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09. 降って湧いた求婚VS家族会議

 社交新聞に醜態をさらされ、屋敷に現れたユアンが責任を取ると言ってアリアナへ求婚した翌日。


 アリアナは父の書斎で、捜査会議ならぬ、家族総出の作戦会議の渦中にいた。


 議題は、ずばり「アリアナの結婚について」だ。


「私は結婚するつもりなんてないわ!」


 何度目か分からない主張を繰り返すと、机の向こうに座る父が眉間を押さえた。


 母は落ち着かない様子で絨毯の上を行き来し、オリビアは長椅子で本日発行されたばかりの社交新聞を眺めている。その隣には、実家で休養を続けているセシリアの姿もあった。


 夫の不倫を目撃した姉は、夜会以降一度も伯爵家へ帰っていなかった。

 昨夜も父と母が時間をかけて姉と話し合っていたようだが、状況から見て離婚に向けた議論だったはずだ。とはいえ、妻からの離婚申し立てが認められない現状では、「体調不良のための実家療養」という建前で実家に身を寄せるのが精一杯なのだろう。


 何より夫である伯爵が一度も姉の様子を見にこない。そんな薄情な男のところに、家族にとって大切なセシリアを返すわけにはいかないというのが、アークライト家の総意でもあった。


 そんな姉は、背にクッションを当てて楽な姿勢を取り、脇の小卓に置いた紙へ何かを書き留めている。


「結婚しないと言ってもねえ……」


 母が足を止め、困り果てた顔をアリアナへ向けた。


「これだけ大きく書かれてしまったのよ」


 書斎の机には、今朝も二人の醜聞を取り上げた社交新聞が広げられている。


『愛か、ただの火遊びか? 社交界を揺るがす「小部屋の密会事件」の全貌』


 見出しの下には、綿シャツと吊りズボンを身につけたユアンが小部屋から出てくる姿と、顔を真っ赤にして逃げるアリアナの姿が、悪意たっぷりの挿絵で描かれていた。


 記事によれば、二人は夜会を抜け出して庭園で逢瀬を重ね、人目を忍んで小部屋へ入ったことになっている。ユアンが噴水へ突き落とされたことも、工作員らしき男女の密談を聞いていたことも、当然ながら一言も書かれていない。


「何度見てもひどい絵ね。アリアナの目が実物の半分くらいしかないわ」


「問題はそこではないでしょう、オリビアお姉様」


「ユアン卿の吊りズボンは、驚くほど正確に描かれているけれど」


「だから、そこでもないんだってば!」


 思わず声を荒らげると、オリビアは笑いを堪えるように新聞で口元を隠した。


「オリビア。そのくらいにしてあげて」


 セシリアにたしなめられ、姉はようやく口を閉じてくれた。


 アリアナにとっては、少しも笑える話ではない。昨日の朝食の席で最初の記事を見せられた直後、ユアンは屋敷を訪れ、家族の前で堂々と求婚したのだ。


『アリアナ嬢との結婚を、お許しいただきたく参りました』


 母は息を呑み、父はユアンを睨み、オリビアは面白そうに目を輝かせていた。セシリアだけは、アリアナの返事を待つように、隣からじっと見つめていた。


 けれど、何を答えればよかったというのだろう。どうして噂を鎮めるために、好きでもない男と一生を共に過ごさなくてはならないのか。その意味が、今も分からない。そもそも貴族でなければ、こんな話にならなかったはずだ。


「だいたい、どうしてこれが結婚の話になるの? 私たちは密会なんてしていないわ」


「世間がそうは思わないから困っているのよ」


 母は新聞の挿絵を指先で叩いた。


「夜会の最中、未婚の男女が二人きりで庭の小部屋へ入ったのよ。何もなかったと説明したところで、信じてもらえると思う?」


「何もなかったわけではないのでしょう?」


 オリビアが、目を爛々と輝かせて顔を上げる。


 アリアナの肩が跳ねた。


「ど、どういう意味?」


「工作員の密談を聞いたのでしょう」


「ああ、そちらの話ね」


「ほかにも何かあるの?」


「あるわけないでしょ!」


 答える声が不自然に大きくなる。


 向かいにいるオリビアが、新聞の陰から探るような視線を向けてくる。アリアナは収納場所での口づけを悟られないよう、わざとらしく咳払いをした。


「それより、この記事を書かせたのは、あの計画に関わっている者ではないの?」


 話題を変えるために口にした問いだったが、父の表情はたちまち険しくなった。


「私も、その可能性はあると見ている。お前たちが小部屋から出るところを目撃し、夜が明ける前に新聞社へ話を持ち込んだのだとすれば、ずいぶん手回しがいい」


「では、私たちの誘拐が難しくなった代わりに、醜聞を利用して両家を揺さぶろうとしたってこと?」


「そうかもしれん。出どころは今、調べさせている」


 父の返答に、母が不安そうに胸元へ手を添えた。


「それなのに、ストーンハースト侯爵家との結婚を進めて大丈夫なのですか? 先方は由緒ある侯爵家なのよ。こんな記事が出たあとでは、アリアナが肩身の狭い思いをするのではなくて?」


「その点については、昨夜のうちにストーンハースト侯爵と話した」


「お父様、いつの間に?」


「この件について話し合いに行った時だ。あちらも、今回の醜聞が法案を巡る工作の一部ではないかと疑っている」


 父は机の引き出しを開け、分厚い書類を取り出した。


「両家で話し合った結果、アリアナとユアン卿には、ひとまず婚約してもらうのが最も安全だという結論になった」


「勝手に決めないで!」


 アリアナは椅子から立ち上がった。


「私は一度も賛成していないのに」


「もちろん、お前の同意なしに決めるつもりはない。だから家族を集めたんだ」


「最初から結婚することを前提に話しているじゃない」


「正確には、結婚ではなく婚約だ」


 父はなだめるように手のひらを向けた。アリアナは立ったまま、その顔を睨む。


「この婚約には、三つの目的がある。まず、法案への賛成を表明しているアークライト家とストーンハースト侯爵家が、脅迫に屈しないと示すことだ」


「私の醜聞を、両家の同盟に利用するの?」


「この記事のリーク元が敵の仕業なら、こちらの足並みが乱れていないことは示せるだろう」


 父は平然と答えた。


「二つ目は、お前とユアン卿の警護を一つにまとめることだ。婚約者として行動を共にしていれば、両家の護衛を同時につけても不自然ではない」


「別々に狙われるより、守りやすくなるということ?」


「そうだ。そして三つ目は、敵を誘い出すためでもある」


 アリアナは目を見開いた。


「私たちを囮にするつもり?」


「危険がないとは言わん。ただ、あちらはすでにお前たちを狙っている。何も知らないふりをして普段どおりに暮らすより、こちらから相手の動きを探ったほうがいい」


「それなら、なおさらアリアナを関わらせるべきではないわ」


 母が厳しい声を上げた。


「この子は軍人でも捜査官でもありません」


「工場と商会については、軍人よりアリアナのほうが詳しいけどね」


「そのことと、アリアナを危険に晒すことは、全く関係ないわ」


 オリビアが茶々を入れ、母に睨まれて肩をすくめる。その横で、まるで議事録を書いているのかのように紙にペンを走らせていたセシリアが、静かにペンを置いて父へ向き直った。


「お父様。婚約すれば安全になると仰ったばかりなのに、今度は敵を誘い出すためですの?」


 声は静かだったが、父を見つめる目は動かなかった。


「本当のところは、どうお考えなのですか」


 父はすぐには答えず、机の上で手を組み直した。


「わざと警護を外して歩かせるつもりはない。両家が結びつけば、あちらも何らかの反応を見せるだろう。その動きを見逃したくないということだ」


「でしたら、アリアナの知らないところで、囮としての役目まで決めないでくださいませ」


「分かった。その点は侯爵にも伝える」


 アリアナは姉を見た。怒りが先に立ち、うまく言葉にできなかった疑問を、セシリアが代わりに確かめてくれた。


 昔からそうだった。アリアナが腹を立てて何もかも言い募ると、姉は最後まで聞いたうえで、いちばん分かってほしかったことを代わりに父や母へ伝えてくれた。


「セシリアお姉様、ありがとう」


 小さく息を吐き、椅子へ座り直す。膝の上で手を握り、改めて父に顔を向けた。


「お父様は、本当にこれがいい方法だと思っているの?」


「父親としては、お前を危険に近づけたくない」


 苦い顔で、父は続ける。


「だが、お前に何も知らせず、屋敷へ閉じ込めておけば済むとも思わん。そもそもお前は大人しく閉じ込められているような娘ではないからな」


 その点については、アリアナ自身も否定できなかった。


「私も、結婚ではなく婚約なら悪くないと思うわ」


 オリビアが新聞を畳み、長椅子の上へ置いた。


「少なくとも、世間はアリアナを捨てられた令嬢ではなく、未来の侯爵夫人として扱うようになるでしょう。もし敵がこの記事を書かせたのなら、あちらの望んだ結果とはずいぶん違うんじゃないかしら」


「オリビアお姉様は、面白がっているだけみたい」


「少しはね。でも、あなたが嫌な結婚をしなくて済むようにしたいのは本当よ。責任を取るためだけの結婚には反対だけれど、解消できる婚約なら、使い道はあると思うわ」


「婚約破棄をしたら、また新聞に書かれるわ」


 母の懸念に、セシリアが頷いた。


「書かれるでしょうね。円満な解消だと発表しても、勝手な理由をつける人はいるはずよ」


「じゃあ、どうしたらいいの?」


 アリアナは思わず問い返した。


 誰の話にも頷けるところがある。けれど、婚約しても、解消しても、噂からは逃れられないらしい。長椅子に置かれた新聞を見つめていると、また胃のあたりが重くなってきた。


「噂を立てられたくないからといって、望まない結婚までしてしまっていいとは思えないわ」


 セシリアはアリアナを見て答え、それから両親へ視線を移した。


「婚約を解消するときも、両家がアリアナを守る。その約束が必要ではありませんか」


 母が黙ると、セシリアは小卓から紙を取り上げた。


「婚約するにあたり、先に決めておいたほうがいいことを書いておいたの」


「セシリアお姉様まで、賛成なの?」


「あなたが納得できるならね。ただし、後で話が違うと言わなくて済むようにしておくべきよ」


 差し出された紙には、細かな文字で幾つもの項目が並んでいた。


 一、婚姻後もアリアナ個人の財産はアリアナに帰属すること。


 二、アリアナがアークライト・ファブリック商会の仕事を続ける権利を認めること。


 三、婚姻の成立には、改めて双方の同意を必要とすること。


 四、法案成立後、アリアナが望んだ場合には、侯爵家は婚約解消に応じること。


「ずいぶん具体的ね」


 素直な感想を漏らす。


「具体的にしないと、後からどうとでも受け取れてしまうでしょう」


 セシリアは膝の上で両手を重ねた。


「大切にすると言われて、私も、それで十分だと思ったの。でも、何を大切にしてほしいかは、きちんと話しておくべきだった。今さらだけれどね」


 実感のこもるセシリアの言葉に、母が目を伏せた。父も口を開きかけたが、何も言わない。


 夫の不貞を前にしても静かに微笑み、そのあとで涙を堪えていた姉の姿が蘇る。アリアナは手元の紙から目を離せなくなった。


 貴族の婚姻は、家と家を結ぶ契約にすぎない。


 義兄はそう言って、姉の気持ちを切り捨てた。だが、婚姻が契約だというのなら、妻だけが我慢を強いられる内容である必要はない。自分の意思で条件を決め、自分を守る約束を結ぶこともできるはずだ。


「でも、ストーンハースト侯爵家が、こんな条件を受け入れるかしら」


 母が心配そうに眉尻を下げる。


「確かめてみればいい」


 父が呼び鈴を鳴らした。

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