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月の舟で会いましょう  作者: たびー


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9/10

避難所の夜

※この作品には地震・津波の描写があります。実際の災害を軽んじる意図はなく、防災と助け合いを描くことを目的としています。ご不安・ご不快な方はご注意ください。


 月の舟の横には、裏山へ登る長い階段がある。初めて見た時には、思わず口を開けて見上げてしまった。

「避難用だよ」

 折井先生が、地球に到着したばかりのぼくに説明した。

「うえに避難所があるんだ。あとで見に行こう」

 避難用、避難所と聞いてぼくの背筋はぴんと伸びた。

「風間くん、月の舟へようこそ」

 折井先生が差し出した手をぼくは握った。学者と聞いていたけれど、先生の手はごつくて、労働者のようだと思った。


「木島さーん」

 午前十時、ぼくは階段を掃除する便利屋の木島さんへ声をかけた。

「休み時間だよー」

「おう、今いく」

 木島さんは、掃除道具をいったん階段へ置くと、ゆっくりとおりてきた。グレーの作業着に黒い長靴、首にはタオルを巻いている。

「やれやれ、年寄りにはつらい階段だ」

「まだ五十くらいでしょ。ぼくの親より若いや」

 そうか、と木島さんはぼくからメロンパンと出来立てのコーヒーを受け取った。

「もうじき本格的な秋になるから、掃除を月二回に増やすよ。落ち葉ですぐ階段が埋もれる」

 階段の先の山の木々は、赤や黄色に色づき始めた。朝晩めっきり冷えてきて、ソフトクリームの売り上げが鈍り、中華まんの売り上げが伸び始めた。

「そうですね、お願いします」

 木島さんは階段に腰を下ろして、コーヒーを飲んだ。

「こないだの、だいじょうぶだったか?」

「……平気じゃなかったけど、手順になれたというか」

 こないだ、というのは先日あった地震の事だ。

 月生まれ月育ちは、地震を知らない。地球にくるまで未体験だった。

「いつまでたっても、地震は怖いですよ」

「まあな、俺もだ」

 そんなふうに木島さんがぼくに聞くのは二年前、地球に来て半年したときの地震に、木島さんも居合わせたからだ。


 ぼくが地球へ来て、半年が過ぎた頃だった。季節は秋、十月。その日はいつもと変わりなかった。

 土曜日だったから、午後からは子ども連れのお客様や学生たちもちらほら見えていた。


「じゃあ、おじさんありがとう。二時間後ね」

 入り口で、漁船へ手を振ると女の子と、ふくれっ面をした女の子のふたり組が入店してきた。ふたりとも、セーラー服だから、海燕学園の高等部だろう。

「ミナ、お父さんにそんな顔して」

 ミナと呼ばれたのは、ふくれっ面の子だ。

「だって、就職先は地元にしろって。わたしは大屋代島がいいのに。地元なんて、イヤ。田舎でなんて暮らしたくない」

 進路を反対されたか。よくあることだけど、本人には大問題だよね。

 ふたりはそのまま、コスメの棚の前で足を止めた。

「ばあちゃん、どっちがいいの。油性? 水性?」

 年輩者の送迎と買い物のお手伝いをしている木島さんが、イートインスペースで数人のご夫婦たちとソフトクリームを食べているおばあちゃんのところへ、ペンを何種類か持っていった。 

 小さな子連れの親子は、何を選ぶんだろう。おもちゃかな、お菓子かな。

 ここ数日続いた雨が上がって、空は晴れわたっている。風もなく穏やかな日だ。

 まだ客足が伸びるかも。中華まん、スチーマーに追加で入れておこうかな。

 ぼくがそう考えていたとき。

 店内に流れていた宣伝の音声が、突然切れた。思わず天井を見上げると、聞いたことのない不協和音が鳴り響くと同時に、初めて聞く(ガイド)が流れた。

「地震です、地震です。強い揺れに注意してください」

 え? と思ったら、店のあちこちでカタカタと音が鳴り始めた。瓶、そうだガラス瓶、いや、棚、棚を押さえないと。

 ぼくはカウンターから飛び出した。けど、一気に強い揺れが襲ってきた。まともに歩けない。女の子の悲鳴が聞こえた。

 棚から音を立てて缶詰が落ちて床にぶつかった。落ちた商品で床が埋まっていく。店全体がまるで大きな手でねじられるように、ギシギシと悲鳴をあげた。

 揺れが収まるまで、ぼくは床にうずくまったまま、動けなかった。

「風間くん、避難だ。避難誘導を」

 二階から転がるようにして降りてきた折井先生が、今まで聞いたことがないくらいの大声でぼくを呼んだ。

 そうだ、避難しなきゃ。

 先生は、今朝見たジャージ姿のまま、小脇にラジオをかかえてお客様に声をかけた。

「避難、避難です。外の、石段を上がって」

 先生の声はうわずっていた。抱えたラジオから、ひっきりなしに避難を呼びかけていた。あいだあいだに、津波警報と津波の予測の高さ、到達予想時刻が読み上げられる。

 ぼくは電源が切れた自動ドアを手動で開けて、お客様を誘導した。親子で来店していた人たちは、お父さんが船に乗り、お母さんは子どもを抱っこして足早に石段へ向かった。

 一人で来ていた人たちは、船で沖を目指して行った。

「ばあちゃん、ゆっくりでいいから石段のぼっていて。俺、もやい綱を緩めるから」

 木島さんの呼び掛けに、女子高生がおばあちゃんを助けながら石段へ行った。

「風間くん、逃げ遅れた人がいないか店内を点検」

「は、はい」

 まだ心臓がばくばくいっている。足もなんだか力が入らない。でも、お客様の安全が最優先だ。店内には、誰もいなかった。

「全員退避しました」

 ぼくが店から出ると折井先生は、店の壁についている金属のカバーを鍵で開けると、ボタンを押した。店の四方の壁に厚いシャッターが下りてくる。

「さ、わたしたちも避難だ。木島さーん!」

 木島さんは作業を終えると、あっというまにおばあさんのところまで駆け上って、おばあさんを背負った。

 石段は恐ろしいほど長く、ぼくの足は重く、以前登ったときの倍くらいあるみたいに感じた。

 汗だくでのぼりきったときには、避難所のまえには、女性を中心に十人ほどが集まっていた。

 先生は、集まった人数を数えた。十五人。

「みなさん、怪我はありませんか? 擦り傷とか小さな怪我でも遠慮なく言ってくださいね」

 さいわい、怪我人はなしだった。

「それでは、避難所を開ける前に」

 先生は、息を整えようと時間を少しいただきます、と言ってから説明を始めた。

「わたしは折井瞳といいます。ムーンシップ・コーポレーションの嘱託社員です。今は、えーと午後一時三十三分です。津波警報が解除され避難所が解散されるまでの責任者です」

 みな、一様にうなずく。騒ぐ人はいない。

「わからないことは、なんでもお尋ね下さい。わたしか、こちらの風間に」

 え!? ぼくに振るの? みなの視線がぼくに集まり、なんだか自己紹介しなくちゃならない流れになってしまった。

「ムーンシップ・コーポレーションの社員、風間伊千郎(イチロウ)です。あの……がんばります」

 わけのわからない挨拶をして頭をさげた。なぜか拍手が起きる。恥ずかしさで、ほてった体が余計に熱くなる。

「では、鍵を開けます」

 先生は小屋の鍵を開けると、ぼくへ振り返った。

「風間くんは、まず名簿作りをお願いするよ」


 名簿を作って、先生へ渡した。避難者リストは先生が、大屋代島にある地震情報集約事務所へ衛星電話で伝えた。

 いざ避難所へ入ると元気なのは、ご婦人たちで、パントリーから非常食を出してきて、夕食の準備をはじめた。

 ホールでは、先生がホワイトボードへ様々な情報を書いていた。

『震度5強、震源潮待島沖。月の舟島への津波到達予測時刻2時半、高さ50センチ』

「50センチなら、大丈夫ですよね。小さな津波だ」

 ぼくの言葉に先生が振り返る。

「波は、ゆっくり来るわけじゃない。それに月の舟島みたいに地形が入江になっていると、波が高くなる」

 あっ、とぼくは月での事前学習を思い出した。たしかに、そう言われた。

「50センチでも、津波は津波だ。油断できない」

「はい」

 ぼくは自分の無知さに恥ずかしくなった。急に何をすれば、いいのか分からなくなって立ち尽くした。

「風間くん、こっち手伝ってくれ」

 木島さんに呼ばれて、ぼくは隣の部屋へ行った。木島さんは、一人用のテントを組み立てていた。

「こっちの部屋は女性用になるから。とりあえず、12個作ろう」

 木島さんは手際がいい。ぼくも木島さんに教わりながら、テントを作った。

「君たちは、毛布を二枚ずつテントに入れてね」

 女子高生二人は、はいと返事をして仕事にいそしむ。彼女たちは、さっき石段を登るおばあさんを、自然に助けていた。なんだろう、不思議だけど、皆がみんなてきぱきと動く。たまたまお店に居合わせた人たちなのに。

「結局、男たちって俺たち三人だけなのな」

 テントを建て終えて、木島さんが笑って見せた。

「みなさん、船を沖に移動させてましたけど、木島さんはよかったんですか?」

 月の舟島周囲の海域では地震の場合、船は沖に逃げることが得策と言われている。

「タグボートには、ろくな毛布も食い物もない。沖へ行って、ばあさんを凍えさせるわけにはいかないから」

 さて、ホールのストーブ確認して、テーブル出そうぜ、と木島さんが言う。調理室からは、美味しそうなにおいがしてきた。


 夜を迎えた。

 ホワイトボードは、先生の文字で埋まった。

 凪舟島、全員避難完了。

 潮待島、全員避難完了。

 新生丸、月影丸、旭丸、沖合で待機。

 海燕学園、生徒教師関係者一同避難完了。

 水晶島津波到達、人的被害なし。


「よかった。お父さん、無事だよ」

 と、船の名前を見て幼い子をつれたお母さんが子どもを抱きしめる。

「おー、うちのところも無事だよ、ばあちゃん」

 湖水岬と追記されると、木島さんはほっとした様子で胸元からタバコを途中まで出して、ひっこめた。避難所は禁煙だからだ。

 みんな、ちゃんと避難している。すごい。月では、地球は大規模自然災害が繰り返し発生するから、人が住むには過酷で適さない、と教わった。

 それでも、月や火星へ移住せず、地球に住み続ける人たちがいるなんて理解できなかった。

 今、ここにいるのは、幾度もの災害を乗り越えた人たちの子孫なんだ。

 ぼくとは、違う。たぶん地球という大きな生命体の捉え方から。

「みんな、配膳、手伝って」

 調理室から、大きな鍋や炊飯器が持ち込まれた。

「みんなでおにぎり、握ろう」


 夕食は、おにぎりと味噌汁、それから魚肉ソーセージ。食後に乾パンの袋とペットボルトを一人に一つずつ配った。

 節電しているから、避難所全体の照明がぼんやりとしていて、早い人はもう寝てしまった。まだ十時だ。

 この人たちは、携帯通信機を持たない。テレビの放送もない。ラジオからの情報だけを頼りに夜を過ごすんだ。

 女性たちの部屋からかすかに話し声が聞こえた。

 ——わたし、ゆうべおとうさんと喧嘩して、ダイキライって。

 あの女子高生かな。進路を反対されたって。

 うん、うん、と相槌を打っているのはもう一人の子だろう。

 ——今日は口きいていなくて。最後の言葉が、ダイキライになったら、どうしよう。ボードに父さんの船の名前がなかった。

 ——島に戻って、みんなと避難したんじゃないかな。

 ——おとうさん、おとうさん、ごめんなさい。

 最後は涙声になった子の名前をお友だちが呼ぶ。きっと隣に座って元気づけているんだ。

 女の子の声を耳にして、ぼくはよけい眠れなくなった。ホールから外へ出た。外へ出ると、木を燃やすにおいがした。

「よう、寝つけないか」

 木島さんが、小さな火を燃やしてタバコを吸っている。ぼくがなんとなく火を怖がっているのを察したのか、木島さんが教えてくれた。

「こっち来たら? これ焚火っていうんだ」

 焚火は金属の缶の中で木が燃やされていた。木島さんはどこから持ってきたのか、丸椅子に座っている。

「今日は、ご苦労さん。疲れたろう」

「はい」

 なんだか、そう答えるのがやっとだった。

「たぶん、明日の朝には津波警報が解除される」

「あの。どうして皆さんは、自然に動くことができるんですか」

「自然にって、まあ、子どものころから避難訓練は学校や職場で月一(つきいち)くらいでやってるし、地域でもやるのが普通だし。それにお互い様って思っているから」

 木島さんは、たばこの煙を長く吐き出した。

「お互い様、ですか」

「年を取れば地域の人たちに面倒見てもらわなきゃならない。だから、いずれ自分も、と思えばな」

 老いるなんて、今の自分は想像もつかない、はるか先だ。

「いずれ、俺も誰かの厄介になる」

 くくくっと木島さんは笑った。

 そのとき、何かが見えた気がした。

 循環だ。決まった数の椅子に座って、いずれ離れて、空いた椅子に誰かが座って。そうやって、地球はめぐる。

「まあ、日ごろからお互いにできることを助け合っているだけだ」

 それより、と木島さんがいった。

「海を見てみろ、それから空も」

 海には小さな明かりが浮かんでいる。避難した船たちの明かりだろう。空には満点の星。吐く息が白くなる。コンビニの制服だけだと寒いくらいだ。

 

 彼——ぼくの前任者もこの星空を見たんだろうか。と、ふと思った。

 ぼくの前任者は、ぼくと一緒に研修を受けていた。ぼくより偏差値の高い大学を出ていて、幹部候補生って噂されていた。「地球の自然を感じてみたいんだ」としきりに言っていたけど、半年で月へ戻ってきたという。

 ぼくは正直、なんで? と思った。彼はあれほど地球に憧れていたのに。

「彼は今、療養中。それで、風間くんにすぐにでも地球へ行ってほしいのだけれど、どうかしら」

 ソニア・安藤人事部長は、形のよい眉をハの字にしてぼくに尋ねた。もうぼく以外、地球用の待機者はいなかった。給料は上がるけど、なんせ不便だし自然災害だってある。好き好んで行くやつのほうが珍しいのだ。

 

「地球へ行くと母に言ったとき『ばかじゃないの』って言われました」

「そりゃそうかもな。物好きだよ、ここに来るのは」

「『あなたのことだから、ぼんやりして地球勤務希望ってとこにチェックいれたんでしょう』って。その通りなんですけど」

「その通りかい」

 木島さんは、腹を抱えて笑った。ぼくもなんだか、笑ってしまった。

「風間くんも、いつか月へ帰るんだろう」

 ぼくは返答に詰まった。いつか帰る、のか。

「それ、考えるとさびしいです」

「ずっといても、いいんだぜー」

 木島さんは、新しいタバコに火をつけた。

「とりあえず、一年はいてみようと思ってます」

 未来のことは、分からないけど。もう少し地球を知りたいと思う。


 そのあとは、なんだか気持ちが落ち着いて、ぼくはホールに戻った。横になると焚火のにおいが服にしみていた。まるで焚火の横で眠るみたい。でもたぶん眠りは浅くて、なんだかよくわからない夢を見ていたような気がする。


「風間くん」

 と、先生に声をかけられた。

「はい、宿題忘れました」

 起き上がって思わず返事をすると、二人分の笑い声が聞こえた。目をこすって開けると先生と木島さんがいた。

「午前五時に津波警報、解除されたよ」

 よかったと、ぼくは胸をなでおろした。

「朝日を見ないか。これでなかなか見られないから」

 先生は充血した目で、ぼくを誘った。木島さんはなんとなくまぶたが重そうだ。ふたりとも、寝ずの番をしていたのかな。ひとりぐうすか寝ていた自分が恥ずかしい。

「見よう、ちょうど出てくるころあいだ」

 先生に促されて外へ出ると、女性たちも半分くらいいた。女子高生の二人連れもいた。やっぱりあまり眠れなかったみたい。冴えない顔色で手をつないでいる。

 空が白み始めていて、水平線が揺らめいていた。

 太陽が顔をみせた。一直線にまぶしい光が差す。寝不足の目にはきびしい。美しいというより、はるかに強い。否応なしに朝がくる。

 木島さんと来たおばあさんが手を合わせると、みんなも次々と朝日に手を合わせた。

 昨日はひどい目にあった地球の営みに、それでも今は手を合わせ頭を下げる。

「……どんな時にも」

 ぼくは呟いた。朝の光はまぶしくて、あまりにも強引で。

「朝はくるんですね」

「そうだよ」

 おばあさんがぼくに応えた。

 それにはどれほどの経験と思いがこめられていただろうか。ぼくも手を合わせた。

「あ!」

 突然の大声に、驚いて振り向くとあの女子高生だった。

「お父さんの船、お父さんの!」

 女の子は石段をかけおりる。入江から一艘の漁船が波をけたてて、入ってきた。

 続くように何艘も船が白波を立ててやってくる。家族を迎えに来たのだ。みんなが、声をあげてんでに手を振る。

 朝日が昇る。

 ぼくは、この景色をずっと忘れないと思った。


ミナは、一晩中自分を励ましてくれた友人に詫びます。彼女だって心細かっただろうに、ミナにかかりきりにさせてしまったと。

その後も二人は友人です。


※コンビニは月本社から何名か派遣してもらい、片付けをしたので、三日ほど臨時休業しました。

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