8.エリックの災難 ~魔王見学中~
エリックは、自分のことに必死で気づかなかった。
もうずっと前から、へこたれずに頑張る自分のすぐ側に、潜む人の存在に。
生暖かく見守ってくれている人がいることに…
それは、もろに銀河だ。
銀河はまるで幼い子供を見守る様な気分になっていた。
もう、色々な意味で感動していた。
その手にはレースのハンカチ、その目には光る涙。
そして、慈愛に満ちた微笑み。
銀河は隠し通路の覗き穴から、エリックを見る。
憐れみと同情と、ガンバレ!という感情が多大にこもった眼差しを向ける。
「メリィちゃん…一体、君たちはどれだけ罠を作ったの?」
「作れるだけ作りましたー。だって、怖かったし」
みんなが逃げる間の、足止め役として残った銀河。
その案内役の羊鬼、メリィちゃん。
だけど今更、二人が足止めする必要など、何処にもなかった。
侵入者は勝手に罠に嵌って、勝手に足止めされている。
それも、見るからに悲惨な足止めされ方で。
銀河とメリィは、途中からずっと見ていた。
エリックが大玉に追いかけられながら全力疾走し、悲鳴を上げる姿も。
四方八方六方から狙い撃ちで腐った卵をぶつけられ、何かが心の琴線に触れたらしく、「腐ったのはもうイヤ―――!」と叫んでいる姿も。そして床のスイッチを踏んだことで、天井から降って湧いた五千ものマキビシに体中をぐっさり刺され、ついでにマキビシだらけの床を歩けずに立ち往生している姿も。
その全てを見ていた。
最初は二人も爆笑していたのだが、今ではもう、笑えない。
あんまりにも可哀想で。
その目は思い切り、可哀想な人を見る目つきだ。
多分エリックにとっては、一番見られたくない姿の数々だ。
それも魔王には、特に見られたくないことだろう。
だけど人生汚点だらけのエリックには、「一番見られたくない姿」が多すぎる。
多分日常からして見られたくないはずだ。
嗚呼、伝説の勇者エリックよ(笑)。
君が立派な勇者になれる日は来るのだろうか――
来たとしても、きっとその日は数十年くらい遠いことだろう。
「ああ、この世にこんなに哀れな人がいるなんて」
「本当に可哀想ですぅ」
哀れな子羊を見るような目で、銀河達は同情を隠そうともしない。
二人はエリックが頭から水を被り、最後にバケツを後頭部に食らう姿を眺める。
遠くの物を眺める目つきだ。
「この世界には、可哀想な人がとても多いんだね」
「あの人は何だか特殊な気もするんですけどー…」
「この世界を幸福に満ちた世界にするためにも、もっと僕も頑張らなくちゃ。目指すは人々と魔物が微笑んで暮らせる世界だよ」
「目標があるのは、きっと良いことです。ついでにどうか、あの見るからに可哀想な人にも、ささやかで良いからなんか幸あれ」
魔物から幸せを願われちゃう勇者って、何だろう。
魔王と魔物から、思いっきり哀れまれる勇者、エリック。
そのことを本人が知らないのは、ささやかな幸せだろう。
「あの人、何か呪われてるんじゃないかなー…」
銀河は少し、エリックの人生が心配になってきた。
「きっと禍々しい凶運の星の元に生まれたんですよ」
かなり悲惨な、正解に近い答えを出すメリィ。
「今日まで生きてこられたのが、不思議でならないね」
そういいながら眺めていた二人の目の前で、エリックの足下から突如炎が吹き出した。
まき挙がる熱い風。怒濤のごとき、火柱。
炎は少年を飲み込むように、凄まじい勢いで燃える。
これもまた、罠。
「うわぁ! 今こそ御臨終ですか?」
「大変だ、速く助けないと!」
炎が天井を焦がす。
すると新たなトラップが、炎の熱を関知して発動した。
天井からスプリンクラーのように油をまく。
「……………」
「……………」
あまりの展開に、銀河の反応が一瞬遅れた。
「あれはやりすぎだ!」
叫ぶと同時に、体は廊下へ飛び出していた。
襲いかかってくるトラップを、全部紙一重でかわす。
ああ、その器用さがエリックにもあれば――
羊鬼の先を考えていなかったとしか思えない罠は、侵入者と共に館も滅ぼす勢いで。
油がばらまかれたこともあって、かなりの速さで飛び火していく。
辺りは一瞬で赤い世界へと変貌を遂げ、煙と、熱と、炎がひりひりと喉を焼く。
はぜる炎は次々と飛び火して、広がる炎。
辛うじて炎を免れたエリックだったが、彼が燃えるのも時間の問題だ。
彼はあまりに無力で、炎は圧倒的な暴力と化している。
「銀河様、危ないです! せめてこれを!」
そういってメリィが銀河へ投げ渡したのは、耐火性の魔力を持つ外套。
銀河はそれを頭まで被り、炎の海を渡っていく。
もはや炎は、手で消せる段階を過ぎていた。
水をかけただけでは消火もできない。エリックは火達磨五秒前。
彼を救出しようとする銀河は、人生初の舌打ちをしていた。
「仕方ない。…本当はまだ、使いたくなかったのに」
そう言って、彼は右手を掲げる。
真剣な顔は、目の前の火達磨に集中していく。
もう、他の物など見えない。自分の状況など知らない。
それほどに深い、集中。
銀河は唱えた。魔法の呪文を…
魔王専用の魔法ばかりでなく、汎用性の高い魔法にも銀河は興味を示した。
いつかは善良な人間のふりをして、人々に混じってみたいとも思っている。
その時の為、クリュスに特別に教えて貰った…人間の使う、普通の魔法の呪文を。
「 【霧】 」
それは本来なら霧を作るだけの、水の初級魔法。
だけど地上最強の魔力を持つ【魔王】である銀河。
彼が唱えると、呪文は本来の効果以上の力を発揮する。
しかし残念ながら、銀河の魔力に関する制御力は、未熟だった。
銀河専用の魔法ならばともかく、人間に合わせられた魔法だ。
普段使っている魔法とも、魔力の使い方では勝手が違う。
何より、銀河の魔力は人間とは微妙に質が違っていて…
クリュスから特訓を受けてはいるが、暴走する危険性が高い。
クリュスから許可が出るまで、銀河も使うまいと思っていたのに…。
炎を指し示す銀河の指先から、氷の破片が吹雪のように舞散った。
硬質な霧は、エリックを目がけて空を走る。
哀れな少年の命を惜しめば、躊躇っている暇など内。
エリックを傷つけようとする己の魔法を、銀河は必死に制御した。
その顔は、これまでに一度もなかった程歪められている。
ただ必死だった。
心の中でひたすらに、神ではなく姉や兄に己の成功を祈っていた。
今までに召喚した神々でも、故郷にいた頃に馴染みのあるどんなかみでもなく。
兄は魔神様よりもよっぽど強そうで、姉は神々しく見える時があって。
魔王である銀河が神に祈るよりも、よほど御利益がありそうだった。
実際に御利益があったのか、銀河自身の力が、極限までの集中がソレを可能にしたのか…
銀河の作り出した氷の嵐は、銀河の意思を反映する。
的確にエリックの肉体ではなく、彼を襲おうとする炎だけを狙って凍り付かせていく。
腰を抜かしたエリックが、呆然と銀河を見ている。
エリックには銀河が、何もないところから突然出現したように見えた。
おまけに銀河はすっぽりと外套で顔まで覆っているので、銀河が何者なのかも解らない。
男なのか女なのか、若いのか年老いているのか…
解らないままに、凄まじい魔法で炎を抑える銀河を見ていた。
エリックを傷つけないように力を抑えたままでは、銀河は大したこともできなかった。
あまり長い時間は使えず、気を逸らそうものなら、即座に魔力が暴走してしまうだろう。
銀河にできる精一杯のことは、人一人がやっと通れるくらいの狭い通路を造るだけ。
炎の中を、一筋の道が走る。
鬼気迫る顔で銀河はエリックを睨み付けた。
思わず睨む程に、銀河は切羽詰まっていた。
その迫力にびびったエリックは、固まりかける。
だが固まることなど、銀河は許さなかった。
「急いで! ぐずぐずしていたら、相当ついてない君なんか、一発で火達磨になってしまうのが目に見えてる! 笑える悲惨な人生を閉じたくなかったら、さっさと行くんだ!!」
その言葉は妙に断定的だった。さり気なく酷い。
エリックは相当ついていないということを否定できなかった。
だけど逃げることもできず、困った様に銀河を見る。
「アンタは?」
「人の心配なんて、している暇はないでしょう? 急いで!」
そう言って銀河はエリックの腕を掴み、引き起こす。
「僕は大丈夫だから、逃げて!」
銀河がエリックの顔を間近に見たのは、その一瞬だけだった。
たった一瞬だけ見えた、エリックの顔。
彼の素朴ながらも吊り目の目立つ顔を、銀河が忘れることは長いことなかった。
エリックもまた、間近で見る銀河が、下手したら自分よりも若いことに気づく。
だが、顔は巧妙に隠れていて見えなかった。
そして銀河は、エリックの背中を突き飛ばす。
危なげにエリックは、炎に縁取られた細道の上で踏鞴を踏んだ。
彼が背後を振り返ったとき、そこに銀河の姿はなかった。
かき消えたように消えた、謎の外套に包まれた少年。
エリックの中に、疑問を残して銀河は消えてしまった。
暫く心配そうに銀河が居たところを見ていたエリック。
だけど彼は、あんな魔法を使える奴が死ぬわけはないと思い直し…
閉ざされかけた道を、振り返ることなく駆け抜けた。
彼は今回の羊鬼騒動で、自分の力なさを思い知った。
シャロンだけでなく、他にも仲間を増やすべき事を痛感した。
また、できれば魔法使いを仲間にしようと、エリックは深く心に刻み込む。
僅かな時間、自分を救った少年との出会い。
それを、まるで特別な様に感じるものがあったから。




