第7話 水で洗うのに、なぜ紙が必要なのか
「少し気になっていたことがあるんです」
王宮の中庭。
ベンチに腰掛けていた俺の隣で、エルフが口を開いた。
「ウォシュレットのこと?」
「はい。あれは水でお尻を洗う道具ですよね」
「そうだな」
「では、どうして洗ったあとに紙で拭くんですか?」
「濡れてるから」
「……それだけですか?」
「それだけだけど」
エルフは少し考え込んだ。
「水で洗うのなら、紙で拭く必要はないようにも思えます。水で汚れを落として、そのまま乾かせばいいのでは?」
「まあ、そういう考え方もあるな」
「乾燥機能もあるんですよね?」
「ある」
「では、なぜ紙を使うんです?」
「俺は紙を使うけど」
「質問の答えになっていません」
なかなか手厳しい。
「いや、なんというか、習慣だよ。洗ったあとに紙で拭くのが普通だったから」
「なるほど。つまり、合理性というより習慣の問題ですか」
「そういう面もあるな」
エルフはうんうんと頷いた。
「面白いですね。あなたの世界では、清潔にするための道具が発達しているのに、昔からの習慣も残っているんですね」
「まあ、そうだな」
「では、紙だけで済ませる人と、水で洗う人では、どちらが清潔なんでしょう?」
「水で洗うほうじゃないか?」
「なぜです?」
「そりゃ、水で洗ったほうが汚れが落ちるだろ」
「水をかけるだけで?」
「いや、適切な水圧で洗うんだよ」
「水圧……」
エルフの目が少し輝いた。
「なるほど。水の勢いも重要なんですね」
「強ければいいってもんでもないけどな」
「どうしてですか?」
「強すぎると痛い」
「……それはそうですね」
エルフは妙に納得した顔をした。
「では、弱すぎても駄目。強すぎても駄目。適切な強さを見つける必要があるわけですね」
「そういうこと」
「奥が深いですね……」
「いや、そこまで深く考えなくてもいいと思うぞ」
「いえ、考えるべきです。身体に直接使う道具なんですから」
エルフは真剣だった。
この娘、ウォシュレットに対する探究心が強すぎる。
「それに、もう一つ気になります」
「まだあるのか」
「水です。あの魔導具から出てくる水は、どこから来ているんですか?」
「水道」
「水道?」
「水を運ぶ管だよ。建物の中まで水を引いているんだ」
「なるほど。水源から水を運んでいるんですね」
「そうそう」
「では、誰かが水を運んでくる必要はないんですね?」
「まあ、そうだな」
「素晴らしい仕組みです。王宮でも水汲みの仕事は大変ですから」
「水道は便利だぞ。蛇口をひねれば水が出る」
「蛇口?」
「水を出したり止めたりするやつ」
「それも見てみたいです」
「そのうち見せてやるよ」
「ぜひお願いします」
エルフは楽しそうに頷いた。
そして、ふと思い出したように尋ねる。
「ところで、洗ったあとの水はどうなるんですか?」
「流れていくよ」
「どこへ?」
「下水道」
「下水道……?」
「汚れた水を集めて運ぶ設備だな」
「集めて、どうするんです?」
「処理する」
「処理?」
「そのまま川に流したら汚いだろ。だから、きれいにしてから放流するんだ」
エルフは目を丸くした。
「そこまでしているんですか?」
「まあ、都市なら普通だな」
「すごい……。水を使うだけでなく、使ったあとのことまで考えているんですね」
「そうだな。水は使ったら終わりじゃないからな」
「森でも水は大切です。水源を汚さないように、みんな気をつけています」
「そりゃ大事だ」
「でも、あなたの世界では、それを街全体で仕組みにしているんですね」
「そういうこと」
エルフはしばらく感心した様子で考えていた。
そして、にっこりと笑った。
「ぜひ森にも導入したいですね」
「ウォシュレットを?」
「はい。水道と下水道も一緒に」
「ずいぶん話が大きくなったな」
「だって、必要でしょう?」
「まあ、そうだな」
「森の各集落に水道を引いて、排水を集める設備を作って、それから各家庭にトイレを設置して……」
「うん」
「最後にウォシュレットですね」
「最後にウォシュレットだな」
エルフは満足そうに頷いた。
「よし。まずは森の長老たちに相談してみます」
「頑張ってくれ」
「あなたも協力してくださいね」
「俺はウォシュレットを提供しただけだからな」
「それだけで済むと思っていたんですか?」
「思ってた」
エルフは笑顔のまま、俺の肩を軽く叩いた。
「ずいぶん無責任な異世界人ですね」
「まあ、異世界人だからな」
「便利な言葉ですね、それ」
どうやら、俺の異世界生活はまだまだ落ち着きそうにない。




