激情
「畜生がぁあっ!」
二日後に退院した海老沢タダオは、行きつけのバーで怒りを発散していた。
酒を煽りながら、何一つ上手くいかない現実を呪い続けている。
彼は入院中から今まで、ずっとダンジョン庁にメールを送信し、異世界召喚の申請を行なっていた。
しかし、いずれも前回の召喚からの経過日数が、規定されている期間を過ぎていないことにより、対応できかねるという返事の繰り返しであった。
「このチケットさえあれば、待望のパーティ二人目のSSが手に入るってのに」
さらに百木リリからは、本当に誹謗中傷で訴えるというチャットが届く。黒道からはあと一ヶ月でパーティを抜けさせてほしい、という相談を受けていた。
エイリーンは大学が忙しくなりそうなので、これから常に参加はできないかもしれないという。
ちなみにエイリーンは一年半という、短い期間での異世界転移者であり、失踪時から大学生だった。
ダンジョン庁が掛け合い、在籍していた大学への復学が認められたという経緯がある。
「俺のチームから、何で急に二人も抜けるなんて言い出すんだよ。クソが、しかもエイリーンまで来れなくなるって。それじゃあ実質、俺しかいなくなっちまう」
ただ、彼の知名度ならパーティメンバーはいくらでも補充が可能だ。
しかし、今のタダオはギルスへの的外れな復讐心で事を急いでいた。かつ新規メンバーの募集や細かい面談、調整を自分でするのが面倒でたまらない。
さらにUtubeチャンネルの再生数も、最近では露骨に落ちてきている。このままでは収益も大幅減となり、運営自体が苦しくなってくる。
タダオチャンネルの視聴者達は大幅にアンチが増えており、低迷化に拍車がかかっている。これも彼が焦っている理由の一つだ。
かつての人気インフルエンサーは自暴自棄になりかけており、これまで以上にウイスキーを飲み散らかし、マスターの顔を顰めさせている。
「タダオさん、ちょっと飲み過ぎです。この前みたいに潰れてしまったら」
「ウルセェ! お前は俺の苦労を一ミリでも分かってから文句を垂れろ。こんな楽な仕事で稼いでるくせによ」
タダオはあらゆる職業や、立場の大変さについて理解しようとしない。彼よりもマスターのほうがずっと過酷な毎日を過ごしていたが、顔に出さないだけである。
いつだって彼は、自分が誰より辛い思いをしていると、そう信じているのだ。
マスターは、彼が何を言っても無駄な人であると判断しており、ムキになって応対せずに流した。
そして今日も酔い潰れていく流れが見えてきた。だがかろうじて踏みとどまり、よろけた足取りでバーを出た。
でも飲み足りなかった彼は、コンビニで適当なウイスキーを買うと、歩きながらラッパ飲みを始めてしまう有様であった。
(なんてみっともない姿だ。こんな男が人気者とは……世の中が狂っているとしか思えない)
その見るに耐えない姿を、背後からずっと注視している男がいる。人通りが少なくなってきたところで早足になり、彼の隣に並んだ。
サングラスをかけており、できる限り目立たないようにしながら、酒をゴポゴポと下品に飲みまくる男に声をかけた。
「タダオ君だね。君に話があるんだ」
「あ? 誰だお前」
「ダンジョン庁の職員さ」
「ダンジョン庁ぉ? ……ダンジョン、ダンジョン庁だと!」
叫びかけた男に、彼は慌てて静かにするよう指を一本立てた。
「本来なら、こういう接触はルール違反なんだ。だが、君の異世界召喚への熱意が叶わないことが不憫に思えてね。俺にできることはないかと、内密に話を聞きにきた」
そう言いながら、ダンジョン庁所属の証明となるカードを取り出して、酒臭い男に確認させた。
「マジっすか……いやー! 分かる人には、ちゃんと分かるんすね。話が通じない馬鹿ばっかりで大変でしたよ。メールは遅えし、電話もなかなか繋がんねえし、メールの返信がきたと思ったら、」
男は左手で、おしゃべりを止めるよう促した。
「タダオ君、時間がないんだ。君の要求に応えられるかもしれないから、俺が聴くことに正直に答えてほしい。早急に事を進めることも善処するよ。できるか」
「はい。勿論ですよ。へへへ、いいね! いつまでも時間ばっか喰ってる連中とは大違いだ」
「よし。ではこれから重要な幾つかの質問をしよう。君が最近手を焼いている、あの男についてだ」
「あの男? あの男って? ああー! まさか」
「そうだ、ギルスについてだよ。君の知っていることを、俺にできる限り話すんだ」
サングラスの奥に映る、春巻の目は刃物より鋭くなっていた。
(俺は冷静さを失っている。それは分かっている。でも、このままアイツが野放しになってしまう現実を、受け入れることはできない)
ダンジョン庁に所属したエリートは、今や嫉妬で盤石だった立場を自ら揺らしている。帰還者カードを目にして以来、自分がおかしいことも自覚している。
それでも止めることができないほどに、初めての恋慕と大きな障害に狂っていた。
◇
ユリカと買い物をした日から、三日後のこと。またもギルスのアパート付近では異変が起こっていた。
青空の向こうから、何枚かの羽が落ちてくる。それは金色の幻想的な美しさに満ちているが、大地に届こうかというところで消滅してしまう。
そしてこの羽が落ちてきた空から、何かがゆっくりと降下してくる。背中に黄金の翼を備え、光の柱と共に下界に降り立ってくる。
遠目から見たところは、まるで翼をまとった女騎士という装いである。
長く輝く金髪は後頭部で結ばれており、瞳はエメラルドと同じ色をしていた。銀色の軽量鎧が肩や胸周りを覆っているが、他は軽装そのもの。
街は騒ぎになったが、この光と謎の少女はすぐに消えてしまった。
だが実は、空を飛ぶことをやめて、ある場所へと徒歩で進んでいただけである。
背中にあった黄金の翼は消えていた。必要な時、魔力をもって発現することが可能な翼であり、元々体の一部だったわけではない。
道すがら、周囲を注意深く警戒している。何よりその娘を驚かせたのは、青い空と太陽であった。
(なんて明るい世界なんだ……空があんな色に。それにあの眩しいものは一体……)
夜しかない世界で生まれ育った者にとって、この明るさと太陽は違和感だらけであった。何があるか分からないと、気を引き締めながら進む。
約五分が経過した頃、彼女はとうとう目的の場所に辿り着いた。階段を登り、ゆっくりと漂う魔力を確認していく。
(ここ……のはず)
ある方法で大まかな位置を見つけ出していた少女は、この場所で間違いないはずだ、という確信がある。
しかしいざ行動に移そうとすると、途端に強い緊張に身を縛られてしまう。
(怖気づいてどうする。やっとここまで来たのに帰るつもりか。僕はそんなに臆病じゃないはずだ……いけ。いけ!)
一分ほど葛藤した後、彼女は静かにドアをノックした。
足音が聞こえてきて、心臓が跳ね上がる。彼女はすぐに片膝をつき、ドアが開かれるのを待つ。
ガチャ、という音と共に顔を出したのは、彼女が求めてやまない男で間違いなかった。
「あ」
最初にその声を聞いた時、彼女の耳に温かい衝撃が走った気がした。だが、こちらの挨拶が遅れたことに気づき慌ててしまう。
「ギルス様、お久しぶりでございます。貴方様の剣であり盾、このルナが……お迎えに上がりま……し……た」
彼女にとってこれまで何度も繰り返した口上であり、慣れたはずの流れ。
しかし、最後まで言いきろうとしたところで声が震え、瞳に溢れるものを抑えることで精一杯だった。
(やっと、やっと会えた……)
魔王十二柱の一人、ルナは主人の姿を目にするなり、激しい感情の波に翻弄されてしまった。
王はといえば、「やっぱりそうか」という言葉と共に、ドアを広げた。
「久しぶりだな。とりあえず、中で話さないか」
ギルスにしてみれば、ポルンガとシロの件があったことで、もしかしたらと予感していたものではあった。
だが、彼が認識していないこともある。
(泣きそうな顔をしているが、何かあったのだろうか)
彼女がどれほど強い情を自分に抱いているか、王は気づいていないままであった。




