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48. あなたと、その先へ

 大扉が開くと、ステンドグラスから降り注ぐ光の中に、ユアンが立っていた。


 正装は腹立たしいほどよく似合っていた。まっすぐに伸びた背筋も、身体へ完璧に沿う上着も美しい。それでも何よりアリアナの目を引いたのは、ただ一人、彼女だけを見つめている青い瞳だった。


 いつもなら浮かべているはずの、余裕めいた笑みは影を潜めている。息をのむようにこちらを見つめるユアンの顔には、驚きと喜び、それから隠しきれない緊張が滲んでいた。


 その表情を見た瞬間、アリアナの胸が大きく跳ねる。


 父の腕へ添えた手に力を込め、アリアナは一歩を踏み出した。ヴェール越しに重なるユアンの視線から逃げることなく、ゆっくりと彼のもとへ歩いていく。


 家族も、ストーンハースト侯爵も、招待客たちも、二人を見つめていた。


 かつてのアリアナには、夜会で浴びる視線のすべてが、自分を値踏みするものに思えた。笑い方も、立ち方も、身につけているものも、どこか間違っているのではないかと気になり、息を潜めるように壁際へ立っていた。


 今も、人前に立つ緊張がなくなったわけではない。


 それでも今日は、ドレスの裾が乱れていないかを気にするより、前で待つユアンの顔を見ていたかった。


 彼のそばへ着くと、父が名残を惜しむように、アリアナの手を自分の腕から離した。


 ユアンは父へ深く頭を下げ、それからアリアナへ片手を差し出す。


 その手を取ると、彼がアリアナだけに聞こえる声で囁いた。


「今からでも、お父上へ感謝を伝え直したいな」


「何を?」


「このドレスを着た君に会わせてくださったことを」


「やめたほうがいいわ。自慢の生地についての説明が始まって、式が進まなくなるもの」


「それは困る。では、あとにしよう」


 アリアナが笑うと、ユアンの指が優しく握り返してきた。


 誓いの言葉を述べるとき、彼の声はわずかに掠れた。


 アリアナも、自分の番になると喉が詰まりかけた。それでも顔を上げ、ユアンの目を見ながら、最後まで自分の言葉で告げた。


 二人が誓ったのは、相手の人生を自分のものにしないことだった。喜びも困難も分け合いながら、互いが自分自身であることを尊重する。どちらか一方だけが耐えるのではなく、何度でも言葉を交わし、ともに生きていく。


 これまで二人で話し合ってきたことを、集まった人々の前で、一つずつ誓いとして結んでいった。


 ユアンがアリアナの左手を取り、薬指へ指輪を通す。


 アリアナも彼の左手を取り、同じように指輪を収めた。長い指も、手のひらの温かさも、もうよく知っている。それでも、指輪をはめた彼の手はどこか新鮮で、何度でも確かめたくなった。


 顔を上げると、ヴェール越しにユアンがこちらを見つめていた。


 パイプオルガンの重厚な残響が、荘厳な天井へ吸い込まれるように静まっていく。


 祭壇の前で向かい合うユアンの瞳は、いつも以上に深く、張り詰めた真摯さをたたえていた。


 彼の手がゆっくりと持ち上がり、薄布の端へ触れる。その指先がかすかに震えていることに気づき、アリアナの胸が小さく跳ねた。


 何事にも余裕を失わないユアン・ウィリンガムが、今、自分を前にして緊張している。


 静けさの中、繊細なレースのヴェールがゆっくりと持ち上げられた。


 視界を遮っていた白い霞が晴れ、真昼の光とともに、澄んだ視界がユアンの姿を捉える。


「とてもきれいだ、アリアナ」


 ヴェールを頭の後ろへ整えたユアンが、息をのむような声で囁いた。


 その響きには、アークライトの職人たちが織り上げた生地や刺繍への讃辞だけでなく、それを身にまとうアリアナ自身への惜しみない愛情が込められているように感じられた。


「ユアン様も、とてもすてきです」


「ありがとう。美しい君の隣に立っても恥ずかしくない花婿に見えているなら、安心したよ」


 ユアンは少しだけ身を屈め、アリアナの答えを待った。


 アリアナは微笑み、自分から顎を上げて目を閉じる。


 重なった唇から、優しい熱が伝わってきた。


 初めての口づけは、危険を避けるために声を塞ぐものだった。けれど今は、誰に隠れる必要も、何かから逃げる必要もない。


 アリアナは繋いだ手を、しっかりと握り返した。


 大聖堂を満たすように、祝福の拍手が響く。


 唇を離したユアンの顔には、これまでに見たことがないほど幸せそうな笑みが浮かんでいた。


 それを見た途端、アリアナの口元にも自然な笑みが広がった。


 ◇


 祝宴が始まると、ゆっくり座っている暇はほとんどなかった。


 次々と祝福の言葉を受け、挨拶を交わしては、また別の招待客へ向き直る。その合間にもユアンは何かと話しかけてきたが、アリアナが返事をする前に、次の客がやってくる。


「結婚を祝う夜会というものは、もう少し花嫁と話せるものだと思っていた」


 ようやく人の波が途切れたところで、ユアンが不満そうに言った。


「先ほどから、ずっと隣にいるでしょう?」


「隣にいるだけでは足りないらしい」


「今さら気づいたの?」


「君と結婚して、初めて分かったことだね」


 大真面目に返され、アリアナは笑った。


 広間の向こうでは、母が招待客を相手に、娘のドレスがいかに見事な出来かを語っている。


 セシリアは、ノエルの顔を見ようと集まった人々へ穏やかに応じていた。その隣では、オリビアとデレクが何やら言い合ったあと、同時に笑っている。


 父はストーンハースト侯爵を相手に、アリアナのドレスの生地について説明しているらしい。袖口を示すような仕草が見え、結局始まってしまったのだと思うと頬が緩んだ。


「どうしたの?」


「何でもないわ。みんな、楽しそうだと思って」


「君は?」


「私も楽しいわ」


「それならよかった」


 ユアンが安堵したように目元を和らげる。


 ちょうど楽団の曲が変わり、招待客たちが広間の中央へ集まり始めた。


 ユアンはアリアナの正面へ立つと、芝居がかった仕草で片手を差し出す。


「一曲、踊っていただけますか?」


「足を踏んでも、怒らないでくださる?」


「君になら、何度でも踏まれてみせよう」


「では、安心ね」


「できれば、少しは避ける努力をしてほしいけれど」


 差し出された手へ、自分の手を重ねる。


 広間の中央へ進むと、周囲の人々が二人のために場所を空けてくれた。ユアンの手が背へ添えられ、アリアナも彼の肩へ手を置く。


 音楽に合わせて踏み出すと、ドレスの裾が花のように軽やかに広がった。


「動きやすい?」


「ええ。とても」


「君が望んだとおりだね」


 顔を上げると、ユアンが眩しいものを見るように目を細めた。


「困ったな」


「今度は何?」


「きれいだと言っても、今日はすでに何人からも聞いただろう?」


「そうね」


「では、どう言えば一番喜んでもらえるのかと思って」


 アリアナは少し考えるふりをした。


 彼が答えを待っていることを確かめてから、ほんの少しだけ身体を寄せる。


「あなたに言われるのが、一番嬉しいわ」


 ユアンの足が、一瞬だけ止まりかけた。


「アリアナ」


「何?」


「そういうことを、踊っている最中に言うのはずるい」


「あなたは、いつもおっしゃるでしょう?」


「言われるほうには慣れていないんだ」


 アリアナは笑った。


 彼もつられるように笑い、二人の距離が少しだけ近づく。


 曲が終わっても、ユアンはすぐには手を離さなかった。


 ◇


 祝宴の終わりが近づいた頃、二人は開かれた扉のそばで、少しだけ夜風に当たっていた。


 庭から吹き込む風が、火照った頬を冷ましてくれる。広間から流れてくる話し声や音楽も、ここでは柔らかく遠ざかって聞こえた。


 アリアナは左手を持ち上げ、薬指の指輪へ目を落とした。灯りを受け、小さな石が穏やかに輝いている。


「きつくない?」


 ユアンに尋ねられ、首を横へ振った。


「ちょうどいいわ」


「よかった。手袋のように、自分で直すと言われたらどうしようかと思った」


「さすがに指輪は、職人へお願いします」


「それは安心したよ」


 笑いながら答え、アリアナはユアンの左手を取った。


 彼の指にも、同じように指輪がある。そこへ自分の指を絡めると、ユアンが少し驚いたように顔を向けた。


「今日は、僕が先を越されてばかりだね」


「嫌なの?」


「まさか。これからも、ぜひお願いしたい」


「では、気が向いたときに」


「なるべく頻繁に気が向いてほしいな」


 ユアンが握り返した手の中で、二人の指輪が触れ合った。


 しばらく並んで庭を眺めているうちに、一日の疲れが足の重さとなって表れ始めた。アリアナがわずかに重心を変えると、ユアンはすぐに気づいた。


「そろそろ出ようか。馬車の用意もできているはずだ」


「ええ」


「明日は、少しくらい朝寝坊してもいいね」


「あなたは、早く起きないの?」


「君が起きるなら、一緒に起きるよ」


「私が寝ていたら?」


「君が目を覚ますまで、隣にいる」


 何気なく告げられた言葉に、アリアナは明日の朝を思い浮かべた。


 次に会える日を尋ねなくても、目を覚ませば彼がいる。手紙へ書く前に顔を見て話し、意見が合わなければ、その場で言い合うこともできる。


 そのような毎日が始まるのだと、今になって実感した。


「どうしたの?」


「明日が楽しみだと思ったの」


 ユアンはアリアナを見つめ、それから繋いだ手を持ち上げた。確かめるように目を合わせたあと、指輪のそばへ静かに唇を寄せる。


「僕もだよ」


 アリアナは微笑んだ。


 これから先、仕事へ夢中になる日もあるだろう。意見が合わず、腹を立てることも、過去の影に不安を覚えることもあるかもしれない。


 それでも、今日話しきれなかったことを、明日また話せる。


 どちらか一方だけが我慢するのではなく、何度でも言葉を重ね、自分たちなりの形へ縫い直していけばいいのだ。


「ユアン様」


「何?」


「帰りましょう」


 彼の目元が柔らかく緩んだ。


「ああ。帰ろう、アリアナ。僕たちの家へ」


 二人は手を繋いだまま、明るい広間へ戻った。


 天井に連なるシャンデリアは、今夜も眩い光を放っている。かつては人を値踏みするように思えた光が、今は家族の笑顔と、隣を歩くユアンの横顔を明るく照らしていた。


 アリアナはもう、その光から逃げるように壁際へ立つ必要はない。


 父と母へ挨拶をし、姉たちと抱き合い、ノエルの小さな手へ指先で触れる。家族に見送られながら、ユアンとともに玄関へ向かった。


 開かれた扉の向こうには、夜の先へ続く道と、二人を待つ馬車がある。


 アリアナは隣に立つユアンを見上げた。


 彼も同じ瞬間にこちらを見て、繋いだ手を握り直す。


 その先に何が待っているのかは、まだ誰にも分からない。


 けれど、どの道を選ぶのかは、自分たちで決められる。


 アリアナは純白の裾を揺らし、自分の足で最初の一歩を踏み出した。


 愛する人と、その先へ進むために。


 ⁎⁺˳✧༚ ✧˳⁺ 完 ⁺˳✧༚ ✧˳⁺⁎

思いがけず長い作品になってしまいました。砂糖マシマシな番外編をUPして終了になります。

ブクマとても励みになりました。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

また次の作品でお会いできると嬉しいです。



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