両面コピーとステープラー 後編
その日の夕食後、洗濯物を先生とふたりで畳んでいる時に、昼の出来事を話した。
「……ということがあったんですよ。名前は小町さんって言うそうです。コバヤシさんが教えてくれました」
「わたしのファン、いたのか。へー」
シャツを畳む手を休めて先生は、しみじみと言葉を発した。夕食の前に、先生の紙の本をもう一度借りたら、カバーに先生の写真が印刷されていたんだけど。
「あれ、詐欺で訴えられますよ」
「どうして。無修正だよ」
「響きがイカガワシイです」
「もう二十年くらい前のわたしだからね、そりゃ多少別人みたいかも知れないけど」
写真の先生は、髪も服装もぴしっとしていた。背広姿で、たぶん大学の研究室かなにかだろう。ホワイトボードを背にしてたたずんでいるのは、いま目の前にいる本人とはあまりにかけ離れている。
「小町さんが好きなのは、むかしの先生かも」
「いやいや、彼女はコピーされた文章を読んで、わたしと分かったなら、見かけは気にしないのではないかな」
「度合いによりますよ」
タオルをたたみ終わると、ぼくらは所定の位置に服やタオルを納めた。
「小町さん、何かコピーしに来たんだね」
「そうです。今日で二回目でした。結局今日はコピーしないでステープラーの針だけ持って帰りました」
ふーん、と先生は腕を組み一分ほど黙った。
「そうだな、風間くん。彼女はそっとしておいてあげて」
「コバヤシさんにも同じ事を言われました」
小町さんは、月の舟から小一時間ほど離れた港の会社で事務員をしているそうだ。そちらで図書館船を利用しているから、コバヤシさんとは顔見知りらしい。
「彼女のような人たちは繊細だ。声を掛けたら、二度と姿を現さないかもしれない」
「なんですか、それ。妖怪ですか」
先生は、くすくす笑うと、「妖怪というよりは妖精かな」といたずらっぽく言った。
「それでコバヤシくんは、今回はきみになにを勧めてくれたのかな」
「今回はエッセイっていうのです」
本にはいくつも種類があるという。まるで魚みたいに。
本の世界も海みたいに広くて深いんだな。
ふう、とぼくはため息をつくと、お茶の準備をする。そろそろ夜は窓を開けていると肌寒くなってきた。
「それから、秋になったら手伝ってほしいことがあるって、コバヤシさんに言われました」
「へえ。なんだろうね」
先生は戸棚から、賞味期限の近づいたチョコレートを出してきた。
食後は先生と向かい合わせて読書をしたり、日誌を書いて月へ送信したりする。
「もう秋の虫の大合唱だ」
先生は目をつぶり、耳を澄ませている。夏はもうじき終わるんだ。
つぎに小町さんが店へ来たのは、十月になってからだった。先生とコバヤシさんから言われたとおりに、こちらからは先日の事は何も尋ねなかった。
「コピーを三回分お願いします」
小町さん、今日はジャージじゃなかった。シャツにデニムのパンツっていう派手じゃないけど、清潔感がある服装だ。髪もはねていないし、薄化粧までしていた。
ぼくはコピー用のコインを三枚わたして、あとは耳を澄ませた。規則正しくコピー機が動く音がする。悲鳴は聞こえない。だいじょうぶみたいだ。よかった。
それから毎週のように、小町さんはやってくるようになった。たいがいはコピーを三回分、たまにステープラーの針を買う日もある。
お互いの口から折井先生の名前が出ることもなく、日々は過ぎて行った。
ぼくの読書は、コバヤシさんの手ほどきで、月のドーム開発のノンフィクション、孤島で連続殺人が起こるミステリーにまた戻ったり、血の繋がらない家族の物語や、読んでも正直分からない純文学とか呼ばれるものまで、ジャンルは手広く本の世界を泳いだ。息継ぎも怪しく、あっぷあっぷだけれどね。
小町さんが来店した日には、先生に必ず伝える。先生は嬉しそうに笑う。
相変わらず、小町さんはコピーを三回分、ないしはコピー二回にステープラーの針ひと箱。
十一月になって、冬服になった中村さんがお店に顔を出した。学園祭で作ったお菓子をわざわざ届けてくれたんだ。水玉の小さなポーチにクッキーとマドレーヌが入ってた。ほわんとバニラの香りがする。
「クッキー、ちょっと焦がしちゃって」
「ぼくからしたら、お菓子が作れるなんて魔法みたいですよ、ありがとう」
お礼を言うと、中村さんは頬を赤く染めてうなずいた。
そして、また読み終わった本をぼくにあずけて、ソフトクリームを買ってお母さんと帰っていった。代休で三日ほど休みだから、帰省するんだって。きっとお店を手伝うんだろうな。
「今度の日曜日は、折井先生はご在宅でしょうか」
小町さんが、閉店まぎわの時間にぼくに声をかけた。いつもの台詞以外の事を言ったので、ぼくは少し驚いた。今日もコピー用のコインを三枚渡しただけで終わるかと思っていたのに。「ええ、日曜日はフィールドワークへは行かないので、だいじょうぶです」
「でしたら、四時過ぎに……五時くらいになるかもしれませんが、お会いしたいとお伝えください」
最近の小町さんは、他のお客様同様に少しおしゃれをして来店するようになっている。今日の小町さんの耳には、銀杏の葉っぱのピアスが揺れている。
「も、もちろん、先生がよろしければですが」
コピーした紙をはさんだバインダーをぎゅっと胸に抱きしめて、小町さんは言葉を詰まらせながらぼくに話した。
「先生なら大丈夫です。お客様からのお申し出を断りません」
ぼくの返答に、小町さんはふっと息を吐いて、肩がすとんと落ちる。
「じゃあ、ありがとうございます」
ぼくに挨拶をして小町さんは、便利屋さんのタグボートで家路についた。
やった! ようやく先生とご対面だ。そうと決まれば、水曜日に先生を理髪店へ連れていって、それから服は……と、そこまで考えて、疑問だけが残っているのに気付いた。
結局小町さんは何のためにコピーをたくさんしていたのかな。
ぼくはカウンターまわりにあった宣伝期間の切れたチラシを何枚か重ねた。それから引き出しから、めったに使わないステープラーを取り出した。重ねた紙の右の長辺を三ヶ所ほどステープラーで留めると……。
なんで、気づかなかったんだろう。紙をめくると、それは手になじむ。
これ、両面コピーの見本と同じじゃないか!
ぼくは大急ぎで閉店作業をすると、二階にかけあがって叫んだ。
「先生! こんどの日曜日に小町さんが先生に会いたいって!」
それから、とぼくが差し出した不格好な「本」を見て先生は笑った。
十一月の最終日曜日は、忘れられない日になった。
頼みごとがあると言ったコバヤシさんがぼくとの打ち合わせに、ちょうど来ていた。先生と小町さんとの感動のご対面にぼくらは居合わせていただいたのだけれど。
小町さんは、いつもより更にお洒落をしてきた。なんと、柔らかなひらりと裾がゆれるスカートをはいてきたのだ。それにお化粧もいつもより念入りだった。
結論からいうと、先生と対面した小町さんは、フラフラになった。
感極まると、人は倒れるらしい。
とっさにコバヤシさんが支えたので、事なきを得た。
たしかに先生は、ふだんの四割増しくらいにきちんとしていた。そのまま学会の発表に出られるくらいには。
そしたら、小町さんが泣いちゃって。というか号泣で。
「ようやく、思いが叶いました」って。
小町さんはコピー用紙で作った本というか小さな冊子を三種類、先生にわたした。
「折井先生の本からインスパイアされて書いた物語です」
つたなくて、お恥ずかしいですと小町さんはうつむいたけれど、先生は笑顔で受け取った。
「とてもうれしいです、ありがとう。ゆっくりと読ませていただきますね」
先生は本を大事そうに胸にかかえ、小町さんにお辞儀をした。
誰も、誰も言わなかった。「小説を書いていたのか」と。
ぼく以外……。
「小説って、本って作れるんですね、自分で」
小町さんはいっしゅん、きょとんとしたけど、そのあと笑った。先生もコバヤシさんも。
「作れるよ、なんのためにコピー機があると思っているんだい? 本を作るためじゃないか」
先生が柔和な笑顔でぼくに話しかけた。
「ふつうに、連絡するものもコピーしますよ」
ぼくが唇をとがらせて反論すると、コバヤシさんが笑いをこらえながら言った。
「そりゃそうだ」
それでも、三人は笑い続けて、なんだか腑に落ちないぼくだけが残された。
夜寝る前に、先生から小町さんが作った本を一冊借りて読んだ。
先生が研究している、地元の消えゆく神楽を主題にした物語だった。
それは、いままで読んだどの本よりも、すっとぼくのなかに染み込んできた。
素敵な物語だな、と思った。
それでも、まだ信じられない気持ちでいたんだ。
こんなに文字を綴って、本を作る人がいるなんて、と。




