第22話「普通の宿屋に、ウォシュレットがやってきた」
「今日はここに泊まりましょう」
エルフが指さしたのは、街道沿いにある小さな宿屋だった。
「ずいぶん古そうだな」
「歴史がある、と言ってください」
「歴史がありそうだな」
「言い直しただけですね」
二人は宿屋の扉を開けた。
カラン、と鈴が鳴る。
「いらっしゃい。お泊まりかい?」
カウンターの向こうから、恰幅のいい中年男性が顔を出した。
「二人です。一泊お願いします」
「部屋は空いてるよ。食事も付けるかい?」
「お願いします」
主人公は荷物を下ろした。
宿屋の主人は二人を見て、少し首を傾げた。
「旅人さんかい?」
「まあ、そんなところです」
「王都のほうから来たのか?」
「そうですね」
「なら、あの魔導具の話は聞いたことがあるかい?」
エルフが反応した。
「魔導具?」
「最近、王宮で流行っているらしいじゃないか。座ると水が出て、尻を洗ってくれるという……」
主人公は頷いた。
「ああ、ウォシュレットですね」
「そう、それだ! あれは本当なのかい?」
「本当ですよ」
主人は半信半疑の顔をした。
「水で洗う? そんなことをしたら、服まで濡れちまうんじゃないのか?」
「使い方を間違えなければ大丈夫です」
「そもそも、紙で拭けば済む話だろう?」
主人公は少し考えた。
「まあ、そうですね」
「おや、否定しないのかい?」
「紙で拭く方法もありますから。ただ、水で洗うと気持ちいいですよ」
主人は腕を組んだ。
「ふむ……」
エルフが主人公を見た。
「どうするんですか?」
「せっかくだから、見せてあげようかと」
「ここで?」
「うん」
主人は二人の会話を聞いていた。
「見せるって、まさか……」
主人公は荷物から魔導便座を取り出した。
「これです」
「……それが?」
「ウォシュレットです」
主人は魔導便座と主人公の顔を交互に見た。
「これが?」
「はい」
「ただの便座じゃないか」
「まあ、見た目はそうですね」
宿屋の裏手にある小さな個室を借り、主人公は便座を設置した。
魔力を供給するための小さな魔石を取り付ける。
「これで準備完了です」
主人は腕を組んだまま、便座を眺めている。
「本当に水が出るのかい?」
「出ます」
「どこから?」
「ここからです」
主人公がノズルを指さした。
主人は目を細めた。
「こんな小さな穴から?」
「はい」
「……大した量は出ないだろう」
「まあ、試してみればわかります」
主人はしばらく考えたあと、意を決したように言った。
「よし。俺が試そう」
エルフが少し驚いた。
「いいんですか?」
「自分の宿に置くかもしれない道具だ。主人が試さなくてどうする」
「立派な心がけですね」
主人公が操作方法を説明する。
「まず座ります。最初は水圧を弱くしてください」
「わかった」
「それから、ボタンを押すと水が出ます」
「わかった」
「驚いて立ち上がらないように」
「そんなに驚くものなのか?」
「人によります」
主人は便座に腰を下ろした。
主人公とエルフは個室の外に出る。
しばらくして、主人の声が聞こえた。
「おおっ!」
エルフが主人公を見る。
「始まりましたね」
「そうだな」
「どうですか?」
主人公が扉越しに尋ねる。
「……水が出た!」
「でしょう」
「本当に出たぞ!」
「だから言いました」
少し間があった。
「……これは」
主人の声が低くなる。
「これは、なかなか……」
エルフが小声で尋ねた。
「気に入ったみたいですね」
「たぶん」
そして。
「おおおおおっ!」
主人の声が響いた。
「水圧を上げたな」
「上げたんでしょうね」
「おおおおおっ! これはすごい!」
主人はしばらく出てこなかった。
やがて扉が開いた。
主人は、どこか晴れやかな顔をしていた。
「……すごいな」
「気に入りましたか?」
「気に入ったどころじゃない。あれは何だ。魔法か?」
「魔導具です」
「いや、そういうことじゃない。あの水の勢い、温かさ……」
主人は自分の手のひらを見つめた。
「今まで、俺は何をしていたんだろうな」
エルフが小さく笑った。
「大げさですよ」
「いや、あれは大げさじゃない!」
主人は主人公の両肩をつかんだ。
「頼む。うちの宿にも置いてくれ!」
「もちろん。設置できますよ」
「本当か!」
「ただ、魔石と水の供給が必要です。維持費もかかります」
「構わん!」
主人は即答した。
「客が喜ぶなら安いもんだ!」
エルフは主人公に目配せした。
「これは、普及の第一歩かもしれませんね」
「そうだな」
その日の夕食。
宿屋の主人は、料理を運びながら何度も二人に話しかけてきた。
「いやあ、あれは本当にすごかった」
「ありがとうございます」
「ところで、あの水の強さは調整できるんだよな?」
「できます」
「温度も?」
「できます」
「音は?」
「音?」
「いや、ほら。用を足すときに音がするだろう?」
主人公は頷いた。
「音を隠す機能もありますよ」
主人の目が輝いた。
「そんなものまであるのか!」
「あります」
「すぐに付けてくれ!」
「宿に必要ですかね」
「必要だ!」
エルフが笑いをこらえながら言った。
「この宿、どんどん豪華になりそうですね」
主人は胸を張った。
「うちは旅人のための宿だからな。快適さにはこだわりたいんだ」
主人公はスープを飲んだ。
「いい宿になりそうですね」
「ああ。任せておけ!」
主人は満足そうに厨房へ戻っていった。
翌朝。
宿屋の主人は、二人を玄関まで見送りに来た。
「また来てくれよ。ウォシュレットの設置が終わったら、ぜひ使ってくれ」
「楽しみにしています」
「それと、ひとつ頼みがある」
「何でしょう?」
主人は少し照れくさそうに頭をかいた。
「昨日のあれ、うちの女房にも使わせたいんだが……」
「ええ、もちろん」
「いや、そうじゃなくてだな」
主人は声をひそめた。
「女房に、どう説明したらいいと思う?」
主人公は少し考えた。
「お尻を洗う道具です、と」
「そのままじゃないか!」
エルフが吹き出した。
「ふふっ……! 確かに、そうですね」
主人は困ったように笑った。
「もっとこう、ありがたい感じの説明はないのか?」
主人公は真顔で答えた。
「温水洗浄便座です」
「余計にわからん!」
エルフはとうとう声を上げて笑った。
二人は宿屋を後にした。
街道を歩きながら、エルフが言った。
「一般の人々にも、少しずつ広まっていくといいですね」
「そうだな」
「王宮の人たちとは、反応が違いましたね」
「うん。あの主人は、宿の商売として考えていた」
「生活に身近な道具ですからね」
主人公は歩きながら、ふと思いついたように言った。
「そのうち、宿を選ぶ基準にウォシュレットの有無が入るかもしれないな」
「宿の評判が、料理や寝具ではなく?」
「いや、それらと並んで、だな」
エルフは少し考えた。
「……それは、ありそうですね」
「だろ?」
「ただし、私は水圧が調整できる宿を選びます」
「こだわりがあるな」
「大事なことです」
エルフは真面目な顔で言った。
「旅先で妥協したくありませんから」
主人公は笑った。




