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8/9

8_僕の

全9話です。

完結まで毎日更新する予定です。

氷上は、自分の頬を叩いて無理やり笑顔を作る。


「あーもう! ダメダメダメダメ、ダメダメだぁ〜っ! 窓辺の周りは峠! 峠!!」

「氷上ちゃん」

「ライ麦畑は初回からの伏線だしなぁ〜? 峠〜?」


湯下の問いかけにも構わず、氷上は涙目で画面にがっつく。


湯下は、結局、迷ったままでいた。氷上の動揺が、やはりその覚悟の強さから来ることを思い知った。人間は、成し遂げたことの大きさでは計れない。その精神性でこそ個性を語れる。さっきは氷上の叱責に、今は氷上の気迫に委縮するばかりの自分が——なけなしの個性を、強い覚悟で食われるばかりの自分が、何を知った顔で語れるというのか。あれだけ気持ちをぶつけられた今ですら、自身のその弱さを憎んでいた。そんな自分が無力だと思った。情けないと思った。卑怯だと思った。


しかし、無力が故に情けないが故に、卑怯が故に。氷上が嫌悪し忌避する、氷上自身のそれを痛いほどに理解していた。


氷上、その人にかける言葉はない。


この人は、自力で言葉を見つけるのだから。


である以上は、自分は、氷上の傷に声をかけたい。


氷上が嫌う、氷上自身の、そして自分自身の傷に。


 そう思うと、自ずと背筋が伸びて、言葉が紡げる気がした。


「こだわらなくて、いいんじゃないかな?」

「だから話聞けよぉ」

「聞いてるよ。聞いたうえで言ってる。そんな言葉に」

「意味がある言葉かも」

「無駄だよ。氷上ちゃんが求めてるような意味は、絶対にない」


氷上が視線を上げた。口を開いて、耳を疑っている。


瞬間的に息が上がった湯下は、顎を少し上げて、


「氷上ちゃんの言葉を借りるなら……あの先輩も、生ゴミ」

「……」

「そして僕も生ゴミ。この店の客も店員もみ~んな生ゴミ。これで満足?」

「ええ?」

「満足しないと駄目だよね。そういう逃げ方をするなら」


少し怒ったような口調になったのは、氷上への苛立ちからというより、自分へのエールの気持ちから。


「逃げてねぇよ」

「『僕の曲』を聞きたいって言ってくれたさっきの言葉、あれもゴミ? 響きまくって、頑張ろうって思えた、僕のこの覚悟もゴミ?」

「そんな一朝一夕の会話と比べても」

「比べるよ」

「比べんなよ!」


氷上は、机上の『ハンプシャー・ボーイに花束を』を乱暴に手に取って、空中に叩きつける。


「かけてるコストが違うんだよこっちは!! 搾りに搾って搾りまくって、結局できたのがこの程度!」


机に叩きつけられる、『ハンプシャー・ボーイに花束を』。湯下はそれを目で追って、


「最高じゃん。一人で取り繕って、一人で気持ち悪くなるよりかは、ずっといい。どうせゴミなんでしょ? 尚更だよ」

「……」


湯下は、その一冊をゆっくり手に取ると、雛でも抱えるような手つきで、大切に大切にページを開いた。


「やさぐれて、目を逸らすようじゃ、無神経な読者連中と変わんないけど……」

「……」

「……でも。無暗に押し付ける痛みも知って、零さずかき集めた……この一字一句。ペンを走らせて、キーボードを叩いた全部の時間が……いわば、“愛情の詰まった音楽”だから」

「……」

「僕は、そういう演奏を届けたい。どれだけ出来が悪くても、最初から最後まで……“僕の”愛を届けたい」


 湯下は本を机に置き戻すと、笑顔で一息ついてから、氷上を見つめた。


「他に、書きたかった言葉はないの?」


茫然としたまま、しかし目は斜め下を所在なさげに向きながら、氷上は、


「……物語を絞めるような言葉じゃない。まとまんねぇし」

「批判が怖いか? 『皆を生かしてやってる』から?」


顔の全部の皺が寄るまで目を瞑り、絞り出すようにして氷上は、「うあ~もう! 分かりましたぁ」と言って、キーボードを叩き始める。今までで一番叩きつけるような、しかし自信にあふれた打鍵音だ。


「どうせ伝わんねぇ! 軽薄な奴に限って雑な文句つけるしよ。自分の人生の濃さをわざわざ証明したがる連中? しょうもね~!」

「甘えるなよ。腕の見せ所でしかない。伝わるまで書き直すしかないし……ほら、何枚だって書いたんじゃん?」

「え、なにを?」

()()()()()


 氷上は、そう意地悪に笑う湯下を咄嗟に睨みつけたのを皮切りに、十五分ほどかけて、ノートパソコンに向き合った。その間ただ座ったままの湯下も気にせずに、氷上は一思いに書き上げると、無言でノートパソコンの画面を湯下に向けて見せた。


 『ハンプシャー・ボーイに花束を』、最終話。


次回更新は2025/5/11予定です

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