避難所の夜
※この作品には地震・津波の描写があります。実際の災害を軽んじる意図はなく、防災と助け合いを描くことを目的としています。ご不安・ご不快な方はご注意ください。
月の舟の横には、裏山へ登る長い階段がある。初めて見た時には、思わず口を開けて見上げてしまった。
「避難用だよ」
折井先生が、地球に到着したばかりのぼくに説明した。
「うえに避難所があるんだ。あとで見に行こう」
避難用、避難所と聞いてぼくの背筋はぴんと伸びた。
「風間くん、月の舟へようこそ」
折井先生が差し出した手をぼくは握った。学者と聞いていたけれど、先生の手はごつくて、労働者のようだと思った。
「木島さーん」
午前十時、ぼくは階段を掃除する便利屋の木島さんへ声をかけた。
「休み時間だよー」
「おう、今いく」
木島さんは、掃除道具をいったん階段へ置くと、ゆっくりとおりてきた。グレーの作業着に黒い長靴、首にはタオルを巻いている。
「やれやれ、年寄りにはつらい階段だ」
「まだ五十くらいでしょ。ぼくの親より若いや」
そうか、と木島さんはぼくからメロンパンと出来立てのコーヒーを受け取った。
「もうじき本格的な秋になるから、掃除を月二回に増やすよ。落ち葉ですぐ階段が埋もれる」
階段の先の山の木々は、赤や黄色に色づき始めた。朝晩めっきり冷えてきて、ソフトクリームの売り上げが鈍り、中華まんの売り上げが伸び始めた。
「そうですね、お願いします」
木島さんは階段に腰を下ろして、コーヒーを飲んだ。
「こないだの、だいじょうぶだったか?」
「……平気じゃなかったけど、手順になれたというか」
こないだ、というのは先日あった地震の事だ。
月生まれ月育ちは、地震を知らない。地球にくるまで未体験だった。
「いつまでたっても、地震は怖いですよ」
「まあな、俺もだ」
そんなふうに木島さんがぼくに聞くのは二年前、地球に来て半年したときの地震に、木島さんも居合わせたからだ。
ぼくが地球へ来て、半年が過ぎた頃だった。季節は秋、十月。その日はいつもと変わりなかった。
土曜日だったから、午後からは子ども連れのお客様や学生たちもちらほら見えていた。
「じゃあ、おじさんありがとう。二時間後ね」
入り口で、漁船へ手を振ると女の子と、ふくれっ面をした女の子のふたり組が入店してきた。ふたりとも、セーラー服だから、海燕学園の高等部だろう。
「ミナ、お父さんにそんな顔して」
ミナと呼ばれたのは、ふくれっ面の子だ。
「だって、就職先は地元にしろって。わたしは大屋代島がいいのに。地元なんて、イヤ。田舎でなんて暮らしたくない」
進路を反対されたか。よくあることだけど、本人には大問題だよね。
ふたりはそのまま、コスメの棚の前で足を止めた。
「ばあちゃん、どっちがいいの。油性? 水性?」
年輩者の送迎と買い物のお手伝いをしている木島さんが、イートインスペースで数人のご夫婦たちとソフトクリームを食べているおばあちゃんのところへ、ペンを何種類か持っていった。
小さな子連れの親子は、何を選ぶんだろう。おもちゃかな、お菓子かな。
ここ数日続いた雨が上がって、空は晴れわたっている。風もなく穏やかな日だ。
まだ客足が伸びるかも。中華まん、スチーマーに追加で入れておこうかな。
ぼくがそう考えていたとき。
店内に流れていた宣伝の音声が、突然切れた。思わず天井を見上げると、聞いたことのない不協和音が鳴り響くと同時に、初めて聞く声が流れた。
「地震です、地震です。強い揺れに注意してください」
え? と思ったら、店のあちこちでカタカタと音が鳴り始めた。瓶、そうだガラス瓶、いや、棚、棚を押さえないと。
ぼくはカウンターから飛び出した。けど、一気に強い揺れが襲ってきた。まともに歩けない。女の子の悲鳴が聞こえた。
棚から音を立てて缶詰が落ちて床にぶつかった。落ちた商品で床が埋まっていく。店全体がまるで大きな手でねじられるように、ギシギシと悲鳴をあげた。
揺れが収まるまで、ぼくは床にうずくまったまま、動けなかった。
「風間くん、避難だ。避難誘導を」
二階から転がるようにして降りてきた折井先生が、今まで聞いたことがないくらいの大声でぼくを呼んだ。
そうだ、避難しなきゃ。
先生は、今朝見たジャージ姿のまま、小脇にラジオをかかえてお客様に声をかけた。
「避難、避難です。外の、石段を上がって」
先生の声はうわずっていた。抱えたラジオから、ひっきりなしに避難を呼びかけていた。あいだあいだに、津波警報と津波の予測の高さ、到達予想時刻が読み上げられる。
ぼくは電源が切れた自動ドアを手動で開けて、お客様を誘導した。親子で来店していた人たちは、お父さんが船に乗り、お母さんは子どもを抱っこして足早に石段へ向かった。
一人で来ていた人たちは、船で沖を目指して行った。
「ばあちゃん、ゆっくりでいいから石段のぼっていて。俺、もやい綱を緩めるから」
木島さんの呼び掛けに、女子高生がおばあちゃんを助けながら石段へ行った。
「風間くん、逃げ遅れた人がいないか店内を点検」
「は、はい」
まだ心臓がばくばくいっている。足もなんだか力が入らない。でも、お客様の安全が最優先だ。店内には、誰もいなかった。
「全員退避しました」
ぼくが店から出ると折井先生は、店の壁についている金属のカバーを鍵で開けると、ボタンを押した。店の四方の壁に厚いシャッターが下りてくる。
「さ、わたしたちも避難だ。木島さーん!」
木島さんは作業を終えると、あっというまにおばあさんのところまで駆け上って、おばあさんを背負った。
石段は恐ろしいほど長く、ぼくの足は重く、以前登ったときの倍くらいあるみたいに感じた。
汗だくでのぼりきったときには、避難所のまえには、女性を中心に十人ほどが集まっていた。
先生は、集まった人数を数えた。十五人。
「みなさん、怪我はありませんか? 擦り傷とか小さな怪我でも遠慮なく言ってくださいね」
さいわい、怪我人はなしだった。
「それでは、避難所を開ける前に」
先生は、息を整えようと時間を少しいただきます、と言ってから説明を始めた。
「わたしは折井瞳といいます。ムーンシップ・コーポレーションの嘱託社員です。今は、えーと午後一時三十三分です。津波警報が解除され避難所が解散されるまでの責任者です」
みな、一様にうなずく。騒ぐ人はいない。
「わからないことは、なんでもお尋ね下さい。わたしか、こちらの風間に」
え!? ぼくに振るの? みなの視線がぼくに集まり、なんだか自己紹介しなくちゃならない流れになってしまった。
「ムーンシップ・コーポレーションの社員、風間伊千郎です。あの……がんばります」
わけのわからない挨拶をして頭をさげた。なぜか拍手が起きる。恥ずかしさで、ほてった体が余計に熱くなる。
「では、鍵を開けます」
先生は小屋の鍵を開けると、ぼくへ振り返った。
「風間くんは、まず名簿作りをお願いするよ」
名簿を作って、先生へ渡した。避難者リストは先生が、大屋代島にある地震情報集約事務所へ衛星電話で伝えた。
いざ避難所へ入ると元気なのは、ご婦人たちで、パントリーから非常食を出してきて、夕食の準備をはじめた。
ホールでは、先生がホワイトボードへ様々な情報を書いていた。
『震度5強、震源潮待島沖。月の舟島への津波到達予測時刻2時半、高さ50センチ』
「50センチなら、大丈夫ですよね。小さな津波だ」
ぼくの言葉に先生が振り返る。
「波は、ゆっくり来るわけじゃない。それに月の舟島みたいに地形が入江になっていると、波が高くなる」
あっ、とぼくは月での事前学習を思い出した。たしかに、そう言われた。
「50センチでも、津波は津波だ。油断できない」
「はい」
ぼくは自分の無知さに恥ずかしくなった。急に何をすれば、いいのか分からなくなって立ち尽くした。
「風間くん、こっち手伝ってくれ」
木島さんに呼ばれて、ぼくは隣の部屋へ行った。木島さんは、一人用のテントを組み立てていた。
「こっちの部屋は女性用になるから。とりあえず、12個作ろう」
木島さんは手際がいい。ぼくも木島さんに教わりながら、テントを作った。
「君たちは、毛布を二枚ずつテントに入れてね」
女子高生二人は、はいと返事をして仕事にいそしむ。彼女たちは、さっき石段を登るおばあさんを、自然に助けていた。なんだろう、不思議だけど、皆がみんなてきぱきと動く。たまたまお店に居合わせた人たちなのに。
「結局、男たちって俺たち三人だけなのな」
テントを建て終えて、木島さんが笑って見せた。
「みなさん、船を沖に移動させてましたけど、木島さんはよかったんですか?」
月の舟島周囲の海域では地震の場合、船は沖に逃げることが得策と言われている。
「タグボートには、ろくな毛布も食い物もない。沖へ行って、ばあさんを凍えさせるわけにはいかないから」
さて、ホールのストーブ確認して、テーブル出そうぜ、と木島さんが言う。調理室からは、美味しそうなにおいがしてきた。
夜を迎えた。
ホワイトボードは、先生の文字で埋まった。
凪舟島、全員避難完了。
潮待島、全員避難完了。
新生丸、月影丸、旭丸、沖合で待機。
海燕学園、生徒教師関係者一同避難完了。
水晶島津波到達、人的被害なし。
「よかった。お父さん、無事だよ」
と、船の名前を見て幼い子をつれたお母さんが子どもを抱きしめる。
「おー、うちのところも無事だよ、ばあちゃん」
湖水岬と追記されると、木島さんはほっとした様子で胸元からタバコを途中まで出して、ひっこめた。避難所は禁煙だからだ。
みんな、ちゃんと避難している。すごい。月では、地球は大規模自然災害が繰り返し発生するから、人が住むには過酷で適さない、と教わった。
それでも、月や火星へ移住せず、地球に住み続ける人たちがいるなんて理解できなかった。
今、ここにいるのは、幾度もの災害を乗り越えた人たちの子孫なんだ。
ぼくとは、違う。たぶん地球という大きな生命体の捉え方から。
「みんな、配膳、手伝って」
調理室から、大きな鍋や炊飯器が持ち込まれた。
「みんなでおにぎり、握ろう」
夕食は、おにぎりと味噌汁、それから魚肉ソーセージ。食後に乾パンの袋とペットボルトを一人に一つずつ配った。
節電しているから、避難所全体の照明がぼんやりとしていて、早い人はもう寝てしまった。まだ十時だ。
この人たちは、携帯通信機を持たない。テレビの放送もない。ラジオからの情報だけを頼りに夜を過ごすんだ。
女性たちの部屋からかすかに話し声が聞こえた。
——わたし、ゆうべおとうさんと喧嘩して、ダイキライって。
あの女子高生かな。進路を反対されたって。
うん、うん、と相槌を打っているのはもう一人の子だろう。
——今日は口きいていなくて。最後の言葉が、ダイキライになったら、どうしよう。ボードに父さんの船の名前がなかった。
——島に戻って、みんなと避難したんじゃないかな。
——おとうさん、おとうさん、ごめんなさい。
最後は涙声になった子の名前をお友だちが呼ぶ。きっと隣に座って元気づけているんだ。
女の子の声を耳にして、ぼくはよけい眠れなくなった。ホールから外へ出た。外へ出ると、木を燃やすにおいがした。
「よう、寝つけないか」
木島さんが、小さな火を燃やしてタバコを吸っている。ぼくがなんとなく火を怖がっているのを察したのか、木島さんが教えてくれた。
「こっち来たら? これ焚火っていうんだ」
焚火は金属の缶の中で木が燃やされていた。木島さんはどこから持ってきたのか、丸椅子に座っている。
「今日は、ご苦労さん。疲れたろう」
「はい」
なんだか、そう答えるのがやっとだった。
「たぶん、明日の朝には津波警報が解除される」
「あの。どうして皆さんは、自然に動くことができるんですか」
「自然にって、まあ、子どものころから避難訓練は学校や職場で月一くらいでやってるし、地域でもやるのが普通だし。それにお互い様って思っているから」
木島さんは、たばこの煙を長く吐き出した。
「お互い様、ですか」
「年を取れば地域の人たちに面倒見てもらわなきゃならない。だから、いずれ自分も、と思えばな」
老いるなんて、今の自分は想像もつかない、はるか先だ。
「いずれ、俺も誰かの厄介になる」
くくくっと木島さんは笑った。
そのとき、何かが見えた気がした。
循環だ。決まった数の椅子に座って、いずれ離れて、空いた椅子に誰かが座って。そうやって、地球はめぐる。
「まあ、日ごろからお互いにできることを助け合っているだけだ」
それより、と木島さんがいった。
「海を見てみろ、それから空も」
海には小さな明かりが浮かんでいる。避難した船たちの明かりだろう。空には満点の星。吐く息が白くなる。コンビニの制服だけだと寒いくらいだ。
彼——ぼくの前任者もこの星空を見たんだろうか。と、ふと思った。
ぼくの前任者は、ぼくと一緒に研修を受けていた。ぼくより偏差値の高い大学を出ていて、幹部候補生って噂されていた。「地球の自然を感じてみたいんだ」としきりに言っていたけど、半年で月へ戻ってきたという。
ぼくは正直、なんで? と思った。彼はあれほど地球に憧れていたのに。
「彼は今、療養中。それで、風間くんにすぐにでも地球へ行ってほしいのだけれど、どうかしら」
ソニア・安藤人事部長は、形のよい眉をハの字にしてぼくに尋ねた。もうぼく以外、地球用の待機者はいなかった。給料は上がるけど、なんせ不便だし自然災害だってある。好き好んで行くやつのほうが珍しいのだ。
「地球へ行くと母に言ったとき『ばかじゃないの』って言われました」
「そりゃそうかもな。物好きだよ、ここに来るのは」
「『あなたのことだから、ぼんやりして地球勤務希望ってとこにチェックいれたんでしょう』って。その通りなんですけど」
「その通りかい」
木島さんは、腹を抱えて笑った。ぼくもなんだか、笑ってしまった。
「風間くんも、いつか月へ帰るんだろう」
ぼくは返答に詰まった。いつか帰る、のか。
「それ、考えるとさびしいです」
「ずっといても、いいんだぜー」
木島さんは、新しいタバコに火をつけた。
「とりあえず、一年はいてみようと思ってます」
未来のことは、分からないけど。もう少し地球を知りたいと思う。
そのあとは、なんだか気持ちが落ち着いて、ぼくはホールに戻った。横になると焚火のにおいが服にしみていた。まるで焚火の横で眠るみたい。でもたぶん眠りは浅くて、なんだかよくわからない夢を見ていたような気がする。
「風間くん」
と、先生に声をかけられた。
「はい、宿題忘れました」
起き上がって思わず返事をすると、二人分の笑い声が聞こえた。目をこすって開けると先生と木島さんがいた。
「午前五時に津波警報、解除されたよ」
よかったと、ぼくは胸をなでおろした。
「朝日を見ないか。これでなかなか見られないから」
先生は充血した目で、ぼくを誘った。木島さんはなんとなくまぶたが重そうだ。ふたりとも、寝ずの番をしていたのかな。ひとりぐうすか寝ていた自分が恥ずかしい。
「見よう、ちょうど出てくるころあいだ」
先生に促されて外へ出ると、女性たちも半分くらいいた。女子高生の二人連れもいた。やっぱりあまり眠れなかったみたい。冴えない顔色で手をつないでいる。
空が白み始めていて、水平線が揺らめいていた。
太陽が顔をみせた。一直線にまぶしい光が差す。寝不足の目にはきびしい。美しいというより、はるかに強い。否応なしに朝がくる。
木島さんと来たおばあさんが手を合わせると、みんなも次々と朝日に手を合わせた。
昨日はひどい目にあった地球の営みに、それでも今は手を合わせ頭を下げる。
「……どんな時にも」
ぼくは呟いた。朝の光はまぶしくて、あまりにも強引で。
「朝はくるんですね」
「そうだよ」
おばあさんがぼくに応えた。
それにはどれほどの経験と思いがこめられていただろうか。ぼくも手を合わせた。
「あ!」
突然の大声に、驚いて振り向くとあの女子高生だった。
「お父さんの船、お父さんの!」
女の子は石段をかけおりる。入江から一艘の漁船が波をけたてて、入ってきた。
続くように何艘も船が白波を立ててやってくる。家族を迎えに来たのだ。みんなが、声をあげてんでに手を振る。
朝日が昇る。
ぼくは、この景色をずっと忘れないと思った。
ミナは、一晩中自分を励ましてくれた友人に詫びます。彼女だって心細かっただろうに、ミナにかかりきりにさせてしまったと。
その後も二人は友人です。
※コンビニは月本社から何名か派遣してもらい、片付けをしたので、三日ほど臨時休業しました。




