8.彼の名はジャック、別に豆の木は登らない。
甘味に負けて全ての情を振り切ってしまったジャック。
ある意味ではとても欲望に素直で、魔王の城には超相応しい。
そう言って妖艶に笑ったクリュスさんは、とても悪役っぽく見えました。
あまりにもなりふり構わず懇願するジャックに、銀河も折れた。
「本当に、この城で働くの? ここ、魔王の城だよ?」
「他の人間…村の皆に軽蔑されることになろうとも、僕はもう迷わない。構わない。それよりも、この一欠片のクッキーの方が僕にとっては何より重いんだ」
「うわぁっ この子、超思い切ってるよ!」
正気に返れと銀河は言うが、甘いものの持つ魔性の魅力に取り憑かれた御子様は、既に己の味覚と食欲に忠実すぎるほどに忠実で。
すぱっときぱっと、宣言したのです。
「僕は、他の全ての人間を捨てることになっても構わない。甘味さえ味わえるなら!」
「ジャック君!? ジャック君!? お菓子と引き替えに人間捨てるとか、正気!?」
残念ながら、彼は至って正気だった。
元々、自分の姉を見棄てた村の衆への失望もある。
軽く他の人間への軽蔑や失望感で人間不信気味だったところに、出会ってしまった彼の人生を変える転機(甘いもの)と、とっても優しくて魔王に見えない魔王様。
今や、彼は甘いモノを与えてくれる魔王の為なら全てを捨てても良いと思っていた。
そこまで思い切ってしまうほど、銀河のお菓子が衝撃的に美味だった。
これが食べられるなら、人間世界を捨てても良いと、本気で思ってしまったのだ。
「このまま村に帰ったら、もうこのお菓子を食べられる機会は二度とない。それくらいなら、僕は人間を裏切ってでも魔王の城で働くことを選ぶよ」
「職業選択の自由を認めるべきか、民族意識を大事にするよう説得するべきか…」
きらっきらの目と垂らさんばかりの涎。
無我夢中でお菓子を貪る、その姿。
あまりにも欲求に正直で、素直で。
頭を悩ませる銀河を他所に、魔王の城に置ける人間の先輩、レイヤは腹を抱えて笑っていた。
「まあまあ、良いんじゃないの? 本人が良いって言うんだし、銀河も認めてあげれば?」
「レイヤ…そんな悠長に、とっても他人事だね」
「他人事じゃん。この御子様がどんな人生を選択しようと、私には何の責任もないし」
ケロッとした物の言い様に、銀河は取っても恨めしそうな目を向ける。
恨めしげな銀河に苦笑を返し、レイヤはジャックの目を覗き込んだ。
「あんたも、それで良いんでしょ? 勇者が襲ってこようが、人間に非難囂々されようが、親兄弟に罵られようが、このお城でたらふくお菓子を食べて肥え太る道を選ぶ…と」
「レイヤ!? 僕、肥満児童にさせるつもりはないよ! 糖尿病防止の為にも、栄養管理はちゃんと面倒見るからね。もしもジャックが本当に働くのなら、だけど!」
いきなり極端なことを言い出したレイヤに、背後で銀河が慌てている。
だけどそんな銀河の反応も何処吹く風に、ジャックはきっぱりと言い切った。
「まるまる肥えても、悔いはありません!」
「よし、よく言い切った!」
レイヤがジャッックの肩をぱんっと一つ叩き、グッと親指を立てる。
「そのものの言い様、潔さ、気に入ったわ! あんたを私の弟分として認めてあげる!!」
「光栄です、姐御!」
「姐さんと呼びなさい!」
「はい、姐さん!」
☆ ☆ ☆ レイヤは舎弟を手に入れた。
いきなり義兄弟の契り的な関係を築いた二人の人間に、吸血鬼が爆笑している。
慌てて杯と酒を用意しようと、慌ただしくライゲスが走り去った。
そして、銀河は困った様に笑っている。
目の前で繰り広げられる茶番に、銀河はポツリと呟いた。
「何この空気…」
最早、銀河の意見は誰も聞いていなかった。
銀河本人も、ジャックの決意が本物であれば、別に反対するつもりはなかったけれど。
そうして銀河は、大急ぎでクリュスと話し合い、一つの書面を作成する。
ジャックの雇用に関する、契約書を。
給料や休日の扱い、職務内容など、できるだけの適正を自分で考えて。
自分の側で働くのに不自由はしない様、衣食住の保証だけでなく、勉強の機会も作る。
勉強を見るのは、教育係のクリュスさん…というのが、何故か無性に心配になったけれど。
ジャックの年齢も考慮し、月に一度は里帰りの機会を用意までして。
そうやって作成した雇用契約が、この世界では破格のモノとも知らず。
魔王様は自分の作ったジャックの契約書に、大変満足そうに頷いていた。
ジャック・ビーンストーク
そんな名前の少年が、魔王の城の一員となる。
彼が正式に魔王の側で働くことになるのは、里帰りを経た三週間後のこと。
里帰りの間に己の姉がすっかり魔王に傾倒していること…
それどころか、いつの間にか村が魔王の援助を受ける様になっていたこと…
そうして、村全体が魔王傘下として自主的に染まっていることを、彼は知る。
自分が不在にしていた、その間に。
こうして、彼は己の働き口と、人生の生き甲斐(甘いモノ)を手に入れた。
それどころか己の村がもう魔物に襲われることのないという、平穏の保証まで手に入れて。
小さなジャックは、いつしか見も心も魔王の配下として、忠誠心を育てていくのだった。




