優しかった過去
最後の戦いが始まり、二つの稲妻が仮初の世界に破壊をもたらしていく。
二人は初めに、素手で決着をつけようとした。
魔人覚醒を行ったゲイオスは、ギルスの予想どおり圧倒的に力が増している。
彼が繰り出す拳や蹴りには、他の魔物や魔人にはない殺傷力が秘められている。
そして時折繰り出される白い稲妻が、何度も彼に衝撃を与えていた。
この世界はマリアベルが用意し、彼のために作り上げた仮の神域である。
決して狭くはない異世界の叡智によって作られた世界は、迎えるはずの神によって終わりが近づいている。
ギルスとゲイオスは、空の上でいくつもの火花を散らしていく。
その時、ギルスはどうして自分が思うように攻撃を喰らわせることができないのか、疑問が膨らんでいった。
何故か相手を滅する勢いで殴ることができない。躊躇する自分がいる。
それは神に対する畏怖なのか。これまで自身が積み重ねてきた罪への意識なのか。
しかしそれらは見当違いだったのである。いくつもの交差を重ねて、ゲイオスは一瞬でギルスの背後を取ると、右腕に強大な雷を纏わせた。
そして間髪入れず、まるで大砲のような光線を解き放つ。魔王は振り返った後、それを両腕で受けている。
この力は仮初の世界を破壊させるには、充分すぎるものだった。
稲妻の束を喰らいながら、王はそれでも集中を欠いている。彼の脳内はそれどころではなかったのだ。
(思い出している……これまでの全てを)
いよいよ忘却していたあらゆる記憶を、完全に思い出す時がきた。
ギルスにとって、これほどの精神的衝撃はかつてないことであった。
走馬灯のように、ありとあらゆる場面が思い出されていく。
それは魔王時代の既に忘れていた記憶から始まり、異世界に転移した時、ダンジョンに潜った頃、高校時代、中学時代、小学時代、幼稚園と……溢れんばかりの映像と言葉が頭に浮かんでは消える。
とうとう彼は自分の本名を思い出した。他にも沢山のことが頭に浮かぶ。
両親も親戚も友達も初恋の相手も、ただ見知っただけの人でさえも。
あらゆる記憶を思い出させてくれた白い稲妻。それが新たな真実をもたらそうとは、ギルスは予想もしていなかった。
ふと、遠くに浮いているドローンが目にとまる。
小さな子供の頃、ラジコンが好きで遊んでいたが、ふと壊して泣いてしまったことがあった。
あの時、父が宥めるように自分を抱き上げてくれた。優しい笑顔がギルスの脳裏に鮮明に浮かぶ。
そして人生における幸福を教えてくれた眩しい父の顔と、自らを殺そうと魔法を放っている男の顔が、今一つに重なる。
「……父さ……」
言いかけた時、彼は光の衝撃で吹き飛ばされ、大爆発に巻きこれてしまった。
魔王となった男は、神を恐れているわけでも、罰に怯えているわけでもない。
ただ、自身の大切な存在を傷つけることに、本能が抵抗していたに過ぎなかった。
◆
まだギルスが高校生の時のことだ。
彼はごく普通の高校二年生であり、それなりの青春時代を過ごしていた。
進路が気になっているけど、勉強は嫌だ。好きな女の子にどうしたら振り向いてもらえるか考えてばかりいる。
中学の頃は野球部だったが、高校に入ってからはバイトをして、お金を貯めては友達と遊びに行くような日々だった。
こうして自分はのんびりと過ごして、のんびりと大人になって、ごく普通の人生を過ごす。そんなぼんやりとした予感があった。
そんな彼の生き方を、根本から変えてしまう日が訪れようとは、一体誰が予測できただろうか。
ある日、バイトが終わって家に帰ると、母が落ち着きなく誰かと電話していた。
(おふくろ、なんかあったのかなぁ。まあいいや、テレビ観よ)
彼は母の深刻そうな顔を、特に気にしていなかった。
何においても大袈裟なところがあり、そそっかしい母親の悪い癖が出ているのだと、呑気に考えていたのである。
母はバイトで疲れた息子のところにやってくると、父がダンジョンから戻ってこないと言った。
「あの人、ダンジョンとかいう、最近見つかった変な場所があるでしょ? あそこから戻ってこないのよ。もう夜なのに」
「すぐ戻ってくんじゃね。ああいうのって時間かかるらしいよ」
この時、世界にダンジョンという迷宮が生まれたばかりであり、日本にはまだ一つしかなかった。
誰もが強い関心を持ち、怖いもの見たさで冒険を試みる。この当時は今ほど情報がなく、いかに恐るべき場所であるかが正しく認知されていなかった。
やがて、父の友人四名が血相を変えて家に飛び込んできたことで、彼はいかに自分の考えが甘かったかを思い知らされることになる。
「あの人が、消えた……?」
母の震えた声を思い出す。父こそがダンジョンで失踪した最も初期の人物だった。
高校生だった彼の心に衝撃が走る。これまで何の事件に巻き込まれることもなく、平穏に過ぎ去るはずの日常が、唐突に終わる日がきてしまう。
当時父は魔物に殺されたと思われていたが、友人の話を聞いたところ、突然光の中に消え去ってしまったという。
最初は父の友人が、嘘をついていると疑った。
だが同じような話が度々聞かされることになり、やがて一般的な失踪のケースとなっていく。
ダンジョンに限らず、突然異世界に転移してしまう者はいる。
ただ、ダンジョンで消えてしまう事案の件数が多いことは確かであった。
ギルスは父を尊敬していた。サラリーマンとして朝から晩まで働いているのに、家族サービスを忘れず、沢山の友人に慕われていた。
高校生の時は野球部で主将を務め、甲子園で二回ほど勝ったらしい。
いつも父は爽やかで、心の中では自慢の父であった。
思春期になり、あまり素直に接することはできなくなっていたが。
ギルスはどうしても、父を失ったという現実を認めたくなかった。
その想いは、母もきっと同じだと信じていた。だから彼は、彼なりに解決しようと動く。
高校三年生の時、ギルスは友達五人を引き連れて、父が失踪したダンジョンへの探索を試みた。
テレビや雑誌でよく周知されていたが、実際に見た魔物はあまりに恐ろしかった。
それでも彼は、奥へ奥へと進みたがる。しかしこの時、あまりにも不運な事故が起きた。
スタンピードと呼ばれる、魔物達が突然押し寄せる事態が巻き起こったのだ。
少年少女達になす術はなく、ただ逃げることしか出来ない。
そんな中、ギルスだけが階段へ辿り着けず、逃げそびれてしまった。
あの時感じた恐怖は、もう遥か昔のことである。それでも、どれほど怯えたのかを思い出せる。
「母さん! 母さん!」
死を間近にして、浮かんだのは母の顔だった。
異形の怪物に囲まれ、食い殺される寸前、気がつけば叫んでいた。殺されるという実感があった。
しかし、運命は少年を手放そうとはしない。突如として白い輝きが、彼の体を包んでゆく。
父を奪い去った光が、今度は自分に注がれているなど、彼は知る由もなかった。
こうしてギルスは、異世界へと転移したのである。
◇
(思い出した……全てを)
白い雷光の中に身を浸してなお、彼は無表情であった。
しかしその心は、人生の悲しき皮肉に翻弄されている。
(俺はユリカさんと同じだった。ダンジョンの奥に、父を求めて……)
だが、父は今や人類を強制的に従わせるつもりだ。逆らうなら滅ぼすつもりでいる。
どうしてこうなったのか。ギルスは深い苦悩の海へと放り投げられてしまった。
(そうだ。俺がどうしてもしたかったことは……)
同時に、地球に戻ってしたかったことも思い出していた。
永いあいだ感じることがなかった、胸の痛みが込み上げている。
(……俺が止めなければいけない)
いつの間にか、ギルスは地球に戻っていた。瓦礫の山の中でぼうっとしていた瞳が、徐々に力強さを取り戻していく。
ボロボロになった上着を脱ぎ捨てると、同じくして地球に現れた白い光を見上げた。
(相手が父だとしても)
いつしか王となった男は、とうとう迷いを捨てた。赤い瞳がこれまでよりいっそう輝き、何者をも凌ぐ覇気を身体中に纏っている。
彼は誰もが恐れる、黒き雷光の魔王へと戻っていた。




