買い物
待ち合わせのカフェに到着すると、ユリカは窓際席にいて、どこか落ち着きをなくしているようだった。
挨拶を済ませると、すぐにダンジョンバトルについて詳細な説明を求められた。予想していたとおりではあったが、やはりギルスには気まずい時間だ。
「まあ……ではギルスさんは、タダオさん達を助けたくて、ダンジョンに潜ったのですか」
「はい。あの恐ろしい魔力だけは、忘れられませんでした。きっとみんな殺される、そう思いました」
この発言には、少々嘘がある。ギルスはブラックスライムの魔力など、さして恐れていない。
しかし、こうでも説明しなければ、納得されないような気がした。
ユリカは心中複雑で、ひととおり探索の説明が終わった後も、「うーん……んん」と唸っている様子だったが、やがて答えを出した。
「分かりました。今回はギルスさんは致し方なかった、ということで私の上司には説明をしておきましょう」
「ありがとうございます」
「でも、ギルスさん」
ここで彼女は、今自身が担当している帰還者の中で最も危なげな男に、釘を刺しておくことにした。
「これからはやむを得ない場合でも、私にも連絡してくださいね」
「はあ……」
「だって、まだ帰還して間もないんです。しかもギルスさんには、今沢山の人が注目していて、どんなトラブルに遭うか分かりません」
「そうでしょうか」
「ええ。だって今、いろいろなギルドで話題になっているんですよ」
ユリカはギルスの動画を視聴した後、SNSで有力な探索者達がどういった反応をしていたかも調べていた。
すると明言しないまでも、どうやら彼を欲しがっていると思われるコメントばかりを目にしたのである。
ユリカは、ギルスを帰還者要警戒指定五に定めるべき、そう発言していた春巻の姿が脳裏に浮かんでいた。
彼女はどうしても、彼を完全に自由な民間人に戻したい。
「もし私に黙ってダンジョンに潜ったりしたら……めっ! ですからね」
「はい……」
よく分かっていないが、とりあえずお世話になっている身の男は頷いた。同意してもらえたと分かり、ユリカはいつもの調子に戻ってゆく。
「それにしても、ギルスさんは本当に凄い腕をお持ちですね。私、とっても驚いちゃって。向こうの世界ではたしか——」
しかしこの時、彼女は最後まで喋ることはできなかった。カフェの入り口ドアから不必要なほど大きな音がして、一瞬震えてしまう。
それはよく見知った顔であった。しかし今日は、いつもより明らかに険しい顔をして、大股でこちらにやってくる。
「ユリカ! もうその男の対応はやめろ。すぐにでも警戒指定五に定め、隔離させるべきだ」
「は、春巻くん……」
「ギルス。君は我々に嘘をついていたな」
突然前に立った男に、ギルスは涼しい顔のままで応対した。
「一体何のことでしょう」
「惚けるな。君は間違いなく向こうの世界で何かをしていたはずだ。それも恐るべき悪事に手を染めている。そうに違いない」
「春巻くん! 突然何をいうの」
唖然としていたユリカが立ち上がり、同僚に抗議をする。周囲の客や店員の目が、三人に向けられていた。
「ユリカ、君は騙されている。この男は我々が保護をするような人間じゃない。何か良からぬ仕事をしていたに決まっているんだよ」
「おかしなことを言わないで! とにかくここでは迷惑だから、場所を変えて」
「証拠ならある」
密かに想いを寄せる相手が、自分の言うことに耳をかそうとしない。そう感じた春巻は、懐から一枚のカードを取り出し、二人に見せつけた。
それはギルスの帰還者カードである。ユリカの瞳に映ったそれは、かつて目にしたものとはまるで違っていた。
(バレたか……)
ギルスはといえば、この状況を面倒に感じた。だがそれだけである。
「そのカードは一体なに?」
「この男の帰還者カードに決まっているじゃないか。あの平凡で弱そうな皮の下に、こんな恐ろしい絵が隠れていたんだ」
「へ? ……え。ちょ、ちょっと待って。カードの下に、カードがあったということなの?」
「そうだ! これが証拠だよ。ダンジョン庁職員を欺いた、立派な罪だ」
ユリカは今の状況が理解しきれずにいた。そんな折、ギルスが呟く。
「初めて見ました。カードの下に、そんな絵があったとは」
「惚けるな!」
「惚けていませんが」
ここでウエイトレスが、騒ぐ客を注意するべく、そろそろと近づいてきた。ギルスは小さく頭を下げる。
「すみません。お騒がせを」
「そ、そうよ。春巻くん、ここでは迷惑だわ。それにあなた……どうやって帰還者カードを持ち出したの? あ、えっと、とにかく外で話しましょう」
帰還者カードの管理は厳重であり、申請したところでほとんどの場合、持ち出しの許可は降りない。
帰還者本人の場合は、希望する場合は手続きを経て返却することが可能だが、長い審査期間が必要で、まず面倒な手順を踏まなくてはいけない。
そのため大抵の帰還者は結局のところ、ダンジョン庁にカードを預けたままになる。
「事は急を要したからな。君がこの男に被害を受ける前に、動かなければ大変なことになる。だからさ」
「被害ですって?」
春巻は明らかに冷静さを失っていた。静かなカフェの中で声を荒げるなど、これまでの彼なら考えられないことである。
(このままじゃ店を追い出されるな。面倒だ)
ギルスはここで、彼とのやりとりを終わらせようと考えた。
「ユリカさん、ここは出ましょう」
「え、あの! ギルスさん」
「おい! 待て」
店員に謝罪をしつつ、ギルスは会計カウンターへと向かう。春巻の手が、後ろから彼の肩を掴んだ。
「やはり騙しているな、逃げる気か」
「騙す……?」
面倒そうに、異世界から帰還した男は振り向く。
その時、カードよりも鋭い実物の眼差しが、赤い輝きとともに春巻を捉えた。
「さっきから、何の話だ?」
「……ヒィ……!」
途端によろけた後、男は転んでしまう。ユリカが慌てて駆け寄った。
「え、ちょっと……春巻くん? 大丈夫!?」
しかし顔を真っ赤にした春巻は、必死に起き上がると、「必ず暴いてやる。覚えていろ!」と叫びカフェから走り去っていった。
カードが偽装されていた、という事例はこれまで確認されていない。
しかし、ギルスが行ったこととは断定できず、百歩譲って偽装されていたとしても、それが何かしらの罪に該当するかと言われると厳しいものがあった。
だから今の段階で、春巻はギルスに詰め寄るべきではなかったし、普段であれば決してすることはなかった。
春巻はカードを目にして以来、どこか気が変になっているのである。
呆気に取られたユリカは、そのまま春巻を追いかけたい気持ちがあったが、ギルスと今別れるわけにもいかない。
「すみません。うちの職員が、ご迷惑を」
「ユリカさんが謝ることじゃありません。じゃあ、今日はこれで」
「あ! 待ってください。その、洋服……」
彼女はふと、ギルスのシャツの肩部分が破れていることに気づいた。
実はダンジョン探索で、ブラックスライムの中に入っていたことで生地が痛み、春巻に強く引っ張られたことで限界を迎えたらしい。
「ごめんなさい! そのお洋服、さっきので」
「大丈夫です」
「でも……弁償します」
「いえ、弁償なんて」
「でも、その格好で帰るのは。あ、そうです! お洋服を買いに行きませんか」
「はい?」
こうした流れにより、ギルスは買い物に行くことになった。
◇
あれだけの騒ぎの後だったが、ユリカはむしろ上機嫌になっていた。
「これなんて似合いそう。ギルスさん、Gパンも買っておきませんか」
「下もですか?」
「ええ。だってそっちも傷んでますし。あら、こっちの白いも似合いそう」
当初の目的では上着を一着買うだけだったが、なぜか他にも何着か買うことになった。
(まるで着せ替え人形だな)
ギルスは何度も試着室で服を変えては、ユリカに見てもらう。
すると彼女は喜んだり、唸ってみたり、ハッとしてみせたり、とにかく色々な反応をしていた。どうやら、ギルスの服選びを楽しんでいるらしい。
シャツにベージュのボトムスといったよくある格好に始まり、TシャツにGパン、キャップにパーカーにカーゴパンツ、ジャケットにスラックスなど。
あらゆる服装を試したが、彼女にとってギルスは、何でも似合うように映るようだ。
「まあ! とっても素敵です。じゃあ、次はこちらを」
「いや、ユリカさん。そろそろ」
「あ、ごめんなさい。私ったらこんなにお願いしちゃって。でも、最後にこれだけ、ダメでしょうか」
(何でこんなことになったんだ?)
意味が分からないと思いつつ、お願いされたとおりに彼は試着室へと消えた。
最後の着替えをしているあいだ、ユリカはどこかワクワクした気持ちで、カーテンが開くのを待っている。
すると、アドバイスをしていた店員の一人が、微笑みながら彼女にこう聞いた。
「とても仲が良いんですね。彼氏さんですか」
「え……い、いえ」
オシャレな男性店員から踏み込んだ質問をされ、ユリカは戸惑ってしまう。
そして、そう言われると突然意識してしまい、胸が高鳴り始めてしまった。
「着替えました」
「ふぇ!? あ、よ、よくお似合いですよ。かっこいい……です」
カーテンから出てきたギルスと目が合い、ユリカは慌ててしまう。
ただ、結局服は三着程度の購入となった。ここでユリカが弁償という意味を含めて、お金を出すといってきたのだが、ギルスは断った。
帰り道、駅までの大通りを歩いている時、彼は何か違和感を覚える。ユリカの応対、声の感じが変化してきたように思えたのだ。
しかし、ユリカ本人は特に話し方などを変えているつもりはない。それは無意識な変化だった。
同時に彼女は、春巻のことも含めて、ギルスを取り巻く周囲に警戒をするようになる。
(有名になって、酷い目になった帰還者は沢山いる。この人は、私がついていないと)
ユリカの行動は、少しずつ職員としての範疇を超えてきている。そのきっかけを作ってしまったのは、皮肉にも春巻であった。




