第24話「ウォシュレットなど、必要ない」
「ウォシュレットなんてものは、必要ない」
市場の一角で、男の声が響いた。
主人公とエルフは、思わず足を止めた。
声の主は、紙製品を扱う店の主人だった。
店先には紙束や巻紙が並んでいる。
「水で尻を洗うだと? まったく、最近の人間は何でも魔導具に頼りたがる」
男は鼻を鳴らした。
「昔から紙で拭いてきた。それで何の問題がある?」
主人公はエルフを見た。
「……反対派だな」
「そうですね。しかも、かなり強そうです」
二人が店先を通り過ぎようとすると、男がこちらに気づいた。
「おや、旅人さんかい?」
「ええ」
「王都から来たのか?」
「そうですが」
男は主人公をじっと見た。
「なら、あんたもあのウォシュレットとかいう魔導具を知っているだろう」
「知っていますよ」
「どう思う?」
主人公は少し考えた。
「便利だと思います」
男は大きくため息をついた。
「やっぱりそうか。まったく、困ったものだ」
「何が困るんです?」
「考えてもみろ。水で洗えば清潔になる? そんなのは当たり前だ。手だって水で洗うだろう。だが、だからといって紙が不要になるわけじゃない」
主人公は頷いた。
「まあ、そうですね」
「それに、濡れたままでは困るだろう。結局、紙が必要になる」
「その通りです」
男は少し意外そうな顔をした。
「おや、反論しないのか?」
「いや、紙は使いますから」
「そうだろう!」
男は急に元気になった。
「紙こそ人類の知恵だ! 水だけで済ませようなど、浅はかな考えだ!」
エルフが小声で尋ねた。
「……この方、紙を売っているから反対しているのでは?」
「それもあるかもしれないな」
「聞こえているぞ!」
男は二人を睨んだ。
「商売のためだけではない! 私は紙の価値を知っているのだ!」
「それは失礼しました」
主人公は素直に頭を下げた。
男は腕を組んだ。
「そもそも、ウォシュレットには問題が多い」
「例えば?」
「まず、水を使う」
「はい」
「水は貴重だ。飲み水にも、畑にも必要だ。それを尻を洗うために使うのか?」
「水の量は調整できますよ」
「次に、魔力を使う」
「そうですね」
「魔力が切れたらどうする?」
「普通に紙で拭けばいいです」
「……」
男は少し黙った。
「それに、故障もするだろう」
「しますね」
「ほら見ろ!」
「紙も濡れたり破れたりしますけどね」
男は口を開けたまま止まった。
エルフが主人公の袖を引く。
「今のは少し意地悪では?」
「事実だから」
「そういうところですよ」
男は気を取り直して、店の奥から一枚の紙を取り出した。
「いいか。これを見てみろ」
厚手の、上質な紙だった。
「これは私が作った特製の紙だ。柔らかく、破れにくい。水にも強い」
主人公は手に取って確かめた。
「確かに、いい紙ですね」
「だろう? これなら尻を拭いても安心だ」
エルフが眉をひそめた。
「商品説明としては、少しどうかと思います」
「何が悪い!」
「いえ、用途はわかりましたけど……」
主人公は紙を返した。
「ウォシュレットと組み合わせてもよさそうですね」
「何?」
「洗ったあとに、この紙で水分を拭けばいい」
男は眉間にしわを寄せた。
「……つまり、私の紙が必要だと言いたいのか?」
「そうですね」
「ウォシュレットを使ったあとにも?」
「もちろん」
男はゆっくりと頷いた。
「なるほど……」
エルフが主人公を見る。
「少し話が変わってきましたね」
「そうだな」
男は紙を棚に戻した。
「だが、私はまだ納得していない」
「そうですか」
「そもそも、尻を洗う必要があるのか?」
主人公は少し考えた。
「手に汚れがついたら、水で洗いますよね」
「当然だ」
「尻も同じです」
「……」
「紙で拭くのもいいですが、水で洗えば汚れを落としやすい」
男は腕を組み直した。
「手と尻を同じに考えるのは、どうなのだ」
「どうしてです?」
「手は人前に出すものだ。尻は隠すものだ」
エルフが吹き出した。
「ふふっ……! 隠すものだから、清潔にしなくてもいいということですか?」
「そうは言っていない!」
男は慌てて言い返した。
「私はただ、そこまで手間をかける必要があるのかと言っているのだ!」
主人公は頷いた。
「まあ、必要かどうかは人それぞれですね」
「そうだ! わかっているじゃないか!」
男は満足そうに胸を張った。
「私は今のやり方で困っていない。だから、使う必要はない」
「それなら、それでいいと思います」
「……本当にそう思うのか?」
「はい。無理に使うものでもありませんから」
男は少し拍子抜けしたようだった。
店を離れたあと、エルフが言った。
「結局、説得しませんでしたね」
「必要ないって言ってたからな」
「あなたとしては、もっと広めたいのでは?」
「便利だと思う人が使えばいいよ」
「なるほど」
エルフは少し考えてから尋ねた。
「でも、あの方は本当に使ったことがないんでしょうか?」
「たぶんね」
「一度使えば、考えが変わるかもしれません」
「そうかもしれない」
そのとき、背後から声がした。
「待ちなさい!」
振り返ると、先ほどの紙屋の主人が追いかけてきていた。
「一つ、聞きたいことがある」
「何でしょう?」
男は少し言いにくそうに尋ねた。
「そのウォシュレットというのは……本当に温かい水が出るのか?」
「出ますよ」
「どのくらい温かい?」
「人が気持ちいいと感じるくらいに調整できます」
男は腕を組んだ。
「……ふむ」
「興味が出てきましたか?」
「いや、誤解するな。私は反対派だ」
「そうですか」
「ただ、商売の参考として知っておきたいだけだ」
エルフが微笑んだ。
「では、試してみますか?」
男はすぐには答えなかった。
しばらく考えたあと、低い声で言った。
「……一度だけだ」
主人公は頷いた。
「わかりました」
男は指を一本立てた。
「ただし、私は使ったあとも反対派だからな」
「はい」
「そこは間違えるなよ」
数日後。
紙屋の店先に、新しい張り紙が掲げられた。
『水で洗ったあとの仕上げに。
当店自慢の高級紙をどうぞ』
その下には、少し小さな文字でこう書かれていた。
『なお、ウォシュレットの使用を推奨するものではありません』
エルフはそれを見て、笑った。
「結局、反対派のままですね」
主人公は頷いた。
「まあ、紙屋だからな」
「でも、商売には取り入れたようです」
「それはいいことだ」
二人は歩き出した。
その背後から、紙屋の主人の声が聞こえた。
「おい! そこの旅人!」
振り返ると、主人が店先から顔を出していた。
「次に来るときは、あの魔導具を持ってきてくれ!」
「使うんですか?」
「違う! 紙の品質を試すためだ!」
エルフは主人公の横で、小さくつぶやいた。
「……もう、素直じゃないですね」
主人公は笑った。
「まあ、本人が反対派だと言うなら、そういうことにしておこう」
紙屋の主人は、今日も店先で声を張り上げていた。
「ウォシュレットなど、必要ない!」
その横には、例の張り紙が揺れていた。




