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18. 北駅で衝撃の事実を知る

 荷物預かり所の責任者は、最初こそ顧客の情報を明かすことはできないと拒んだ。しかし、ユアンが王家の紋章入りの協力要請書を示し、犯罪に関わる荷物が預けられた可能性を説明すると、すぐに奥から分厚い帳簿を運んできた。


「赤いドレスを着ていた女性と、この男です」


 デレクの描いた似顔絵を見せると、責任者は男の眉にある傷へ目を留め、すぐに頷いた。


「覚えています。昨夜の最終列車で、ストーンハースト行きの一等切符を二枚購入しています。ただし、二人が名乗ったのは、こちらに書かれたものとは別の名前でした」


「どのような名前です?」


「レナード・ヴェイル夫妻です。北部へ帰るところだと話していました」


 ベルニエ仕立店で、女性は北部の資産家の未亡人、リディア・ヴェイルを名乗っていた。駅では夫婦を装ったようだが、どちらも偽名と考えるべきだろう。


「二人が木箱を三つ預けたと聞きました」


「おそらく、こちらの荷物でしょう」


 責任者が貨物帳簿を開き、該当する欄を指で示した。


 送り先は、アークライト・ファブリック商会ストーンハースト工場。中身は、織機用の交換部品と記されている。


「王都本店からの依頼ということで、今夜の貨物列車へ載せる予定です」


 アリアナは身を乗り出し、帳簿へ目を凝らした。


「輸送伝票を見せていただけますか?」


「こちらです」


 差し出された伝票へ目を通した瞬間、胸の奥に嫌な予感が広がった。


「これは偽物です」


「すぐに分かるのかい?」


 隣から帳簿を覗き込んだユアンの顔が、思いのほか近くにあった。頬へ吐息がかかり、アリアナは無意識に身を引きかける。


 今は動揺している場合ではない。そう自分へ言い聞かせ、伝票に押された印を指し示した。


「使われている商会印が古いんです」


「古い?」


「ええ。男爵位を賜って、今年でちょうど十年でしょう? それを機に、商会印の意匠も改めたんです。以前とほとんど同じに見えますが、歯車の歯数が一つ増えています。でも、この印は古いまま。歯が一本足りません」


 さらに、貨物帳簿へ記載された品名と重量を指で追う。


「交換用の()が十二本と書かれているのに、木箱三つでこの重さになるはずがありません。織物を織るときに使う杼は木製です。鋼鉄の塊でも詰めなければ、これほどの重量にはならないわ」


「問題の木箱を確認できますか?」


 ユアンに問われた責任者は、顔色を変えて部下を呼びに行った。


 ほどなくして、問題の木箱が保管庫から運び出されてくる。三箱とも頑丈な板で作られ、表面にはアークライト商会を装った偽の印が押されていた。


 アリアナは箱へ近づき、梱包に使われた布を指先で確かめる。


「この布もうちのものではありません。工場へ部品を送るときは、油が染み出してもすぐ分かるよう、淡い色の綿布で包みます。こんな黒い帆布は使わないわ」


「開けてみよう」


「待ってください」


 ユアンが蓋へ手をかけようとしたため、アリアナは反射的にその手首を掴んだ。


 二人の動きが、同時に止まる。


「中に何が入っているか分かりません。下手に開けて危険なものだったら、駅にいる人たちまで巻き込んでしまうわ」


「確かに、君の言うとおりだ」


 ユアンは素直に木箱から手を引いたが、その視線は、アリアナが掴んだままの手首へ落ちている。


 彼の目を追い、アリアナは慌てて手を放した。


「これは、必要があったからです」


「何も言っていないよ」


「顔に書いてあります」


「君から触れてくれたのが嬉しい、と?」


「やはり言わなくて結構です」


 声を抑えて言い返すと、ユアンの唇へわずかな笑みが浮かんだ。しかし、三つの木箱へ目を戻した途端、その表情から甘さが消える。


「二人は先にストーンハーストへ入り、偽造した伝票を使って、この荷物を工場へ運び込むつもりなのだろう。誘拐計画を僕たちに知られたため、狙いを変えたのかもしれない」


「工場へ打撃を与えれば、アークライト家は法案どころではなくなる。しかも、ストーンハーストは、あなたのお父様が治める領地です」


「領民に被害が出れば、父も責任を問われる。来週の議会を控えた父は今、王都にいるからね」


 ユアンの声は、先ほどまでの甘やかな響きを失い、冷ややかに澄んでいた。


「領主不在の間にストーンハーストで騒ぎが起これば、領地の管理を怠ったと非難される。父が議会での発言力を失えば、法案の推進派は大きな後ろ盾を失うことになる」


「うちの工場も同じだわ。議会の直前だからこそ、お父様は王都を離れられない」


 アリアナは悔しさに唇を噛んだ。


 二人の醜聞が社交新聞へ載り、両家が婚約の対応に追われている間にも、敵は着々と次の罠を仕掛けていたのだ。


「ストーンハースト領で騒ぎを起こし、両家を同時に揺さぶるつもりだったというわけか」


「ええ。おそらく」


 アリアナの脳裏に、故郷の工場が浮かんだ。


 赤煉瓦造りの建物に並ぶ織機。忙しく行き交う職人たち。昼休みになると中庭へ集まり、笑いながら食事を取る家族。そこには、アリアナが幼い頃から知っている人々が大勢働いている。


「ここにある木箱を押さえれば、工場は安全なのかしら」


「いや、それだけでは終わらないだろうね」


 ユアンは三つの木箱へ視線を巡らせ、低く静かな声で答えた。


「敵の目的が工場の破壊、あるいは父の失脚にあるなら、この荷物だけを押さえても根本的な解決にはならない。彼らは間違いなく、ストーンハーストに受け取り役を用意している。ここで木箱を止めれば、計画が露見したと気づかれ、末端の者を切り捨てて逃げられるだけだ」


 アリアナは拳を固く握りしめた。


 故郷の工場を脅かす者を、野放しにはできない。幼い頃から職人たちの笑い声を聞き、糸と機械油の匂いに包まれて育った大切な場所を、政治の争いへ巻き込むことなど許せなかった。


「では、このまま荷物をストーンハーストへ運ばせるのですか?」


「中身を確認せずに送るわけにはいかない。鉄道警備隊を通じて、危険物の扱いに詳しい技師を呼んでもらおう」


 ユアンの口元へ、不敵な笑みが浮かぶ。


「安全を確かめたうえで中身を無害な物へ差し替え、元と同じ重さになるよう調整する。木箱は予定どおり、今夜の貨物列車へ載せよう。ストーンハーストで受け取りに来た者を追えば、さらに上の人間へ辿り着けるかもしれない」


「工場にも知らせないと」


「普通の電報では駄目だ。工場の内部に協力者がいれば、こちらが計画へ気づいたことまで相手に伝わってしまう」


 何かを決意した様子のユアンは、荷物預かり所の責任者に向き直る。


「悪いがこの木箱は厳重に保管しておいてくれ。中の荷は国家の重大な安全保障に関わる。手違いひとつ許されない代物だ」


 ユアンは責任者に鋭い視線を向け、冷徹な声音で命じた。先ほど提示された王家の書状と彼の醸し出す圧倒的な威圧感に、責任者は青ざめた顔で何度も深く頭を下げた。


「かしこまりました! 私どもが責任を持ってお預かりいたします!」


「それから、鉄道警備隊のマクレガー隊長に僕が今から書く紙を届けて欲しい。あと――」


 テキパキと指示をするユアンを待って、二人で預かり所の重厚な扉を後にした。


 外に出た途端、ユアンは駅の大時計を見上げた。


「夕方の急行へ乗れば、貨物列車より先にストーンハーストへ着ける。父に話して、信頼できる者だけを駅と工場へ回してもらおう」


「私も行きます」


「君は屋敷へ戻るんだ」


 間髪を容れずに拒まれ、アリアナは眉を寄せた。


「大切な工場が狙われているのに、私だけ戻れるはずがありません」


「君自身も標的なんだよ。相手が待ち構えている可能性のある場所へ、わざわざ向かわせるわけにはいかない」


「誰の工場だと思っているのですか?」


 アリアナはユアンを正面から見据えた。


「私は、あの工場の設備も、働いている人たちも知っています。帳簿や商会印の偽造にも、あなたより早く気づける。今だって、私がいなければ、この荷物は本物だと思われたままだったでしょう?」


「それは認める。でも――」


「私は、守られるためだけに、あなたの婚約者になったのではありません」


 アリアナの言葉に、ユアンが口を閉ざした。


 駅の喧騒が二人の間を通り過ぎていく。遠くで機関車の汽笛が響き、人々のざわめきが膨らんでも、ユアンの眼差しはアリアナから逸れなかった。


 その瞳からは、先ほどまでの軽やかな色が消えている。危険から遠ざけたいという思いと、アリアナの決意を無視できない迷いが、静かにせめぎ合っているように見えた。


 やがてユアンは小さく息を吐き、張り詰めていた表情をわずかに緩める。


「分かった。一緒に行こう」


「最初から、そう言えばいいんです」


「ただし、僕から離れないこと」


「状況によります」


「そこは素直に約束してほしいな」


 ユアンはアリアナの腕へ手を伸ばしかけ、触れる寸前で止めた。


 その躊躇いに気づき、アリアナの胸がわずかに揺れる。彼は本当に、許可なく触れないという約束を守ろうとしているらしい。少なくとも、その態度には誠実さを感じられた。


 少し迷った末、アリアナは自分からユアンの手を取った。


「あなたが迷子にならないためです」


「そういうことにしておこう」


 重ねた手を、ユアンが穏やかに握り返す。


 手袋越しに伝わる温度へ落ち着かないものを感じながら、アリアナは北へ延びる線路を見つめた。


 ストーンハーストは、長いあいだ帰りたいと願い続けてきた故郷だ。そこには牧場も麦畑も、幼馴染のサイモンもいる。


 いつか帰るなら、もっと穏やかな形を思い描いていた。


 田園風景の中で、気心の知れたサイモンと笑い合う未来なら、幾度となく想像したことがある。それなのに今、アリアナの手を握っているのは、危険な香りを漂わせ、隙あらば甘い言葉で惑わせてくる遊び人の侯爵家の息子、ユアンだった。


 人生とは、実に思いどおりにならないものである。


「何をそんなに難しい顔で考えているんだい? 僕の手が、それほど不服かな」


「別に。ただ、人生の皮肉を噛みしめていただけですわ」


 アリアナは小さく息を吐き、ユアンの横顔を睨むように見上げた。


「皮肉、ね」


 ユアンは握った手を離さないまま、わずかに目を細める。


「どんな形であれ、君を故郷へ連れて帰る役目を得られたことは、僕にとってこの上ない幸運だよ」


「うまいことを言っても、騙されませんから」


 顔が熱くなるのを隠すため、アリアナは慌てて前を向いた。


 それでも、重ねた手を振りほどくことはできなかった。ユアンもそれ以上はからかわず、ただ彼女の歩調に合わせて隣を歩いている。


 ホームの先では、貨物用の蒸気機関車が重々しい金属音を響かせ、白い蒸気を吐き出していた。北の空はすでに藍色へ染まり始め、ストーンハーストへ延びる線路を、夜の気配が少しずつ覆っている。


「まずは屋敷へ戻って準備をしよう。夕方の急行までは、まだ少し時間がある。デレク君にも同行してもらいたい。ストーンハーストで二人の足取りを追うなら、似顔絵を描ける彼の力が必要になる」


「その場合、オリビアお姉様も、きっとついてくると言いますわ」


「止められると思う?」


「まったく思いません」


 二人の意見が初めて迷いなく一致し、思わず顔を見合わせる。


 アリアナが笑うと、ユアンの口元にも自然と小さな笑みが浮かんだ。


「ユアン様、急ぎましょう。今夜の汽車を逃すわけにはいきません」


「ああ。一緒に僕たちの故郷を守りに行こう」


 その言葉とともに、繋いだ手へ少しだけ力が加わる。


 アリアナは今度こそ、その手を振りほどかなかった。

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