第18話「吟遊詩人は、真実を歌わない」
王都の酒場は、いつになく賑わっていた。
中央の小さな舞台では、一人の吟遊詩人が竪琴を奏でている。
「聞け、諸君! これは遠き異界より来たりし男の物語!」
酒場の客たちが顔を上げた。
「彼は剣を持たず、杖を持たず、魔法すら唱えぬ。だが、その手には白き秘宝があった!」
主人公はエールを飲む手を止めた。
「……俺の話か?」
隣のエルフが舞台を見た。
「おそらく、そうですね」
吟遊詩人は声を張り上げる。
「その秘宝の名は――ウォシュレット!」
酒場がどよめいた。
「おお、あの伝説の魔導具か!」
「聞いたことがあるぞ。王宮の騎士たちがこぞって使っているという!」
「聖職者たちも取り入れたそうだ!」
主人公はエルフを見た。
「ずいぶん有名になったな」
「あなたが思っている以上に、ですね」
吟遊詩人は続けた。
「彼は古代遺跡の奥深くに眠る試練を突破し、神々の知恵を得た!」
エルフが小さく咳払いをした。
「……遺跡の試練は、確かにありましたね」
「そして、聖なる泉にて水の精霊と契約を結び、火の精霊すら従えた!」
「契約というより、温度調整をお願いしただけですが」
「さらに王国の騎士団を導き、聖職者たちに清浄の教えを授けた!」
主人公はグラスを置いた。
「俺、そんなことしたっけ」
「していません」
吟遊詩人は竪琴をかき鳴らした。
「その男の名は――異界の賢者! 白き便座の支配者! あらゆる尻を救済する者!」
酒場は歓声に包まれた。
主人公は少し考えた。
「……最後のは、ちょっと嫌だな」
「そこだけ気にするんですか」
吟遊詩人は演奏を終えると、客たちに深々と頭を下げた。
その後、彼は主人公たちのテーブルへやってきた。
「おお、もしやあなたが!」
「たぶん、そうです」
「お会いできて光栄です! ぜひ、英雄譚の続きを聞かせてください!」
「英雄譚ってほどのことはしてないけど」
「ご謙遜を! あの古代遺跡で、あなたはどのようにして守護者を打ち破ったのですか?」
「質問に答えただけ」
「なるほど! 知恵によって敵を屈服させたのですね!」
「いや、向こうが勝手に納得しただけ」
「なんと! 敵の心を読み、戦わずして勝利した!」
エルフが口を挟んだ。
「少し落ち着いてください。彼は本当に、質問に答えただけなんです」
吟遊詩人は感心したように頷いた。
「なるほど……あなたは英雄の偉業を、あえて控えめに語るのですね」
「違います」
「その謙虚さもまた、英雄の証!」
「聞いてください」
主人公は吟遊詩人を眺めた。
「ところで、歌にするなら、もう少し正確にしてほしい」
「もちろんです! どの部分でしょう?」
「ウォシュレットは、神々の秘宝じゃない。普通の道具だ」
吟遊詩人は真剣な顔で頷いた。
「なるほど……神の力を宿した、普通の道具」
「いや、魔力で動いてるだけ」
「神の力を魔力に変換する、普通の道具……」
「違うな」
エルフが額を押さえた。
「もう無理です。彼の中では、何を言っても壮大な話になります」
吟遊詩人は懐から羊皮紙を取り出した。
「では、最後に一つだけ。あなたがこの世界に来て、最も大切だと感じたことは何ですか?」
主人公は少し考えた。
「そうだな……」
吟遊詩人は羽ペンを構える。
「快適さ、かな」
「快適さ……!」
「毎日使うものが快適だと、生活の質が変わる」
吟遊詩人は目を見開いた。
「毎日……使うもの……」
「そう。特別な日に使うものより、毎日使うもののほうが大事だったりする」
吟遊詩人は羊皮紙に何かを書き込んだ。
「わかりました。あなたの教え、確かに受け取りました」
彼は立ち上がり、酒場の客たちに向かって声を張り上げた。
「諸君! 英雄の言葉を聞いたか!」
客たちが振り返る。
「彼はこう言った! 人は、毎日座る場所によって、その人生を変えるのだと!」
酒場が静まり返った。
そして、一人の老人が立ち上がった。
「深い……!」
別の客が続く。
「確かに! 玉座に座る王と、地べたに座る農民では、見える景色も違う!」
「いや、そういう話では……」
エルフの声は、歓声にかき消された。
吟遊詩人は竪琴を抱え直した。
「新たな詩が生まれた! 聞け、諸君!」
そして彼は、力強く歌い始めた。
「座す者は知る――!」
主人公はエルフに尋ねた。
「……俺、変なこと言った?」
「いいえ。あなたは普通のことを言いました」
「ならいいか」
エルフは酒場を見回した。
客たちは感動した面持ちで、吟遊詩人の歌に聞き入っている。
「ただ、あの人たちが何を受け取ったのかは、私にもわかりません」
その夜、吟遊詩人は新しい英雄譚を完成させた。
題名は、
『座す者は世界を救う――異界の賢者と白き玉座の伝説』
翌朝、その歌は王都中に広まった。
そして数日後。
王宮に、一通の嘆願書が届いた。
『王宮の玉座にも、ぜひウォシュレットを設置していただきたい』
国王は、深く頷いた。
「……なるほど。余も、世界を救うべき時が来たか」
こうして王宮では、玉座の改修計画が始まった。




