第23話「女将は、夫の話を半分しか信じない」
「本当に、そんなにすごいものなの?」
宿屋の食堂で、女将は夫に尋ねた。
「すごいなんてもんじゃない。あれは革命だ!」
「昨日から何度も聞いたわよ」
「何度でも言うさ。あれを知らずに生きていた今までの人生は何だったのかと……」
「大げさねえ」
女将は呆れたように笑った。
その様子を、主人公とエルフは食卓から眺めていた。
「奥さんは、まだ使っていないんですか?」
エルフが尋ねる。
「ああ。昨日は俺が先に試したからな。今日は女房にも体験してもらおうと思っている」
「そうですか」
女将は主人公に向き直った。
「それで、あなたがその魔導具を持ってきた人?」
「そうです」
「主人がずいぶん気に入ったみたいだけど、私にも使えるものなの?」
「もちろんです。むしろ、誰でも使えるように作られています」
「そう。なら、ちょっと見せてもらおうかしら」
夫が勢いよく立ち上がった。
「よし! 俺が説明しよう!」
「あなたは座っていて」
「いや、俺はもう使い方を知っている!」
「知っていることと、説明が上手なことは別でしょう」
夫は静かに座り直した。
主人公は小さく頷いた。
「よくわかっていらっしゃる」
「でしょう?」
女将は便座の前に立ち、じっくりと観察した。
「これが、そのウォシュレット?」
「はい」
「ずいぶん普通の便座に見えるわね」
「使うときに便利な機能が付いています」
「ふうん……」
女将は操作部を眺めた。
「この印は何?」
「お尻を洗うボタンです」
「こっちは?」
「水の強さを調整します」
「こっちは?」
「水の温度です」
女将は一つずつ確認していった。
「なるほどね。思ったより簡単そう」
夫が横から口を挟む。
「だろう? 実際に使えば、もっと驚くぞ!」
「あなたは少し黙っていて」
「はい」
女将は便座に座った。
主人公とエルフは外へ出る。
夫は扉の前でそわそわしていた。
「大丈夫だろうか……」
「初めてですからね」
主人公が答える。
「驚いて立ち上がったりしないだろうか」
「最初は弱い水圧にしてもらいましたよ」
「そうか。なら安心だ」
中から声がした。
「……あら」
夫が反応する。
「おお! どうだ?」
「ちょっと、あなた!」
「はい!」
「これ、なかなかいいじゃない」
夫は主人公の肩をつかんだ。
「聞いたか! なかなかいいそうだ!」
「聞こえてますよ」
「これは大きな一歩だ!」
「何の一歩ですか」
エルフが笑った。
しばらくして、女将が出てきた。
「なるほどねえ。確かに気持ちいいわ」
夫は誇らしげに胸を張った。
「だろう!」
「でも、少し気になることがあるわ」
「何だ?」
「これ、掃除はどうするの?」
主人は一瞬、固まった。
「……掃除?」
「そうよ。毎日使うものなんでしょう? 汚れたりするんじゃないの?」
主人公が答える。
「ノズルは使用後に自動で洗浄する機能があります。ただ、便座や周りの掃除は普通に必要ですね」
「そうよね」
女将は頷いた。
「それならいいわ。特別な手入れが必要なら困ると思ったの」
夫は少し不満そうだった。
「そんなことより、あの快適さをだな……」
「快適なのはわかったわ。でも、宿に置くなら、お客さんが使うものよ。壊れたり、使い方がわからなかったりしたら困るでしょう?」
主人公は頷いた。
「確かに。説明書も用意したほうがいいですね」
「説明書?」
「使い方や注意点を書いた紙です」
女将は少し考えた。
「それなら、絵も入れておいたほうがいいわね。文字が読めないお客さんもいるでしょうし」
エルフが感心したように言った。
「なるほど。使う人のことをよく考えているんですね」
「宿屋ですからね。お客さんが困らないようにするのも仕事よ」
夫は腕を組んだ。
「俺もそこまで考えていたぞ」
女将は夫を見た。
「あなたは昨日、あの魔導具を使ってから、ずっと水圧の話しかしていないじゃない」
「……それは、重要なことだ」
「そうね。とても重要ね」
女将は微笑んだ。
「でも、宿の仕事も重要なのよ」
夫は黙った。
主人公はエルフに小声で言った。
「この宿、奥さんがいないと回らないんじゃないか」
「たぶん、そうですね」
その後、女将は宿のトイレにウォシュレットを設置することに賛成した。
ただし、条件があった。
「設置するなら、掃除の担当も決めておきましょう」
夫が頷く。
「もちろんだ」
「あなたが担当ね」
「……俺か?」
「あなたが一番気に入っているんでしょう?」
「いや、それはそうだが……」
「それに、設置を言い出したのもあなたよ」
夫は主人公を見た。
主人公は静かに頷いた。
「まあ、そうなりますね」
「お前まで!」
エルフが笑った。
「自分で使いたいと思ったものですから、仕方ありませんね」
夫はしばらく考え込んだあと、覚悟を決めたように言った。
「わかった。俺が掃除する」
「えらいわね」
女将は満足そうに微笑んだ。
そして主人公に向き直る。
「ところで、もう一つ聞いてもいいかしら?」
「何でしょう?」
「これ、家にも設置できるの?」
「もちろんできますよ」
女将は夫を見た。
夫も女将を見た。
二人の間に、短い沈黙が流れた。
「……家にも欲しいわね」
「そうだろう!?」
夫が身を乗り出した。
「そうだろう! 俺もそう思っていたんだ!」
「でも、家に設置するなら、宿のものとは別に買わないといけないわね」
「そうだな」
「お金は?」
「……そうだな」
女将は主人公に尋ねた。
「おいくらくらいするものなの?」
主人公は少し考えた。
「魔石の大きさや機能にもよりますが、安いものならそこまで高くはないと思います」
女将は夫を見た。
「聞いた?」
「ああ」
「宿に設置して、使い勝手がよかったら家にも買いましょう」
「そうしよう!」
夫は嬉しそうに頷いた。
女将は主人公たちに頭を下げた。
「いいものを教えてくれてありがとう。これからもよろしくね」
「こちらこそ」
二人は宿を後にした。
街道を歩きながら、エルフが言った。
「奥さん、しっかりした方でしたね」
「そうだな」
「ご主人はウォシュレットの快適さに夢中でしたけど、奥さんは掃除や費用、お客さんの使いやすさまで考えていました」
「使う人が増えると、そういうことも大事になるんだろうな」
「そうですね。便利な道具を置けば、それで終わりというわけではありませんから」
主人公は頷いた。
しばらく歩いてから、エルフがふと思い出したように尋ねた。
「ところで、あなたはウォシュレットの掃除をしたことがありますか?」
「あるよ」
「そうなんですか?」
「まあ、普通に使っていたからな」
「では、掃除の仕方も知っているんですね」
「一応は」
エルフは少し安心したようだった。
「よかった。私も使うことが増えましたから、手入れの方法は知っておきたいと思っていたんです」
「じゃあ、今度教えるよ」
「お願いします」
少し間を置いて、主人公が言った。
「でも、掃除は面倒だよな」
「……そうですね」
「便利な道具ほど、手入れが必要だったりする」
エルフは頷いた。
「便利さを維持するのも、なかなか大変ですね」
「そういうことだな」
二人は歩き続けた。
その頃、宿屋では女将が夫に言っていた。
「そうそう。掃除のときは、ノズルも忘れないでね」
「わかった」
「便座の裏もよ」
「わかった」
「床もね」
「……わかった」
女将はにっこり笑った。
「快適な宿にしましょうね」
夫は、ウォシュレットの導入を少しだけ後悔し始めていた。




