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13. 顔のない招待客2

「とても華やかで、美しく整えられた夜会でしたので、つい描き留めたくなってしまったんです」


 デレクが開いたページには、踊る男女や談笑する貴族たちが、素早く的確な線で描かれている。短い時間で描いたはずなのに、それぞれの表情や佇まいまで伝わってくるほどの出来栄えだった。


「その中に、少し気になる男女がいました」


 デレクがクロッキー帳を一枚めくる。


 そこに描かれていたのは、柱の陰で言葉を交わす男女だ。細部まで仕上げられてはいないものの、女性は髪を高く結い上げ、男は片方の眉の上に傷を持っていた。


「この二人は、夜会の最中、ほとんど誰とも話していませんでした。踊っているふりをしながら、扉や廊下ばかり見ていたので、妙に印象に残ったんです」


 アリアナはクロッキー帳を覗き込み、女性の姿へ目を凝らす。すぐ横から覗き込んだユアンの吐息が、思いのほか近くで感じられて、一瞬だけ意識がそちらへ逸れた。


 そんな自分に苛つきながら、全集中力をデレクのクロッキー帳に向ける。


 そこに描かれた女性の髪形は夜会の流行に合わせた華やかなものだ。なによりアリアナの目を何より惹きつけたのは、デレクが炭筆で丁寧に陰影を描き分けたドレスのドレープだった。


「あ」


 記憶が開かれたのを自覚する。


 描かれた女性のドレスは、腰の左側からスカートの裾へ向けて、流れるような立体的なフリルが施されている。華やかではあるものの、腰回りの膨らみ方が左右で微妙に異なっていたため、広間で見かけたときから気になって目で追っていた。


「この方のドレス、腰回りがもう少し広がっていませんでしたか?」


「君は、この女性に見覚えがあるの?」


 ユアンに尋ねられ、間近にあるアクアマリンのような美しい瞳とぶつかり、アリアナは一瞬言葉を失いかけた。動揺を悟られないよう、昨夜の記憶を辿るふりをして視線をクロッキー帳へ戻す。


「広間の出入り口で、ぶつかりそうになった女性がいたんです。熟成された赤ワインを思わせる、深みのある色のイブニングドレスを着ていたわ。経糸と緯糸の密度が高くて、燭台の光を反射する独特の光沢があったから、よく覚えているんです」


 アリアナは、一度目を閉じドレスの生地を改めておさらいする。


「あの生地は……おそらく、クロイツ商会が取り扱っている最高級のシルクジャガードだと思います」


 目を開けて断言すると、執務室にいる全員の視線が集まった。


「ほんの一瞬しか見ていないのに、よく覚えているね」


 ユアンが興味深そうに眉を上げ、微かに口の端を持ち上げる。からかうというより、本当に感心しているらしいその表情に、妙に落ち着かない気持ちになった。


「アリアナは生地に目がないから。人の顔は忘れても、どんな服を着ていたかは覚えているのが特技なのよ」


 オリビアがくすくすと笑った。


「繊維工場で育ったようなものだもの。職業病みたいなものだわ」


 アリアナが少しだけ頬を膨らませると、ユアンが微笑んだ。テーブルの下で、彼の指先がほんの少しだけこちらへ伸びかけて、すぐに引っ込められる。


 なに!?


 隙あらば触れてこようとするのは、女の敵、ならず者だからだろうか。


 油断も隙もないとユアンを睨みつける。


「拗ねないで。みんな、君の観察眼に感心しているんだよ」


 その声に揶揄する響きがないと分かり、アリアナは返事に困って視線を逸らす。頬の熱は、さっきよりも確かに広がっている気がする。


 無駄に顔がいいからタチが悪い。本気で甘やかしているような声のトーンも、わざとらしくない身のこなしも、すべて女を扱い慣れている証拠だというのに、心臓にくる。


 だまされないわ。ただの事業上の協力関係なんだから……!


 アリアナは心の中で自分に強く言い聞かせ、必死で平静を装う。


「アリアナ、その女の顔は覚えているのか?」


 父に尋ねられ、アリアナは小さく首を横へ振る。


「はっきりとは覚えていないわ。瞼に青みがかった銀色の粉を使っていたことと、目元が細かったことくらいなら……」


 デレクはクロッキー帳をテーブルへ置き、鞄から鉛筆を取り出した。


「覚えている範囲で構いません。もう少し詳しく教えていただけますか?」


「ええ。確か、眉の形は――」


 アリアナは女性の目元や髪形を思い出しながら、特徴を一つずつ挙げていく。


 デレクの鉛筆が紙の上を走るたび、曖昧だった女性の輪郭が少しずつ鮮明になっていった。


「目元は、もう少し上がり目で細かったと思う」


「このくらいでしょうか」


「ええ、近いわ。それから、唇の左端に小さなほくろがあったはずよ」


 アリアナの記憶を頼りに、デレクが細部を描き足していく。


 やがて紙の上へ現れた女性の顔を見て、アリアナは小さく息を呑んだ。広間の出入り口で、彼女とぶつかりそうになったときの光景が、鮮明に蘇ってくる。


「すごいわ、デレクさん。広間の入り口にいたのは、この人よ」


 あのとき女性は、「失礼」と短く声をかけて通り過ぎていった。その冷たい声は、小部屋で法案について話していた女のものとよく似ている気がする。


「小部屋にいた女性と、同じ人物だと思います」


 確信を込めて告げると、オリビアはここぞとばかりに腕を組み、誇らしげに胸を張った。


「だから言ったでしょう? 今後はデレクを、見た目だけの男だなんて思わないでちょうだい」


 デレクは称賛に頬を染めながらも、照れ臭そうに手元の鉛筆を回している。


「アリアナ様の観察が正確だったから描けたんです」


「謙遜しなくてもいいよ、デレク君。見事な腕前だ」


 ユアンは完成した似顔絵をじっと見つめていた。いつもの軽薄な雰囲気は消え、その瞳には鋭い観察者の光が宿っているように見える。ふと視線を上げた彼と目が合い、アリアナは今度こそ逃げるように顔を背けた。


「それにしても……」


 父は腕を組み、完成した似顔絵へ厳しい視線を向けた。


「顔が分かったところで、王都中からこの女を探し出すのは難しいぞ」


「それなら、いい方法があるわ」


 アリアナはデレクのクロッキー帳をめくり、女性のドレスが描かれたページを開く。


「この、左側へ流れるドレープを見て」


 言いながら、スカートに施された装飾を指先で示した。


「生地を斜めに裁ち、腰の一か所へ重みを集める特殊な仕立てよ。見栄えは美しいけれど、生地を大量に使うし、形を崩さず仕上げるには高い技術が必要になる。王都でも、これを手掛けられる仕立屋は限られているわ」


 さらに、左右で異なる腰回りの膨らみを指で追う。


「それに、このドレスには何か細工があると思う。装飾のためだけなら、こんな不均等な膨らみ方にはならないもの。仕立屋を突き止めれば、何を隠すための服だったのかも分かるかもしれない」


 父が感心したように眉を上げる。


「なるほど。顔より先に、服から持ち主へ辿り着くつもりか」


「着る人が嘘をついても、生地と縫い目は嘘をつきませんから」


 アリアナが答えると、ユアンは興味深そうに彼女を見つめた。その眼差しには、探偵仲間への感心だけでなく、もっと個人的な温度がこもっている気がして、アリアナは思わず息を詰めた。


「頼もしい婚約者ができたものだ」


 声が思いのほか近くで聞こえ、心臓が跳ねる。


「まだ人前ではありませんから、婚約者らしく振る舞わなくて結構です」


「残念だな。本心だったのに」


 アリアナは返事をせず、デレクが描き上げた女性の似顔絵を引き寄せる。


 顔とドレスの両方が分かれば、もう手がかりのない招待客ではない。あとは、この特別な生地と仕立てを知る者を探し出せばいい。


 そして、この事件が解決すれば、この妙にそわそわとした胸の内ともお別れできるはずだ。

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