5.牢獄の村娘2
長い長い、陰湿な地下への階段を下って、銀河は地下牢へ辿り着く。
そこには問題の娘以外にも何人かの人間が囚われていた。
銀河は、痛ましく思っても何もできなかった。
魔物の中に人肉しか食えない種族がいると説明されていたので、人間達を庇うことも助けることもできない。それは魔物に対して飢え死にしろと言うことで、何人かの命を救うために何匹かの魔物を殺す選択など、銀河にはできなかった。何故なら銀河は、魔王になってしまったのだから。
命は尊重するべきだと、魔物の命も人間の命も尊いと思ってはいた。
だが、銀河には人間と魔物のどちらかを選ぶことなどできなかった。
そんなときに頭に浮かぶのは弱肉強食、食物連鎖。
偉大なる自然界の掟そのものだった。
これは仕方ないことなのだと、囚われた人間達から目を逸らす。
その助けを求める声を聞かなかったことにして、銀河は奥の方まで進む。
心が痛んでも、耳を塞ぎたくなっても、零れそうな涙を堪えて進むしかない。
彼には、そうすることしか許されなかった。
他の誰でもない、銀河が自分で許さなかった。
何故なら、魔王の行動を束縛する者など、誰もいないから。
だから銀河は、己で魔王とはどんな存在かをかんがで、自分で自分を縛めるしかない。
他の誰も咎めない己を咎められるのは、自分しか居ないのだから。
自分は、魔王なのだから。
魔王であることを自覚し、魔王として生きなければならないのだから。
それほど奥まで行かないうちに、案内の牢番が立ち止まった。
そこは牢の鉄格子ではなく、重く分厚い鉄の扉の前。
うごうごと口(?)を蠢かし、牢番が「gは御*へzいおあjりj」と声を上げる。
勿論、銀河には意味不明だった。
すかさずクリュスが通訳する。
銀河はきっと、彼が居なかったら魔王城でまともな生活ができない。
「あんまりにも不気味なので、独房に閉じ込めているとのことです。なんでも魔物だけでなく、人間達まで怯えて五月蠅いからと。どうします、魔王様。入りますか?」
「そうだね…」
いきなり飛びかかってこられたらどうしよう。
暴れられることを前提に考えていると、魔王の前に一匹の魔物が進み出た。
まるで針鼠とムササビを足して二で割ったような、小さな魔物。
喉の奥でならすような「くるくる」という鳴き声。
小さな魔物は可愛らしく鳴いて、銀河の足に擦り寄り、懐いてくる。
「やあ、お前。どうしたの?」
銀河が優しい手で撫でてやりながら尋ねた。
銀河の様子をじっと窺い、小さな魔物は銀河の服を口にくわえ、強く引く。
ぐいぐいと、意外に強い力で銀河を引っ張る。
「く、クリュスさん。この子は何て言っているの?」
クリュスに向かって鳴く魔物を、クリュスは無言で眺める。
「多分、ですが。どうやらついてこいと言っている様ですね」
クリュスにも全部の魔物の言葉がわかるわけではない。
あまりに下等なその魔物の言葉が解らず、半ば推測で銀河に教える。
ほとんど当てずっぽうではあったが、外れではなかった。
一際大き「くくるるぅ」と鳴くと、魔物は嬉しそうに飛び跳ねた。
飛び跳ねてから、魔物は小さな隙間を通ってあっさりと独房の中に入ってしまう。
それを見て、銀河は覚悟を決めた。
独房の中で眠っていた娘を目にした時、銀河は度肝を抜かれそうになった。
狭く冷たい石造りの部屋の中で、湿気も悪臭もものともせずに娘は寝ている。
気楽に、幸せそうに娘は床で寝ている。
その根性と、肝の据わった様子がとても驚きだった。
そして異質で異様、不気味な印象を受ける。
じめじめした牢は陰気としか言い様がなく、隅に謎めいたキノコが生えていた。
そこかしこにどす黒く染まった霊気が漂っており、確かに大量の霊の存在を感じる。
案外霊感は強い方で、銀河には牢の中の、普通では目に見えない方々が見えた。
染みの様にこびりつき、牢の中に張り付いた霊の方々が、こちらに凄絶な笑みを向ける。
「…あ。これ、洒落にならないレベルでヤバイ」
近所の肝試しスポットなど目じゃない程の、危険が感じられる。
こんなに生命の危機感を覚える牢の中。それでもぐっすり眠り込んで平和な寝息を立てている娘を改めて見れば、やはり口元が引きつってしまって目を逸らしかける。
――銀河の目には、娘に寄り添うように幾百という霊がいるのが見えた。
まるで幽霊で作った綿の中に娘がいるようである。
ぞっとするとはこのことだ。
口元を引きつらせたまま、銀河はさり気なくクリュスを楯にする位置まで下がった。
銀河は確実にこの娘をここから救い出した方が良いと判断する。
そうしなければ、銀河自身が怖くて仕方がなかった。
これでは魔物達が怯えても仕方無しとも思う。
後ろからひょいと顔を覗かせたクリュスが、感心の声を出す。
「ほう、これはまた。中々凄い光景ですね」
その呑気そうな声に銀河は、クリュスの顔をまじまじと見つめた。
まるで奇妙なものを見たというような顔で、クリュスの顔を見る。
「クリュスさん、見えるんですか? 見えるんですね? ちゃんと見えてるんですよね?」
念を押すように問いかけると、クリュスはあっさり宣った。
「私は不死人系魔物の代表、吸血鬼のヴァレンチヌスですよ。半分同族一歩手前の方々ぐらい、見えるに決まっているじゃないですか」
クリュスは不死人と書いてアンデットと読んだ。
がっくりと肩を落とし、銀河はクリュスに尋ねかける。
「見えるのに、何でそんな感想が浮かぶんですか? 危険だとか、不気味だとかの感情は湧かないんですか? これは魔物でも生命の危機を感じ取れるレベルだと思うんですけど」
「魔物が幽霊を怖がってどうするんですか」
「それを言ったら、怖がって泣きついてきた魔物さん達の立つ瀬がありませんよ」
「下級の魔物ならまだしも、私のように知能の高い高位の魔物は幽霊の大群など何とも思いませんよ。見ても、道端で道祖神を見つけたくらいの感想しかありませんね。何しろ街一つ灰にできる程の力を持っているのですから。そしてそのような魔物の幾らかは、己を試したい欲求に負けて、実際に試してみたりしているものです。それは私ですら例外ではありません」
クリュスが遠い目で、かつての思い出を語り出す。
「…そう、私もそのように無駄なことをかつてやってみたことがあります。あれはまだ私が百歳にもならぬ未熟者の頃でした。若かった私は、己の力を試してみたくてならず、つい師匠の言いつけを破ってうっかりアレドロ王国を大破か…」
「クリュスさん、ストップ ストップ! それ以上は言わなくて良いですから!」
何やら不穏で血に彩られた思い出を語ろうとする吸血鬼を、銀河は必死に呼び止める。
銀河は慌ててクリュスを現在の現実に引き留め、思い出の彼方から引き戻す。
気持ちよく語ろうとしていたクリュスが、少し不服そうな顔で尋ねる。
「私がアレドロ王国を火の海にした話を聞きたくは…」
「ありません」
即答で断言する銀河に、吸血鬼は大量殺戮の思い出話を止めた。
「まあ、とりあえず話を割愛して言いますと、そのように大勢の人間を殺した時に、一度に大量の幽霊が発生するんですよね。幽霊とアンデットの違いは、それが天に昇るか怨念を持って行動するかの違いですよ。高位の魔物はどちらにしても見慣れていますと言いたかった訳で」
「クリュスさん、それはわかりましたが、実例出さなくて良いですからね? 呉々も、自分の体験談は語らなくて良いですからね? 僕は別に聞きたくありませんから」
銀河がクリュスに詰め寄って、妙な迫力でもってクリュスに訴えかける。
そして話はもう終わりと言わんばかりに話を変えた。
「さて、それじゃあこれからどうしようか」
「私としてはこの娘さんの今後の扱いとして提案するなら、
➀ 現状維持で閉じ込めたままにしておくか
➁ 今後の諸々の面倒を一気に解決すべく殺すか
➂ 銀河様のものにするか …の三択だと思うのですが」
クリュスの極端な物言いに、銀河は眉を下げて苦笑した。
「どれも却下。するなら自由に、だよ」
「それは、それは…また、珍しい選択ですね」
「え。そうかな?」
目を丸くしているクリュスに対して、逆に銀河が驚いた。
これが珍しいというのなら、一体何が普通なのか。
銀河は他の者ならどれを選ぶのか、参考意見として聞いてみる。
そうですね、と吸血鬼は前置いて考えてみた。
「先代魔王様なら、多分➁の殺すにしてさっさと片付けて終わらせたでしょう。私ならば、③番ですね。きっと自分のものにして、血を吸っていたと思います」
実例として、クリュスは三つの選択肢それぞれを選んだ結末を語ろうと思った。
だが、①番の良い実例として出したのは、ちょっと変わった結末で。
「そして➀ですが、これは私の旧友ローレンスが選びそうな回答です。彼ならこのまま閉じ込めておいて、その間に精神や肉体にどのような変調が現れるかを長期にわたって観察、記録していくでしょうね。まるで朝顔のごとく」
「言って良いですか? 悪趣味ですよ」
話を聞き終え、銀河の顔が困った様にクリュスを見上げる。
「特にそのローレンスさん? 観察、記録ってヘチマの観察日記じゃないんだから」
「ローレンスにとっては人もヘチマも似たようなものですよ」
爽やかな笑顔でもの申すクリュス。
その顔を見ていて、銀河は「みんな魔物なんだなぁ」と改めて実感した。
色々と、自分とは感性の違う魔物達。
考え方や習慣だけでなく、人間への態度が違いすぎる。
自分も人間の範疇だというのに、彼等の中ではどんな折り合いが付いているのだろう。
自分とは違いすぎる、異質な異形の者共。
本来ならば、ちっぽけな人間の子供たる銀河は恐れて逃げまどっても良いはず。
銀河自身、何故自分が魔物を恐れ嫌わないのか不思議だった。
魔物を嫌いにならない…好きなままでいる自分を感じる。
胸の内、確かに魔王の自覚と共に魔物への愛を持ち始めている自分がいた。
自分の感性や人格というものを疑う。
魔王となってから、もしかしたら自分は人間の範疇を外れつつあるのでは…と。
自分は、人間の敵となり…人間にとっての、異形へと変貌しつつあるのでは…と。
それでも銀河は、今でも変わらずに、魔物のことが好きだった。




