7.牢獄の村娘4
クリュスの怪奇妖怪目玉光線にさらされ、激しくHPを消耗した二人。
その、ある意味やっとのまともな会話。
ようやっと娘の目が落ち着いたのは、既に夜となった時間。
牢獄の亡霊達も活発に活動しだし、背景として蠢いている。
銀河は苦笑気味にクリュスのことを誤魔化そうと努力していた。
心の中では冷や汗を滝のように流していたが、そんなことはおくびにも出さない。
腹芸の得意な方ではないが、誠意があるのだ。
ただ、これ以上娘に警戒されることなどないように気をつける。
娘に気付かれる前に牢屋から叩き出したクリュスのことなど、初めからいなかったものと娘に思いこませようとしていた。そこに無理があることは最初から承知だが、とりあえず娘の話を聞いてからこの先のことを決めようと思ったのだ。
「とりあえず君、名前は?」
意思の疎通を図ろうと、銀河は努力を怠らない。
実はこの世界で初めて見る人間に、内心でびくびくと怯えながら名前を尋ねる。
名前を聞かれたことに娘は驚いた顔をした。
銀河は知らないことだが、捕まってからの数ヶ月、まともに名前を呼ばれたことがなかった。名前を呼ばれることが好きだったこの娘は、牢屋に入れられて以来、名前を呼ばれたことがなかった。
幽霊達が側にいた。だから寂しくなかった
だけど幽霊達は名前を呼んでくれない。
幽霊達は己の喋りたいことだけしか喋らず、生者の名を気にしないからだ。
だから、自分でも名前を忘れかけていた。
あんなに大切にしていたのに、忘れかけていた。
それを銀河に尋ねられたことで、思い出す。
名前に対する望みを、娘は思い出してしまったのだ。
もう一度誰かに名前を呼んで貰いたいと思ったのだ。
そんな、自分でももう無理だろうと思っていた望みを。
「…私のこと、名前で呼んでくれる?」
尋ねてみると、心優しい魔王陛下は当然という顔で答えた。
「勿論。そうでなきゃ、名前なんて尋ねないよ。人の名前は、呼ぶためにあるんだから」
にこりと笑う銀河の微笑が、娘には一瞬天使に見えた。
「だから、僕のことも銀河と、名前でよろしく頼むね」
そう言えば最近、誰も自分を呼び捨てにしないなぁと銀河。
魔王の名前を呼び捨てにする者など、魔王の城にはいない。
いたら、おかしい。
銀河は魔王で、人間からは恐れられる対象で。
当然ながら、魔王の名を呼ぼうとする人間など、今まで一人も居なくて。
そんなことも知らずに、それどころか銀河が魔王であることすら知らずに、娘は嬉しそうな笑顔で言ったのだ。自分が人間初の快挙を成し遂げようとしている自覚などないままに。
「うん。よろしくね、銀河。私のことは、レイヤと呼んでね」
「はい。よろしく、レイヤさん」
胸の内でどれほどレイヤが緊張していたかも知らずに、銀河はあっさり頷いた。
何の気負いも無しに、あっさりと名前を呼んだ。
それは、レイヤが銀河に対して一生変わりのない好意を抱いた瞬間でもあった。
銀河は、出会ったばかりであっさりとレイヤの変わらぬ信頼と親愛を勝ち取ったのだ。
銀河は、親身になってレイヤの話を聞いた。
時間が過ぎるのも構わずに、ずっと生きている人間との対話に飢えていた少女を気遣い、その心情を思いやって。彼女が満足するまで、喋りたいことを喋りたいだけ聞き続けた。
生まれ育った村の話から始まり、どんな日常をどう暮らしていたか。
魔物に攫われた時の話、その時に受けた恐怖と怒り。そして生への諦念。
城に連れてこられて、牢に入れられてからの話、幽霊と過ごした数ヶ月。
レイヤが疲れ果てるまで、ずっと銀河は嫌な顔一つせずに話を聞いていた。
時々顔を痛ましそうに曇らせながらも、見守るような優しい微笑を浮かべた顔で。
そんな銀河の中学二年生の頃の渾名は「ゴーダマシッダールダ」通称「仏陀」。
(最終的には信望者達から「教祖」と呼ばれたらしい。)
そして銀河は言ったのだ。
レイヤの頭をゆっくり撫でながら、「頑張ったね」と。
レイヤにかけるための言葉を一つ一つ噛み締めるように、「ずっとここに一人は、辛かったね」と言ったのだ。溜め込み続けた全てを吐きだし、疲れ果てた少女の手を握り締めながら。
「もう、自由になっても良いんだよ」
銀河は優しい一言を言った。
「保障するよ。誰も、もう君を閉じ込めない。束縛しない。魔物に追われること、ましてや襲われることなど決してないから。だからもう、これからは自由だよ。好きなところに行き、好きなように生活し、誰にも束縛されない安息の生活を送るといいよ」
その言葉を聞いた時、それまで銀河の言葉の意味が今一よくわかっていなかったレイヤは、初めて疑問を感じた。自由になって良いという銀河に対して、初めて恐怖に似た気味の悪さを感じたのだ。
その、得体の知れない器の大きさに。
その、計り知れない存在感の深さに。
自分の要求を傲慢に実現させることを可能とする、支配者の瞳に。
そして、銀河自身に…己の存在の大きさに対する自覚が無い様子に。
ただひたすら、優しいだけのその微笑みに。
笑みに隠れた、大きすぎる魔力が、レイヤの本能に恐怖を訴えさせた。
「レイヤは、自由だよ。これから、一生の平和を約束するよ」
その言葉に、別に他意など無かった。
銀河は言葉のそのままに、裏のない態度でレイヤに接していた。
だけどそのことが、レイヤには解らない。
ただの親切心と同情で、言葉以上の意味など銀河自身が考えていなかった。
でも一度不気味だと思ってしまうと、少女には得体の知れない感情しか浮かばない。
そもそも、銀河自身が何なのか解らなかった。
銀河が魔王であることなど知らないし、人間だと思っていた。
その銀河が、得体の知れない生物に見えた。
そして此処が魔王城で、そこにいる銀河への疑問も浮かぶ。
銀河の優しい微笑みが、一番不気味に見えた。
その裏に何があるのかと勘繰ってしまう。
うっすらと絶望を感じ、レイヤの顔が引きつる。
「何か変なことを企んでるってことはないよね?」
レイヤは良くも悪くも直球勝負が好きだった。
「今は全く考えてないよ。苦手だもん」
至って平和な思考回路に花を咲かせて、銀河も直球勝負だ。
「今は…って、どういうことかな?」
にこにこと、何故かレイヤが笑っている。
何となく、舐められたら死が待っている気がした。
それはただの錯覚で、そんな危険はなかったが。
「悪巧みは苦手だけど…職業上、後々考えなくちゃならないんだ。でも安心して。多分僕が悪巧みしたとしても、魔王の城にとっ捕まっている村娘一人をどうこうするような小さな企みじゃないと思うし、そんなことしてもどうにもならないと思うから」
にこにこにこと、銀河の笑顔も何だか厚い面の皮を感じさせる。
レイヤの反応に、無意識のどこかが反応した。
自分でも気付かないうちに、張り合って威圧めいた行為をしてしまう。
「君に何かしたって、僕には何の得もないよ?」
「あら、そう? そう言えばその通りよね。私みたいな小娘一人に何かするほど、つまらない男じゃないわよね? そんなつまらない男なら、悪巧み苦手ーとか言わないものね」
気のせいだろうか、うっすらと二人の顔に青筋が浮かんでいる。
「解ってくれたんだね。その通り、君一人なんて目じゃないよ」
「まあ、嬉しいこと。貴方に見る目がなくって良かった!」
にこにこと笑いながら、二人が握手する。
それは、どう間違っても若いの握手には見えなかった。
「疑って悪かったわ。貴方にそんなみみっちいことをするほどの根性なんてなさそうなのに、何を誤解してたのかしらね」
「いやいや、構わないよ。君一人に何を思われたって、痛くも痒くもないんだから。むしろ想像力の貧困さを同情するくらいだよ」
笑いながら、次第に二人の握った手が奇妙に震え出す。
二人がゆっくりと渾身の力を込めていった手の甲には、血管が浮かんでいた。
この時点で、二人の腕力は全く同等だった。
「やあ、素晴らしいくらいに深い相互理解が成されたようだね」
「そうね、お互いに平和的な話し合いと譲歩が大切よね」
何故だろうか、いつの間にか不思議な迫力を二人の少年少女が醸し出している。
見えない火花が散っている。
見る者が見ればきっと背後に竜虎図が見えたことだろう。
銀河を牢の中に引っ張り込んだ小さな魔物が、小さく「きゅう」と鳴いた。
泣いているような声だった。
何故こんな険悪な事になったのかと、泣いているようだった。
そんな小動物の悲しみなど知らず、二人の笑顔は益々深まる。
握り合う手の平も、一層互いの手に食い込んで。
魔王の少年と農民の少女は空々しい笑い声を響かせるのであった。




