第9話 水の精霊にウォシュレットを見せてみた
「水の精霊を呼び出せないかな」
俺がそう言うと、エルフは手にしていたカップを置いた。
「……何のためにですか?」
「ウォシュレットの水を確保するため」
「水道を引く話はどうなったんです?」
「それはそれ。こっちはこっち」
「何がどう違うんですか」
王宮のトイレにウォシュレットが設置されてから、二週間ほどが経過した。
今では騎士たちもすっかり使い慣れ、王宮内では水の魔導具として認知されている。
ただ、問題が一つあった。
水道がないのだ。
今は王宮の水場から水を運び、魔法で供給している。なかなか面倒な作業らしい。
「水の精霊なら、水を出してくれるんじゃないか?」
「出してくれるかもしれませんが……」
エルフは少し困った顔をした。
「水の精霊は、自然の水を司る存在です。人間の都合で呼び出して、好き勝手に使っていいものではありません」
「じゃあ、お願いすればいい」
「そんな簡単な話ではありませんよ」
「頼んでみないと分からないだろ」
「……あなたは本当に、思いついたらすぐ行動するんですね」
「そうでもない」
「今の話のどこに慎重さがありました?」
結局、エルフの案内で王宮の外にある泉へ向かうことになった。
水の精霊を呼び出すには、清らかな水源が必要らしい。
泉の前でエルフが手をかざす。
「水の精霊よ。私たちの声に応えてください」
泉の水面が静かに揺れた。
やがて、水面から青白い光が立ち上り、人の形を作っていく。
透き通るような髪。青い瞳。水の流れをまとった美しい女性の姿だった。
「我を呼びし者は誰か」
澄んだ声が響く。
エルフは一歩前に出て、丁寧に頭を下げた。
「突然の呼び出しをお許しください。少しお願いがありまして」
「願いとな?」
「はい。水を分けていただきたいのです」
「水を?」
精霊は泉を見渡した。
「この泉の水ならば、必要なだけ持っていくがよい。ただし、汚すことは許さぬ」
「ありがとうございます」
エルフが礼を言う。
俺も軽く頭を下げた。
「どうも。実は水を使う道具がありまして」
「道具?」
「これです」
俺は背負っていたウォシュレットを見せた。
精霊はしばらくそれを眺めた。
「……これは何だ?」
「ウォシュレット」
「聞いたことのない名だ」
「水で尻を洗う道具です」
「…………」
エルフが顔を覆った。
「もう少し説明の仕方があるでしょう!」
「いや、間違ってないだろ」
「間違ってはいませんけど!」
水の精霊は、俺とウォシュレットを交互に見た。
「人間よ。お前は、この我に何を求めている?」
「この道具に水を供給してほしい」
「水を使って何をする?」
「尻を洗う」
「…………」
泉の周囲が静まり返った。
精霊はゆっくりと目を閉じた。
「帰れ」
「え?」
「帰れと言った」
「いや、まだ詳しく説明してないけど」
「説明は不要だ」
エルフが慌てて間に入った。
「お待ちください。彼に悪気はないんです。これは衛生を保つための道具でして……」
「衛生?」
精霊の表情が少し変わった。
「そうです。身体を清潔にするためのものです」
「ならば、なぜ水を尻に当てる必要がある?」
「ええと、それは……」
エルフは俺を見た。
説明を引き継げということらしい。
「紙で拭くより水で洗ったほうがきれいになるから」
「紙?」
「水を使わずに汚れを取る道具だよ」
精霊はしばらく考え込んだ。
「水を使わずに汚れを取る……。それは水を大切にする知恵なのか?」
「まあ、そういう面もあるな」
「ならば、その紙とやらを見せよ」
「持ってない」
「……そうか」
精霊は少し残念そうだった。
そして、ふと何かを思いついたように俺を見た。
「人間よ」
「はい」
「その道具は、水の温度を変えられるのか?」
「温水機能があるタイプなら」
「水圧は?」
「調整できる」
「噴射する位置は?」
「調整できる」
精霊の目が輝いた。
「なんと……!」
エルフが驚いて精霊を見る。
「興味を持たれたのですか?」
「当然だ。水の流れを自在に操る道具など、興味深い」
「いや、そういう技術的なものでは……」
俺は少し考えた。
「実演してみます?」
「よかろう」
エルフが嫌な予感を覚えたように俺を見た。
「ちょっと待ってください。まさか、ここで?」
「水源もあるし、ちょうどいいだろ」
「何がちょうどいいんですか!」
俺はウォシュレットを泉のそばに設置した。
そして、精霊に操作方法を説明する。
「このボタンを押すと水が出る」
「ほう」
精霊が指を伸ばす。
ボタンを押した瞬間、ノズルから水が勢いよく噴き出した。
精霊は目を見開いた。
「おお……!」
水は空中で弧を描き、泉へと戻っていく。
精霊はその流れを見つめていた。
「これは……面白い」
「だろ?」
「水の流れが一定で、しかも細かく調整できる。なるほど、これはよくできている」
精霊はノズルの前に手をかざした。
水が手のひらを打つ。
「ふむ。悪くない」
エルフは、少し安心したように息を吐いた。
「気に入っていただけたようですね」
「うむ。人間よ、これは気に入った」
「それはよかった」
「我も欲しい」
「え?」
「この道具を、我の住処にも設置してくれぬか」
俺はエルフを見た。
エルフも俺を見た。
二人とも、しばらく何も言わなかった。
「……精霊様」
エルフが恐る恐る尋ねる。
「まさか、これをお使いになるおつもりですか?」
「当然だ。水を司る者として、この道具の可能性を確かめたい」
「可能性……」
「そうだ。まずは水圧を最大にしてみよう」
「やめてください」
エルフの声が少し大きくなった。
「精霊様、これは人間の身体に使う道具です。最大出力で試すものではありません!」
「そうなのか?」
「そうです!」
俺は静かに頷いた。
「エルフの言う通りだな。最初は弱から試したほうがいい」
「あなたも、もう少し止める側に回ってください!」
水の精霊は、そんな俺たちを見て楽しそうに笑った。
「よかろう。では、弱から試すとしよう」
精霊はウォシュレットを持ち上げた。
「ところで人間よ」
「何?」
「この道具、我の泉に設置してもよいか?」
「いいけど、水源を汚さないようにな」
「ふむ。ならば問題ない」
精霊は満足そうに頷いた。
エルフは泉を見つめながら、小さくつぶやいた。
「……水の精霊にまで広まってしまいましたね」
「便利なものは広まるんだよ」
「その理屈で、どこまで広めるつもりですか?」
「さあ」
俺は肩をすくめた。
水の精霊がウォシュレットを気に入った。
これは、なかなか大きな進歩かもしれない。
ただ、ひとつだけ気になることがある。
水の精霊が気に入ったのは、ウォシュレットなのか。
それとも、水の流れを自在に操れるという技術そのものなのか。
……まあ、どっちでもいいか。
とりあえず、泉にウォシュレットが設置されることになった。




