末路
スタジオの中は、薄暗い闇に包まれている。
先ほどまでの騒ぎは嘘のように静まり、静寂に包まれた室内で、一人の男が苦しげに呻いていた。
「ぐ……タダオめ」
内臓が破裂したかと思うほど、強烈な膝蹴りを腹部にもらった春巻は、ようやく痛みを堪えつつ立ち上がった。
彼の目に映ったのは、悲惨な遺体の山ばかり。
「魔物だ! 魔物が何匹もいるぞぉ!」
「撃て! 撃て!」
外で物騒な声がして、ようやく我に帰った彼は、絶望に苛まれながらもその場を離れようとした。
これほどの事件となってしまった以上、事細かに調査されるのは明白である。
そうなれば、自分が犯した不正はたちどころに暴かれる。そして今回の異世界召喚自体を承認しなければ、悍ましい事件が起こらなかったことも。
これから裁判にかけられ、重大な罰を言い渡されることが決まっている。そう春巻は自覚していた。
先ほどまでの怒りは消え、憂鬱な気分へと変わっている。ふらつく足取りで、二、三歩進んだところで、物音がしたことに気づいた。
「……誰か生きてるのか」
振り返ると、驚くべきことに遺体の山から何かが這い出てきた。百木リリである。
「あり得ない……本当に、この私が死んだらどうするつもりだったわけ。はあ、この役立たず!」
息を切らしながら立ち上がった彼女は、黒道の遺体に蹴りを入れた。しかも一回だけではなく、二回、三回と物言わぬ魂の抜け殻を痛ぶる。
「やめろ。もうすぐ警察が来るぞ」
「来るの遅すぎでしょう。っていうか貴方はなんなの?」
百木は春巻のことは、勿論知っている。八つ当たりの捌け口として、利用するためにまずは軽い質問から入っている。
この事件が起こった責任はお前にもある、そういった文句をつけたい気持ちがありありと出ていた。
春巻は生き残った女がうざったくなり、そのまま無視をして帰ろうかと考える。だが、百木など瑣末に思えるほどの、奇妙な現象に見舞われた。
スタジオ内に流れている、夥しい血。それらが少しずつ動いている。目で追っていくと、百木の後ろに吸い寄せられていることが分かった。
「話聞いてるの?」
「おい。後ろを見ろ」
「は?」
「お前の後ろだ」
「はぁ? 今……お前って言った?」
百木は自分を「お前」呼ばわりされることが堪らなく嫌いである。冷めかけていた怒りが再び燃えてきた。
矛先を向けられた春巻は、そんな怒りなど知ったことではなかった。話している間にも、血はどんどんスタジオに集まっていく。
「お前にお前なんて、言われたくないんだけど。ってか男なんだからさぁ、」
百木はまたも感情的になり、考えうる限りの罵倒を投げかけようとした。しかし途中で口が止まってしまう。
彼女もまた、何かが起こっていることにようやく気づいたのである。
肉を焼くような音がした。同時に、何かを飲んでいるような音も聞こえる。
百木の背後で、何かが起こっている。春巻は頭の中が麻痺しており、ただ立ち尽くしている。
歌が聞こえる。か細い声が、百木の後ろで確かに歌っている。
アア……神ヨ……ワタシ……ノ……神……ヨ……。
イマコソ……イマコソ……ワタシノ……ニ……世界ノ……タメニ……。
「へ? へ?」
百木リリは何が起こっているか分からず、それをじっと凝視していた。
スタジオの中央にいたミイラが、異臭を放ちながら起き上がる。全身が血で染まっている。
大量の血液がひたすらにより集まり、身体中を真っ赤に染めていった。いよいよ立ち上がったそれは、よろめきながらこちらに迫ってくる。
イマコソ……白キ……牢獄……カラ……ソノ身ヲ……御姿……ヲ。
ワタシノ……前ニ……世界ノ……前ニ……。
「ひぃっ! ちょ、ちょっと」
「ホーリーだ! 貴様のホーリーでどうにかしろ!」
春巻は叫ぶと共に、スタジオの出口まで走った。百木も走って逃げようとしたが、何かが足首に巻きついて転んでしまう。
「ぎゃ! な、な……く、黒道ぃいい?」
足首を掴んでいたのは、黒道であった。だが顔にはすでに表情がなく、腕だけが別の生き物のように伸びている。
「離せ、離せコラァ! 死ね! お前みたいな奴は一人で死ね! さっさと死ね!」
百木は渾身の蹴りを黒道に喰らわせるが、握り締めた手は力強く、動きを封じられてしまった。
「アア……アア……」
血まみれのミイラが、少しずつ寄ってくる。しかも血が集まってくるにつれ、それは徐々に人の姿に戻ってきた。
一方春巻は、必死にスタジオの外まで駆けようとした。光が見えるその先に、彼は辿り着けると信じていた。
しかし、突如誰も触っていないはずの扉が勢いよく閉じてしまう。
「な、なんで!」
春巻は扉を掴み、全力で開けようともがいた。しかし、押しても引いてもビクともしない。
焦りと恐怖が膨らむ中、背後で大声がして彼は震えた。
「ホォーーーーリィイイイイイ!」
誰かが奇声を発した。ふとそう思った春巻だったが、振り向いてみると百木が魔法を放っていた。
白い柱がスタジオに現れ、神々しい輝きでミイラを包む。
(百木の奴、まさか本当に倒したのか!?)
得体の知れない化け物を、聖なる魔法が浄化させてしまった。誰もがしばらくの間は、そう錯覚するであろう。
だが、春巻は知らなかった。百木のホーリーなど、ほとんどのアンデットに効果のない偽物であることに。
ここで彼女は、自らが微かな才能に溺れ、一切努力をしてこなかったツケを払うことになる。
そして多くの人々を、自らの気分で傷つけてきた報いを受けることになった。
白い光の中から、赤い頭がぬるりと出てくる。百木は悲鳴をあげた。今もまだ、黒道の腕に足を掴まれたままだ。
「ちょ、ちょっと! お兄さん!」
パニック状態に陥った彼女は、春巻が逃げた方向に叫ぶ。まだ遠いが、彼は確かに彼女を助けられる位置にいた。
「助けて! お願い、助けてえええ!」
いよいよミイラが、百木のすぐ側に迫っている。だがちょうどこの瞬間、なぜか閉まっていた出口への扉が開いた。まるで彼を試すかのように。
春巻は決断を迫られた。もうすぐ人の姿に戻りつつあるミイラが、百木リリに何か恐ろしいことをするはずだ。
全速力で駆けつければ、百木を助けることは可能かもしれない。
しかし、相手はどれほどの化け物か未知数であった。それに逃げ道はすぐそこにある。女を見捨ててしまえば、自分は助かるはずだ。
「何見てんの! 早く助けて! 早くぅううう!」
百木の叫びや懇願が、虚しいほど春巻に響かない。彼はタダオのチームメイトについても、よく調べている。
いま恐ろしい目に遭っている女が、いかに傲慢で執拗で攻撃的で、恩知らずであるかを知っていた。
性被害を装い、何人もの男を刑務所に送り込んだことも知っている。
やがて彼は決断した。何も告げず、ただ黙って扉を出て逃げたのだ。
「お、おいいいい! 待てコラァ! 待……」
ふと、頭の上に何かが乗ったことが分かる。細い指先だ。
「オオ……何ト汚ラワシイ血。シカシ……致シ方ナシ」
「ひぃぃ。や、やめて。い、いやあああああ!」
指が頭蓋骨に減り込み、何かが吸われていく。まるでストローで吸っているかのように。
奪われているのは、彼女の体全てを巡るエネルギーであり、肌であり、若さであった。
百木リリは信じがたい激痛と喪失に、絶叫せずにはいられなかった。どうにかして抵抗しようと、ひっくり返った虫のように手足をバタつかせるが、それを振り払うことはできない。
やがて体中がシワだらけになり、骨は曲がり、髪は白髪になってしまう。
気がつけば百木リリは、まるで百歳近い老婆の姿になっていた。
「ぶお、おおお……お……」
「……ふぅ。さて、あなたは生かしておきましょうか。残り僅かな時を、存分に生きなさい」
蚊の鳴くようだったか細い声が、すっかり様変わりしていた。妖艶さを感じさせる声色が、老婆となった百木の耳に響く。
全てを奪い尽くしたミイラは、完全に人の姿に戻っている。
長い紫髪は美しく、顔はすっかり精気と若さを取り戻し、怪しいフェロモンを振り撒いていた。
「いよいよだわ」
女が右手を広げると、天井から一つの石が静かに降臨した。タダオが持っていた剣に嵌められていた物である。
彼女は奇妙な石を使い、何かを起こそうとしている。それはタダオの無差別殺人でさえ霞むほどの、危険な劇の始まりであった。
そしてもう一つ、注目すべき変化がある。紫髪の女に呼応するように、祭壇に捨てられていたカードに、奇妙な灯りが灯ったのだ。
灯りが消え去った時、何も描かれていないはずのカードが変化していた。
赤いドレスを纏った、つい先ほどまでミイラだった女が描かれていたのである。




