7_再会
全9話です。
完結まで毎日更新する予定です。
再びノートパソコンを開いて、画面とにらめっこを始めた氷上を、湯下は見つめる。
「一名様ですかァ? ランチのラストオーダー近いんすけどぉ」
という例の佐藤さんの不満そうな声が厨房から聞こえた。大分長い間話している。そろそろ、まとめに入ってもいいかもしれない、と湯下は感じた。
「でも、同じじゃないかな? それを言うならさ」
「うん?」
氷上は声だけで返事した。視線と意識は、パソコン画面の原稿に向かっている。
「ホームズをパクろうが、先輩の言葉をなぞろうが、氷上ちゃんが紡いだ物語であることには変わらないよ。そもそもこの時代、『完全なオリジナル』を作るのだって難しいのに、ホームズと“比べられてる”時点で、世間のお墨付きだし」
「それがたとえ、意味不明の一言で終わる物語でも?」
「『窓辺の周りは峠だよ』——が、いいんでしょ?」
湯下にとって、これが今導き出せる最大級の結論であり、助言だった。最後の台詞——『大丈夫。窓辺の周りは峠だよ』の真意が不明のままでも、またいくらオリジナリティに欠けようとも、これまで続けてきたマードックとハドソンの大冒険の価値は変わらない。氷上が熱を持って形作った世界が揺らぐことはない。
ところが湯下の想定と違って、氷上の反応は芳しくなかった。眉間に沢山の皺を集めて、氷上は呆れて見せる。
「分かってないね~全然違う話だよ~?」
「……そうかな」
「月とスッポン、天と地の差。俺とお前じゃあ雲ッ泥のぉ……」
ノートパソコンから顔を上げて湯下を見返した氷上は、その姿勢のまま硬直した。口が半開きに放心している。目を見開いた視線の先は、湯下を通り越して向こう側、喫茶店の入り口の方へ向かっている。湯下が振り向くのとほぼ同時に、氷上は勢いよく立ち上がって、テーブルの横にまで歩みを進めた。
その対面から歩いてきたのは、小柄で、少しウェーブがかったショートボブの女性だった。スマホを見ながら、氷上に気づかず店内の奥に歩みを進める。それがつい先ほど入店してきた一名様のお客であることに、湯下はすぐ気づいた。
「先輩ですか?」
氷上は震えた声で問いかける。その女性は振り返ると、表情をぱぁっと明るくさせた。
「あ~!!」
「お、俺です。氷上緋衣。お久しぶりです」
「高校卒業ぶりだよね!? うわぁ~!!」
氷上に近づく先輩。腕を回したうえで、衣服の生地がよれるくらいには抱きしめる。氷上は、照れくさそうにしつつも、今出会えた感動に浸るように目を伏せた。
「今は何してんの? なんか、本とか書いてなかったっけ?」
……本“とか”?
「……はい、Web作家です」
「あ~夢だね! いいね! 氷上さんは、才能あったからな~!」
……“氷上さん”?
「……ハンプシャー・ボーイ」
思わず、氷上の口からついて出ていた。しかし先輩は、
「ん? 頒布……なに?」
と的を射ない。氷上は、苦しそうに目を瞑って力みながら、言葉を探す。
「先輩は、あれから書いてないんですか? ミステリー」
「あーもう、三十だからね! 博識ぶってもしょうがない」
そう明るく言い切る先輩に、氷上は言葉が見つからなかった。
「ん? 私、三十歳。見えないでしょ? 色々、向き合わなきゃな~」
「……応援してます」
「頑張ってね!」
一の腕辺りを軽く叩いて、すれ違おうとする先輩。
「大丈夫ですよ。窓辺の周りは峠です」
一筆書きでもするように、すらすらと氷上は呼び止めた。
「……懐かしい」
先輩ははっとした顔で振り向く。
氷上は、鼻で静かに呼吸しながら、続く先輩の言葉を待った。
「意味のない言葉なんだよね~。その割には、お洒落に聞こえるっていう! 笑ったなぁ」
……。
「ファイト!」
先輩は喫茶店の奥の方の席に向かっていった。もしかしたら二階席に上がったのかもしれない。湯下は、その方がいいと思った。氷上が、魂でも抜けたように蒼白していたからだ。
意味のない、言葉だった。
氷上は少し顎を上げて、何でもないような顔をして椅子に座り直す。それが強がりからくる表情であることを、湯下は知っていた。
「急拵えで取り繕ったから、不審者みたいな対応しちった。あれは~人違いだな。うん、絶対に人違い」
そう口角を上げる氷上の目は、四方に力んで開いていて、眼光が押すように鋭い。
「氷上ちゃん」
「なんだっけ? 『何をパクろうがなぞろうが、俺の選んだことに価値がある』だっけ?」
「……うん」
氷上は勢いよく首を傾げながら、くふっと卑屈に笑ってみせた。
「俺はね……雑な人生を生きてんの! それでいて才能もない。湯下とか先輩とも違って、何をやっ——ても微妙!」
口角を上げたまま断言する氷上が、湯下は悲しかった。
「僕に、才能がある?」
「俺にはない! いや、いらないよ? 才能なんてクソ喰らえ。どんな馬鹿でも搾り出したなら芸術家。分かってる。分かってるよ。でも——っ」
青ざめたまま呪文でも唱えるかのように、つらつら喋る氷上。急にどもると、生唾を飲み込んでみせる。その目は泳いでいて、机の上を必死に彷徨うと、ノートパソコンの向こう側に置いてある空のコーヒーカップに留まった。手を伸ばし、顔の横に持ち上げ掲げると、見開きっぱなしの眼で、腹から声を出す。
「コーヒー! 好き嫌いはあっても、苦くて美味いよなぁ〜! 豆を搾って生み出して? あ、いや挽いてんのか! まぁどっちでもいいわ!」
「そうだね」
「じゃーあ、生ゴミ入れてみよっかぁ! 苦くて美味そう〜風味が出そう〜……って! それは、コーヒーやないやないかーい!!!」
「……」
コーヒーカップを掲げて声を上げる氷上は、沈黙を受け取って腕を下ろすと、また生唾を飲み込む。青ざめた顔がさらに白んで、息をするのも苦しそうだった。
「伝わった?」
氷上の問いかけは、消え入るように細い。
「……違うんだよ俺は! いくら搾ってもクソ不味い! 搾ってんのに出てこない! 今だって何言ってっか分かんねえだろ? 俺の何が辛いか、分かんなかったろ!?」
「……」
「せめて最後。……『大丈夫。窓辺の周りは峠だよ』って……これに意味がないとさ」
「分かるよ。氷上ちゃんの気持ち」
湯下の共感に、氷上は声も出さずに苦笑する。違えたような鈍さで首を傾げて、震えながら腕を組む。
「……分かっちゃ困るんだよな〜。湯下とか先輩は……立体的で繊細で価値がある……で、俺だけがペラい……」
じゃないと、と続けて、氷上は口を噤んだ。じゃないとどうなるのか、今この瞬間、気づいたように。
「じゃないと?」
「……報われねえだろ……」
「誰が?」
「……俺がっ!!!」
次回投稿は2026/5/10予定です




