拓真もまた、断る理由を持たなかった。
──いや、断れなかった。
過去から逃げ続けることはできない。
自分が書き換えた歴史が、こうして手を伸ばしてくるのなら。
それに触れ、その正体を確かめるのは──自分でなければならない。
金沢へ向かう決意を固めたとき、胸の奥で何かが静かに軋んだ。
それが恐れなのか、後悔なのか、それとも、再び過去と向き合うことへの、奇妙な高揚なのか。
拓真自身にも、まだ分からなかった。
読んでくださり、本当にありがとうございます!
この作品を「続きが気になる」と思っていただけたら、
ぜひブックマークとポイント評価をお願いしますm(_ _)m
応援が増えるほどヤル気が爆上がりします……!
感想も一言でもくれたら即返信+X(旧Twitter)で感謝ポストします!
次回もよろしくお願いします!




