3.魔王様はバニラの匂いと共にあらわれた
知らせを受けた魔王様。
銀河はてけてけ駆けて魔王城は正門前へと向かっていた。
其の身に纏うは割烹着。頭部を包む、三角巾。
知らせを受けた時、銀河は丁度、厨房でクッキーを焼いているところだった。
甘いバニラの香りが、ふんわりと漂っていた。
「魔王様、お願いします。迷う俺達を導いて下さい。俺達は一体どうしたらいいのか、自分ではもう分からないんです…とのことですよ、銀河様」
多くの魔物と言葉の通じない銀河の為に通訳を担うのは、今日もクリュスだった。
だけど彼は呑気すぎて、悠長に話を聞いていた銀河は、聞き終わると同時に顔を青ざめさせた。そのまま、跳ね起きる様に身を翻し、全力疾走で正門へとダッシュだ。
しかしいかんせん、魔王の城は広すぎた。
陸上部の短距離エースにタイムで勝り、長距離選手に持久力で勝る銀河。
そんな彼でも、近道裏道ショートカットコースを駆使してでさえ、目的地は遠い。
結局彼が報告を受けてから、正門へと到達するのに1時間近くが過ぎていた。
軽く乱れた息を整えながら、銀河はようやっと身なりを整える。
この時になって初めて、自分が割烹着のままに気付いたこともある。
報告にあった子供を怯えさせない為にも、あまり異質な格好をしているのはマズイ。
一応、銀河にも割烹着はないという自覚があった。
「それで、迷い込んできた子供というのは、どこに…」
心配そうな顔は、本気で子供の身を案じている。
自分の居城が、人間の子供にとってどれだけ過酷な場所か、恐ろしい場所か。
何の因果でそんな場所に迷い込んでしまったのかと、銀河は子供が心配になるのだ。
「ちかにすちみしいとなねもちらなとちもち!」
銀河の疑問に、親切に答えようと門番が大きく手を振りながら何処かを示す。
しかし残念ながら、彼の言葉は銀河の耳には通じない。
「…うん、ごめん。君が何を言っているのか、僕には分からないんだ」
情けなさに切なく眉尻を下げながら、それでも身振り手振りで意思疎通を図る魔物達。
銀河も察しは悪くない。
置いてきたクリュスを抜きに、何とか魔物と初の意思疎通に成功する。
「向こう? 向こうに居るんだね?」
「くちにねちみらららくちとにみらねのんらつらなみらのちきいみに!」
「ありがとう、一所懸命伝えようとしてくれて。後は僕が何とかするから、君達は下がって見ていて? あまり小さな子供を脅かして、怯えさせたくないから…ね?」
「ねしいとなきちのなすいきなすいもらねもちらなとちもちもららのにてらかなのいかい…」
「うん。心配してくれて、有難う」
この時、銀河は何となく、言語の壁など些細な障害の様に感じた。
言葉よりももっと、大事なモノが…気持ちを伝えるモノが、この世にはある。
この時の銀河は、そう感じ入っていたのだ。
ただの錯覚だったが。
自分のことを心配そうにはらはらと、物陰からこっそり見守る魔物達。
それらに背を向け、銀河は魔王の城から一歩踏み出す。
思えば、自分一人だけで城から出るのは、魔王になってから初めてかも知れない。
自分のことを応援する魔物達の期待を背負い、銀河は迷子の子供と接触を試みた。
迷子というのが、一方的な勘違いだと知らないままに。
そうして、自分が魔王には一切見えないと言うことを失念したままに。
全身に甘ったるい匂いを纏ったまま、彼は肩で風切り、門を潜った。




