結界を超えて
ギルスはタダオのことを警察に伝えた後、もう一度スタジオに戻ってきた。
救急車が何台も停まっていたが、不自然なほど現場から距離が遠い。
救急隊員に声をかけてみると、どうやらこの辺りに魔物が出没しており、特にスタジオのあるビルには沢山いるらしい。
(妙だな。ダンジョン瘴気がない限り、魔物は地上で活動できないはずだが)
地球ではダンジョン瘴気というものがない限り、魔物が地上にやってくることはない。
それはかつて見知った記憶であり、彼はまた一つ自然と過去を思い出していた。
スタジオに向かおうとしていた矢先、背後から聞き覚えのある声がした。
「ギルスさーん!」
振り向いてみると、救急車の側にいたエイリーンであった。隣にはユリカもいる。
二人は負傷しており、念の為病院で診察を受けることになったのだが、エイリーンはすでに元気であった。
ギルス目掛けて駆け出したかと思うと、ジャンプして抱きついてしまう。
「ちょ、ちょっと。エイリーンさん」
この大胆な行動には、ユリカも驚きを隠せないようだ。ギルスはといえば、特に変わらず淡々としている。
「今回も助けられちゃった! ありがとー!」
「気にするな。それより、早くこの場から離れたほうが……」
この地からは、不吉な何かを感じる。
彼はこれから起こる何かを注意するつもりだったが、顔に柔らかい胸を押しつけられ、何をいうべきか分からなくなってきた。
「ちょ、ちょっと! やめてください。ギルスさんが迷惑しています!」
「え? そんなことないよ。ねー?」
ユリカがやってきて、エイリーンをギルスから無理やり離そうとする。当の本人はひたすら困惑していた。
ようやくエイリーンが離れると、ホッと一息ついたユリカが、頭を下げてくる。
「なんだか、私のほうが助けてもらってばかりですね。ギルスさん、ありがとうございます」
「とんでもない。それより、二人とも怪我は?」
「ぜーんぜん平気!」
「私も大丈夫です。でも、これから一応病院に行くことになりました。スタジオ……本当に大変なことになってて」
ユリカは先ほど起こった事件を思い出し、震えていた。あのような殺戮に巻き込まれたことなど、もちろん初めてである。
異世界で何度か修羅場を経験していたエイリーンと違い、彼女にとってどれほどの衝撃となっているか。ギルスはユリカを案じていた。
(春巻くん……)
もう一つ彼女にとって気がかりだったのは、春巻のことだ。先ほどボロボロの姿になって、警察に連行されていくところを目撃していた。
一体何がどうなっているのか、ユリカは混乱している。そんな彼女に、ギルスは小さく微笑んだ。
「いろいろおかしな事が起こっているようですが、きっと大丈夫です。俺は警察に行かなくてはいけないので、ここで失礼します」
「は、はい! お気をつけて」
「またねー! 今度ちゃんとお礼するね」
ユリカはギルスの微笑みと言葉で、心が安らぐのを感じた。エイリーンは手を振り、最後に投げキッスまでしている。
ギルスは二人に手を振った後、一度はスタジオ方面から離れるように動いた。もう一度あそこに向かおうとすれば、ユリカは止めるだろうと思ったからだ。
だから少々遠回りをして、別の道からスタジオに向かう。
この件はまだ終わりではない。むしろこれからだという予感がした。裏側からスタジオのあるビルへと来てみると、警察が銃で奇妙な狼を撃とうと奮闘していた。
「く! こいつ……うわぁ!」
「大丈夫ですか」
赤い奇妙な狼を、ギルスは後ろから掴んで持ち上げている。しばらくして、狼はまるで霧のように消え去ってしまった。
(ダンジョン瘴気が出ているが……まだ弱いのか)
「ギルスさん! あ、ありがとうございました。いやぁ、死ぬかと思いましたよ。っていうか、ここは危険です。踏み込もうとしていますが、さっきみたいな化け物ばっかりで」
「片付けておきます」
「え? ……あれ」
その一言を残して、彼は警官の前から消えた。
◇
スタジオの中に入ったギルスは、同じく警官達が集団で魔物と戦っている姿を見つけた。
彼は指先から微かな黒い稲妻を生み出し、魔物達を消滅させると、そのままスタジオの奥へと入っていく。
中は遺体だらけとなっており、あまりに惨たらしい。まだ死臭は漂っていない。
不思議なことに、惨殺された遺体だらけだが、血がほとんど流れていなかった。
(これは、俺のカードか)
ギルスは、なぜか床に自分の帰還者カードが落ちていることに気づいて拾った。恐らくは、春巻が落としたのだろうと推測している。
奇妙な偶然だと思いつつ、今はカードよりも気になっているものがあった。それはこの場では見えないが、確実に存在している力である。
(やはり……魔力を散らしている)
ギルスはタダオとやり合っていた時、特異な魔力がスタジオから生じていることに気づいた。
だが、この魔力は時間が流れるほど、都内のありとあらゆる場所から感じるようになる。
恐らく魔力の主は、感知され場所を特定されないよう、魔力を他方に散らしていると彼は踏んでいる。
こういった芸当ができる者は、かつていた異世界でも限られている。少なくとも、ギルスの知るなかでは数名しかいない。
(これは……見たことのない女だ)
スタジオの中に置かれていた祭壇に、一枚のカードが置かれている。
長い紫髪と、赤いドレスが印象的な女であった。彼の記憶にはない。一体何者だろうと思考していると、外が騒がしくなったことに気づいた。
そして、これまでにない強大な魔力もまた、スタジオの外から急に出現していたのである。
急いでビルを出てみると、誰もが空を見上げていた。信じられない光景に驚愕している。
東京タワーよりも高い位置に、白い神殿が現れたのである。それは古代ギリシャにあるものに似ており、輝きを纏いながら静かに降下してくる。
ギルスの瞳には、神殿の上にごく小さな石が浮かび、そこから光が放たれていることが確認できた。
タダオとやり合った時に見た石と、同じ形と色をしている。
人々は驚き、恐れ逃げ惑う者さえいる。かと思えばスマホを掲げて撮影している者、近づこうとする者など、反応はさまざまであった。
しばらくして、それは大地に降り立った。白き神殿には長い階段が用意されている。
場所は東京タワー近くの公園であり、広い芝生をまるごと埋め尽くしてしまった。
街はパニック状態となり、多くの人々が神殿の周りに集まろうとした。しかし、なぜか神殿には見えない壁があり、どうしても中に入ることができない。
少しして現地にやってきたギルスは、結界が貼られていることに気づいた。
(これは異世界でもそうそうない。上級の領域結界だ)
この結界は、例えミサイルを打ち込んだとしても破壊できない。尋常ではない強度と継続性をもった、見えない壁であった。
人集りが増えていくなか、彼は静かにそれに近づいていく。神殿の階段にあたる位置に、何人もの警官がやってきていた。
だが彼らはそれ以上に進めない。それに興奮状態の野次馬が溢れており、彼らについても注意しなくてはならなかった。
「あ! もしかして? ギルスさーん!」
この時、彼がよく知る声がした。顔を向けてみると、皐月アオハが手を振っている。
ダンジョンコレクターズのメンバーもおり、みんなで駆け寄ってきたところだった。騒ぎを知り、影山の車を飛ばしてきたのである。
「ここにいたんですか! スタジオはどうでした?」
質問してきた影山は、いつもより興奮している。
「タダオは捕まりました。でも、まだ終わってません。この先にあるものが……」
「そうでしたか。いやぁ、まだテレビでも続報がなかったので、気になっていました。つまりこの神殿みたいなものと、タダオは関係があると?」
周囲にいた野次馬も、この話に興味津々である。ギルスがいたことを知り、歓声を上げている者もいた。
「恐らく。それと、急ぐ必要があります。この神殿からは、ダンジョン瘴気が漏れ出ています」
「ダンジョン……まさか」
影山とダンジョンコレクターズのメンバー達は、突然の情報に顔を見合わせた。
ギルスの言うことが本当であれば、重く滞留しやすいダンジョン瘴気は徐々に拡散され、ダンジョンから魔物が飛び出す可能性がある。
「ギルスさん、それがどうして分かるのですか」
「俺のいた異世界と同じ空気に、近づいているからです。これ以上は、あまり上手く説明できません。これから消しに行きます」
「え……消しに?」
そう告げると、彼は真っ直ぐに歩き出した。誰もが弾かれる見えない壁の前に立つと、赤黒い輝きがうっすらと全身に現れた。
そして、そのまま壁の向こうへと何事もなく通過したのである。内部に入った時、ギルスの周辺に白い光が現れ、埋まっていくようであった。
ただここで、アオハが慌てたように叫んだ。ギルスのドローンを持っている。
「あ! ご、ごめんなさい。ギルスさーん、忘れ物あるんですけど、どうしますか」
「ん? ああ、それか」
なんと彼は結界からもう一度戻り、普通にドローンを受け取った。
「ここは危ないから、逃げたほうがいいぞ。それと、みんなにも避難しておくように伝えてくれ」
「えええ! すっご……は、はい!」
アオハはまたしても彼に驚愕していた。ダンジョンコレクターズも同じである。
かくしてギルスはたった一人で、神殿の入り口へと続く階段を登り始めた。




