17. 目ざとい子猫たち
ベルニエ仕立店を出た二人は、その足で北駅へ向かった。
王都と北部の各領地を結ぶ北駅は、午後を過ぎても大勢の人でごった返している。黒煙を吐き出す蒸気機関車、出発を告げる鐘、荷物を運ぶ人夫たちの怒号が、巨大な天蓋の下で絶え間なく交錯していた。
迫ってきた人波から庇おうとして、ユアンがアリアナの背へ手を回しかける。ところが、許可なく触れないと約束したことを思い出したのか、その手はわずかに浮いたところで止まった。
「混んでいるから、離れないように」
「子供ではありません。一人でも歩けます」
「好奇心旺盛な君は、目を離すと危険なものへ自分から近づいていくようだから」
「誰のせいで、こんな場所まで来ることになったと思っているの?」
「僕と出会ったことを後悔している?」
歩きながら尋ねられ、アリアナは返答に詰まった。
ここ数日に起きたことは、目まぐるしく場面の変わる芝居のようで、平静を保つだけでも精いっぱいだった。
アークライト家の夜会で交わされた不穏な密談。眉に傷のある怪しい男と、夜葡萄のドレスに隠された八つのポケット。平穏だったはずの日々は一変し、今や王都の裏側で進む陰謀へ足を踏み入れている。
確かに、災難の連続だった。隣を歩く男の思わせぶりで食えない態度にも、振り回されてばかりいる。
その一方で、工場で育つ中で培った観察眼が事件を解く手がかりとなり、少しずつ真相へ近づいていく高揚感を否定することもできなかった。
後悔していないと答えれば、まるでユアンとの出会いを喜んでいるように聞こえる。かといって、後悔していると言い切ることにも、なぜか胸の奥が抵抗する。
「……質問を変えてください」
「それが答えだと思っておくよ」
ユアンは楽しそうに笑い、アリアナのすぐ隣を歩き続ける。
肩が触れそうで触れない距離が、妙に彼女の意識を引きつけた。
二人が荷物預かり所へ向かおうとしたとき、新聞を抱えた小柄な少女が人混みから飛び出してきた。
「ユアン様!」
十歳を少し過ぎたくらいだろうか。褐色の髪を一つに結び、使い古した帽子を目深にかぶっている。服装は質素だったが、灰色の瞳には年齢に似合わない聡明な光が宿っていた。
「やあ、ネリー。何か分かった?」
ユアンは少女の前へ膝をつき、目線の高さを合わせる。
侯爵家の嫡男が、駅で新聞を売る娘へ向ける振る舞いには見えない。アリアナが驚いているうちに、ネリーは胸元から折り畳んだ紙を取り出した。
「赤いドレスの女と、眉に傷がある男でしょう? 昨日の最終列車でストーンハーストへ行ったよ。切符を買うところをトムが見ていたの」
「荷物は?」
「大きな木箱が三つ。二人は持っていかないで、貨物預かり所へ置いていった。今夜の貨物列車で送るって」
「よく調べてくれたね」
ユアンが硬貨を数枚差し出すと、ネリーは首を横へ振った。
「この前、弟の薬代を多くもらったから、今日はいい」
「あれは情報の代金ではないよ。これは君が働いた分だ」
ユアンは少女の手に硬貨を載せ、指先を包み込むようにして、その小さな手を閉じさせた。
「ただし、これ以上は二人を追わないこと。相手は危険な大人だからね」
「分かった。ほかの子猫たちにも伝えておく」
ネリーは元気よく頷くと、新聞を抱え直して人混みの中へ駆けていく。
アリアナは、その背中が見えなくなるまで目で追った。
「今の子が、〈目ざとい子猫たち〉の一人なの?」
「そうだよ。駅や市場で働く子供たちは、大人が考える以上によく周囲を見ている。誰も気に留めない会話まで、驚くほど正確に覚えているんだ」
「てっきり、あなたを取り巻く令嬢たちのことだと思っていました」
思わず口にした直後、アリアナは自分の失言に気づいた。
案の定、ユアンの目が面白そうに細められる。
「僕の周囲にいる女性たちのことが気になっていた?」
「違います。あなたが女性たちを、ずいぶん軽薄な呼び方で扱っていると思っただけです」
「それで、少し機嫌が悪かったのか」
「悪くなっていません」
「そういうことにしておこう」
また同じ言葉でかわされ、アリアナは唇を尖らせた。
「あの子たちに、危険なことをさせているのではないでしょうね」
「人を尾行させたり、犯罪へ関わらせたりはしないよ。普段の生活の中で何か見聞きしたときだけ、教えてもらっている。対価も必ず払う」
「弟の薬代まで?」
「それは、たまたま困っていると聞いただけだよ」
ユアンは何でもないことのように答え、再び歩き出す。
アリアナが知っている放蕩者の姿と、駅の片隅で働く子供のために膝をついた青年の姿が、どうしても重ならなかった。
「行かないの?」
数歩先で振り返ったユアンに呼ばれ、アリアナは慌ててあとを追った。




