10.勇者の噂話
「え。あの人、勇者だったんですか?」
うららかな昼下がり、魔王の城。
心地よい風の吹く庭園で、呑気にティータイムを楽しんでいた銀河。
彼に、深刻な顔でクリュスが尋ねた。
「銀河様、勇者について何か?」
「いえ、特に何かがあったという訳では…あの時は、ずいぶんと楽しませて頂きました」
お気に入りの紅茶を啜りながら、過ぎ去ったあの日に記憶を彷徨わせる銀河。
銀河と勇者の接触を知らないクリュスにとっては、訳のわからないことだった。
「そうですか、羊鬼の時のあの人が、新たな勇者…」
「そうです、銀河様。情報によると、まだ神聖法国には行っていないようですが、油断はできません。そうそうに対策を練らなければ…さて、誰を派遣したものでしょうか」
「クリュスさん、勇者が神聖法国に行くと、何か問題が?」
「銀河様、ご存じないのですか?」
クリュスの驚き様は、銀河だけでなくレイヤまでもがギョッと目を剥く程に大げさだった。
「光の聖地に一番近い神聖法国には、巫女姫がいるのです」
「そのくらいは一般常識よね。でもそれで、なんで大袈裟に慌てるのよ。あんまりビックリさせないでよね。お茶がまずくなる」
「大袈裟にもなりますよ。巫女姫は、伝説の武器の封印を解くことができるのですからね!」
「封印というと? クリュスさん、何かあるのですか?」
「伝説の武器というものは、遙か太古の昔より、その真の力を封じられているのです。封印の解けていない状態では、その強さは封印されていない状態の60分の1! 武器の封印が解けてこそ、武器の所有者は真の勇者になることができるのです!」
「ふぅん。それじゃあ、その封印を解けるのが、神聖法国の巫女姫様だけとか? それであんなに、巫女姫様は崇められてる訳ね」
「その通り! 封印を解かれると厄介ですよ。銀河様、即刻勇者に向けて刺客を放ちましょう!」
「ちょっと待ってよ、クリュスさん。僕は勇者に刺客を差し向ける気なんてありませんよ」
「なっ!」
思いもかけない銀河の言葉に、クリュスの絶句する気配がする。
「クリュスさん、よく考えてみてください。僕等が勇者に刺客を放つということは、逆に試練を与えることになりませんか?」
「試練、ですか?」
「そうです。クリュスさん、人間は段階を重ね、試練を乗り越えて強くなっていくものです。でも勇者に強くなられても困ります。そんな時、どうすると思いますか?」
そう言って微笑む銀河の姿は、とても優雅だった。
「私なら、刺客なんて送らないわね」
「えぇ? レイヤまで何を言うんです」
「わざわざ戦力を分散して、刺客を送って敵を強くするのは変よ。その刺客を倒すことで、勇者が強くなるかも知れないじゃない」
レイヤの言葉に、銀河が目を輝かせて身を乗り出す。
「だよね。人間は段階を踏んで強くなる。なら、段階を踏ませなければ良いだけの話です!」
「そうそう。逆にこの城に戦力を集めて、最大戦力でお出迎えしてあげようじゃないの。最高の力で一気に叩き潰すのって、とてもいい手だと思うのよね」
クリュスはふと思った。
――はて。この娘は人間ではなかっただろうか…?と。
「まあとにかく、そんな訳で刺客は送らないよ。それよりもクリュスさん、この間の羊鬼立て籠もり事件で思いついたことがあるんですけど…一緒に検討してもらえますか?」
「何を思いつかれたのでしょう?」
クリュスの言葉に、銀河はにっこりと笑った。
穏やかであり、優しげであり、それでいて何も譲らないという強いものを秘めた笑顔。
背後に花を散らす程に優雅な雰囲気なのに、悪戯めいた目がひっそりと笑っている。
彼は内緒話をするように、悪戯の作戦を話すように囁いた。
「ほんの、一大誘拐プロジェクトだよ♪」
この言葉が、銀河の今後を決めた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その青年は、酒場で偶然聞こえた言葉に反応した。
確かめるように男達の話に耳を傾け、いよいよ聞き逃せなくなると席を立った。
男達に事の真偽を確かめるためである。
「おい、貴様等。新しい勇者が現れただと?」
「あぁ? んだよ、兄ちゃん。俺達が気持ちよく呑んでるってのによぅ」
ぐだぐだに追っ払った男が、不機嫌そうに青年を睨む。
しかし体格の良い男衆に睨まれても、青年は平然として揺るがない。
「その話、さっさと詳しく教えろ。痛い目に遭いたくなければ…な」
傲慢に言い放つ青年に、噂に花を咲かせていた男達が席を立つ。
「おぅ兄ちゃん、今なんつった? あんま世間を甘く見てると、アンタこそ痛い目見るぜ。っつーか、即効今から見せてやらぁ! 奇麗なその面、パンパンに腫らしてやろうじゃねぇか」
血の気の多い男達は、四人で青年を取り囲んだ。
喧嘩が始まるのかと、酒場中の人間が五人に注目する。
その騒ぎを聞きつけ、カウンターでマスターと話していた女性が振り返った。
騒ぎの中心を確かめ、取り敢えず声をかけてみる。
「カトリ! 一体何をしているの!」
「気にするな、マーシア。この程度の連中、一人一秒で片が付く」
悠然として青年は、呆れた様な女性を制す。
唯一の旅の連れである女は、またかと思いつつも、止めようとはしない。
呆れと諦め、同情と不満の入り乱れた視線で青年や男達を見る。
彼女は青年が、少々特殊な人種であることを重々承知していた。
「…あまり物は壊さないのよ? 弁償代がバカにならないから」
女の言葉に頷きつつも、青年は自信たっぷりの笑みを浮かべる。
「さあ、貴様等」
口元が禍々しく歪む。
まるで、獲物を前にした肉食獣のように。
「新しく現れた噂の勇者のこと…たっぷりと教えて貰おうか」
獰猛な笑みを浮かべ、勇者の情報を求める青年。
彼の名は如月 花鳥。
…先代魔王を倒した勇者の片割れである。




