放送事故
「ギルスギルスギルスギルスギルス……最近の君はそればかりだ!」
一階にあるスタジオから出た通路で、春巻はユリカに詰め寄っていた。
今この場において、押されているのは彼女のほうである。
帰還者カードの件や、異世界召喚の期間ルールを無視した件について話をしていた筈なのに、いつの間に強引に論点を変えられてしまった。
「待って。今はギルスさんの話じゃないでしょ」
「いいや、大いに関係がある。どうして君はいつも、あの男の話ばかりするんだ。まずはそれに応えろ!」
「それは……私があの人の担当だから」
ユリカが答えきる前に、彼は右手で力強く壁を叩いた。
「きゃ!」
「誤魔化すな! 明らかにあいつにだけ付きっきりじゃないか。本来なら、もう放置しても問題ない筈なんだ。それなのに」
春巻の右手は、彼女の顔近くに置かれている。壁に追い詰められているような状態となり、二人の距離は不必要に近づいていた。
「はっきり答えてもらおうか。君はあの男に惚れてしまったんじゃないだろうな?」
想像もしていない質問をされ、ユリカは目を丸くした。同時に心臓の音が高鳴り、なぜか罪悪感が生まれてくる。
「私は……」
しかし、この質問にユリカは答える気になれない。自らも戸惑う心の奥にある熱い何かを、春巻に語る気にはなれなかったのである。
そして拒絶するように、横目で通路の奥を見つめた。
「今話すべきことじゃないわ。それより早く——」
「何故だ!」
春巻の怒鳴り声と形相に、ユリカの体がビクリと跳ねた。
(否定しなかった……否定しなかった! もう確実だ。ユリカはあの男に……)
怒りのままに、彼は思い人の両肩を力強く掴む。
「痛い。ちょっと春巻くん、やめて」
「なぜあんな男に惚れるんだ? 一体どうしてだ? もっと君に相応しい男がいるだろう。どうして、どうして俺じゃ、」
言いかけた決定的な言葉を、ユリカは聞き取ることができなかった。
強烈な爆音がスタジオから聞こえ、同時に尋常ではない大声が重なって聞こえたからである。
通路にいた二人は、同時にこの異変に気づいた。続いて悲鳴と共に、スタジオの扉から数名が逃げ去っていく。
彼ら彼女らは尋常ではない怯えようで、何か重大なことが起こったことを予感させるに充分であった。
「なんだ……この音は……」
「事故が起こったかもしれないわ。行きましょう!」
「事故だって? 一体どんな事故が起こるっていうんだ」
「とにかく来て!」
春巻から逃れたユリカは、そのままスタジオへと続く扉を開いた。だが一歩足を踏み入れた瞬間、彼女の頭は真っ白になってしまう。
それはまさに地獄とも言える光景であり、あってはならない事態そのもの。
スタジオ内で、三十名を超えるスタッフが倒れていた。誰もが体のどこかを欠損しており、大量の血を流している。
彼らだけではなく、レギュラーやゲストも悲惨な姿へと変わり果てていた。
黒道は身体中を切り刻まれ、痙攣しながら死ぬ寸前であった。百木リリも倒れている。
ダンジョンインフルエンサーと呼ばれるゲスト達もまた、ほぼ即死状態である。
唯一、スタジオで明確に生存が確認できるのは、たった二名だけ。
一人は白い剣を振り回し、いやらしく笑うタダオである。もう一人は、彼の剣撃を寸前のところで回避している江古田エイリーンだ。
タダオは今までのどの瞬間よりも早く、異常な速度で切りかかってくる。
それに対し、エイリーンは身軽さで剣をかわしながらも、防げない瞬間には障壁魔法という、光の壁を用いて防いでいた。
剣の一撃で魔法の壁は破壊されてしまうため、結果的に回避と組み合わせる必要があり、反撃に移る暇がない。
(タダオ君……ガチで人が変わってるぅう!)
多くの者があっさりと葬られる中、エイリーンだけが食い下がっていた。
彼女はパニック状態にありながらも、異世界で学んだ危機への迅速な反応により、どうにか殺されずに済んでいる。
「まさか……! これはタダオさんが?」
ユリカの頭が徐々に働き出し、一つしかない結論に怯える。その彼女を差し置いて、一人の男が狼狽しながら前に出て行った。
「待って! 春巻くん!」
「お前が、お前がやったのかタダオぉお!」
タダオの異世界召喚を許した男は、鬼気迫る顔で絶叫した。エイリーンが突然の叫びで動きが乱れ、動きに隙が生まれた。
「ああ! そのとおりだぜ!」
不気味な笑みを浮かべながら、タダオは剣を斜め下から上に振り上げ、チームメンバーである女の魔法障壁を破壊した。
そしてガラ空きになった腹部に蹴りを入れ、思いきり吹き飛ばした。
「あぐっ!」
「エイリーンさん!」
エイリーンは奥の壁に激突し、前のめりに崩れ落ちた。
実はこの時、遺体の山に隠れて息を潜めていた百木リリは、危うく悲鳴を上げそうになった。
スタジオ内では百木が助けられる命もあったが、彼女は自分の命を優先し、死んだフリを続けている。
その頃、ユリカはエイリーンを救うべく、彼女が倒れている壁まで向かおうとしていた。だが、迂闊に接近するとタダオに切られてしまう。
本来ならば、エイリーンはタダオよりも強い。しかし今、彼は奇妙なほど強さを増しており、手がつけられなくなっている。
「俺はどうやら女神を召喚したらしい。彼女が言うんだ。この剣は聖なるつるぎだってよ。こいつで切って切って切りまくっていれば、楽園に入れるらしい。そこに辿り着けさえすれば、白き神が俺に慈悲を与え、全てを満たしてくれるんだ」
彼の説明には、ユリカも春巻も理解が及ばない。
ただ、この死体の山を作り出したのが彼であることは、もう間違いない事実だった。
「タ……タダオくん……あなた……」
「馬鹿が! この馬鹿野郎が! 自分のしたことが分かっているのか!」
呆然とするユリカと、身を焼き焦がしそうな怒りに駆られる春巻。タダオは粘着質な目で二人を睨んでいた。
「もうすぐここに警察が来るわ。これ以上馬鹿な真似はやめて」
「馬鹿な真似え?」
タダオは春巻よりも、ユリカに強い関心が湧いていた。何故なら、頭の中で優しげな女が、何度もこう繰り返してきたから。
『あの女は極上の贄となりましょう。あの女を切れば、あなたは全てを手に入れることができる』
異常なほど見開かれた目が、ユリカの姿を映している。剣を持ったまま、彼は二人に近づいてゆく。
「何が馬鹿な真似なんだ? あと少しで、俺は全ての夢を叶えることができるんだ。お前は俺の夢が馬鹿だって言いたいのか。あ?」
「やめろタダオ! 剣を下ろせ。お前の夢はもう終わった」
しかし、ゆっくりと迫る男は、大量の返り血がついた剣を捨てようとしない。
「アンタの工作のおかげでさぁ。俺はこうして目的のモノを手に入れた。その点についちゃ感謝してるぜ。だがな春巻……声がいうんだよ。きっと美人の女に違いねえ、いい声がな。お前はもう用済みだってよ!」
男はすでに、春巻の言いなりではない。もっと得体の知れない何かの人形となり、見境なしに殺人を犯そうとしている。
血を吸い続けた剣が、まだまだ足りないとばかりに二人を襲う。
「うわぁ!」
首筋を目掛けて飛んできた剣を、春巻はしゃがんでかわすことに成功したが、あまりにも動作が大きい。
「い、いやあ!」
ユリカは肩にかけていたバッグを投げつけ、同僚を助けようとした。しかし、タダオはそれを避けようともしない。
そして春巻に膝蹴りを喰らわせつつ、すぐにユリカの元へと迫る。彼女を優先的に殺す必要に駆られていた。
標的が自分に移ったことを認識した彼女は、なりふり構わず背中を向け、全速力で逃げ出した。
しかし、タダオの足から逃げられるものではない。スタジオを出て、通路を駆け抜けようとした時には、すぐそこまで迫られつつあった。
「死ね、」
剣を細い背中に振り下ろそうとした、まさにその時。彼の体が衝撃で舞い上がった。
突如として発動した爆発魔法が、男を吹き飛ばしたのだ。続いてスタジオから、エイリーンが飛び出してくる。彼女がユリカを救っていた。
「あれじゃダメなの? 嘘ぉ!」
室内かつユリカとの距離が近いこともあり、エイリーンのフレアは普段より威力が抑えられていた。
しかし、それでも人ひとりなら充分過ぎる破壊力だったはずだ。なのにタダオにはさして効いた様子がない。
さらに最悪なことに、ユリカはこの衝撃で転んでしまった。心が麻痺した殺人鬼はこの機会を逃さず、上から容赦なく剣を振り下ろす。
「ひっ!」
「ふぅん!」
だが、ここで二人の間に割って入ったエイリーンが、魔法障壁を駆使して剣を止める。
それでも、やはり一度で破壊されてしまう。エイリーンもまた転倒してしまい、二人は重なり合う形になってしまった。
「ちょうどいいじゃん! よっしゃああああ!」
タダオにとって最大の好機が訪れる。二人はもう逃げられないとばかりに、体をこわばらせて固まった。
禍々しい白刃が無慈悲に煌めく。死が訪れるのは、あと数秒。
それでも時として、奇跡は起こる。
殺意に塗れた剣は、彼女達の上で止まったままであった。恐る恐るユリカが目を開くと、そこにあったのは見知った優しい背中である。
黒き雷光の魔人、ギルスがそこにいた。なんと剣を素手で掴んでいる。
「大丈夫ですか」
「あ……ああ、ギルスさん……」
「ふぇ!? ぎ、ギルスさん!」
ユリカとエイリーンの身に、驚きと安心が広がってゆく。彼女達にとって、こんなにも頼もしい背中は他になかった。
「て……て、てめえ」
殺人鬼と化した男が、怒りと焦りで顔を歪ませている。
「お前がここまで人を殺すことになるとはな」
「黙れ、次はお前の番——あ、ああああああー!?」
ギルスはただ適当に、剣ごと彼を片手で投げ飛ばした。猛烈な速度で窓ガラスを突き破り、タダオはまたも宙を舞う。
それでも男は、血塗られた剣を離そうとはしない。ギルスもまた、彼をこの程度で許すつもりはなかった。
地球に戻ってきて以来の因縁を、今終わらせようとしている。




