4.ジャックを惑わすあまい罠
魔王城前、城へと通ずる大橋の、巨像に隠れた小さな子供。
ジャックは城に侵入する隙を窺い、門番達の同行に注意を払う。
まさか既に己の存在が露見しているとは、微塵も思わない。
所在と自分の存在がばれたら、即座に襲われて殺されるという、魔物への先入観故に。
よもやこれから、そんな己の先入観を吹き飛ばす人物と遭遇する羽目になろうとは…
この時点で、ジャックはちっとも気付いていなかった。
巨像の影に隠れてモンの化け物立ちを見張っていた。
勿論、中々良いタイミングは訪れない。
だけど諦めるという選択肢は、もうない。
姉さんに会いたい一心で、僕は動くことも進むこともできない。
ただ、足を進める為だけに、此処に留まる。
僕は何に翻弄されて居るんだろう?
そんな無駄なことを意味もなく考える。
考えてしまうくらいの、時間が過ぎった頃合いに、変化はやって来た。
「・・・あれ?」
いつの間にか、門番達の姿がない。
もしかして待ち望んでいつつ、実は内心で諦めていたチャンスが到来したのだろうか。
僕は駆け出しそうな身体と、怯えて警戒する心を持て余す。
やって来たチャンスに潰されない様、緊張の中で慎重さを探した。
逸って焦って、失敗なんてしたくない。
魔物に見つかって捕まって、喰われるなんて嫌だから。
僕は高らかな音を響かせる心臓を、服の上から強く押す。
そうすることで、少しは落ち着かないかとぼんやり思う。
目は霞みそうになるくらいの力を込めて、一心に進入路を見つめる。
目を付けていたのは、正門の脇にある排水溝。
馬鹿正直に門を潜って、見つからずにいられると楽天的にはなれない。
僕の身体でもギリギリ通れるかどうかと言う大きさの排水溝は、僕を誘う様だった。
垂れ流されている水の、紫という謎すぎる色合いを全く気にせずに済むのなら、だけど。
僕は門を気にしながらも、チラチラと視線は意識と共に排水溝へ。
今が唯一のチャンスかも知れないのに。
怯える臆病者の心と、排水溝から流れる水の怪しさに、中々踏ん切りはつかなかった。
進むことを躊躇し、足踏みにどれだけの時間をかけただろう?
僕はきっと、時間をかけすぎた。
でもきっと、未来を思えばそれが良かったんだ。
「ねえ、君。こんな所でどうしたの?」
不意に、僕に降り注いでいた陽光が、何かに遮られた。
光の神の力を感じさせる昼の陽射し。
魔物の脅威から少しでも身を守ろうと、僕は昼を選んで此処に陣取っていたんだけど。
その光をいきなり遮られて、僕の視界が一瞬、光と影に狂う。
翳って暗くなった視界の中、見上げると、其処に逆光の中。
僕よりも何歳か年上に見えるお兄さんが、其処にいた。
とても不自然で、怪しいことこの上ない筈なのに。
それでも何故か心を許してしまいそうになる様な、もの柔らかな雰囲気の人だった。
「もしかして、君は迷子? 此処はとても危ないんだよ。君みたいな子が来る所じゃない」
ふんわりと柔らかくて優しそうな声は、心底から僕を案じている様に。
そんな危ない場所に、お兄さんこそどうしているのかと。
僕の疑問を封じる様に、自然体ながらも慈愛の声は降り注ぐ。
地べたに蹲っていた僕に視線を合わせようと、お兄さんは地面に膝をつく。
其の身を屈め、姿勢を低くし、僕の目に目を合わせてきた。
ああ、お兄さんはとても奇麗な身形をしているというのに。
こんな農民の僕とは、見るからに身分の違う人だというのに。
お兄さんの服は今まで見たこともない素材で、キラキラてらてらしている。(絹地)
そのデザインも、この大陸には存在しない貴族階級の裕福な跡継ぎみたいな立派さで。
とっても品が良くて、僕には分からないけれど、センスも良いのだと思う。
そんな、どこからどう見ても特権階級の御曹司が。
それなのに僕を案じて声をかけ、視線を合わせようと顔を覗き込んでくる。
高そうな生地を使ったズボンの膝を、わざわざ地べたに付けてまで。
何となく僕は、そんなお兄さんの態度に思ったんだ。
僕は【貴方】がそこまでするに相応しい存在じゃない。
【貴方】の様な高貴な方が、気にかける程の存在じゃない。
僕は【貴方】に案じられるに、足る存在じゃないのだ、と。
内心で叫ぶその声が、どうしてそんなに叫ぶのか。
緊張故か、警戒故か、臆病故か、恐怖故か。
僕にその理由は、見つけられそうになかった。
ただふんわりと漂う香りが、何だか優しくて温かくて。
幸せの形みたいな香りが、僕の鼻を何度も何度も強く擽る。
お兄さんの匂いは、何故かとても印象に残って、僕の意識を惹きつけた。
その香りの名前は、【甘い】。
それが僕の幸せとなり、日常の幸福の糧となる。
まさかこの匂いによって僕の今後、その一生が左右されるなんて。
この匂いに惹かれて、全てを決定することになるなんて。
この時点での僕は想定していなかったし、お兄さんも考えては居なかっただろう。
だけど、どうしようもなく惹きつけられていた時点で、多分、半分は決まっていた。
そんな未来を知らない時点での僕は、姉さんのことと香りの謎で頭が混乱していて。
ただひたすらにいきなり現れたお兄さんへ、戸惑う視線で見上げるばかりだった。




