両面テープとステープラー 中編
「コバヤシさんに、本を勧められました」
夕食の食卓を囲みながら、ぼくは今日の事を先生に話した。
「ほう、見せてごらん」
ぼくは借りてきた本を先生へ渡す。先生は箸をおくと、両手で本を受け取った。
「これはこれは。渋いね、コバヤシくんの選書は」
本のタイトルは、『青い封蝋の遺言』。作者は三雲玲と表紙に書いてある。
「ぼく、小説はあんまり読んだことなくて。だって、みんなAIが創った絵空事でしょう」
だから、嘘のない写真がぼくは好きなんだ。
「何を言う。ここは地球だぞ、月とは違う。みな生身の人間が書いたんだ」
もっとも、大半は亡くなっているけど、と先生は愛おしげに本の表紙を指でなぞった。
「ほら、漁師の恋人。あのおしゃれなシャツの。彼は小説家だよ。月からの移住者だ」
「え、それって」
「たぶん、財産のほとんどを使って地球へ来たんだろうな」
先生は、茄子のみそ炒めに箸を伸ばした。ぼくは鯖の塩焼きを口にほおばった。
月から地球へ移住するには、たんにお金がかかるだけじゃなくて、月での社会保険の権利を完全に破棄することなんだ。例えば、地球で診療ができない重い病気になったとき、月へ行っての治療が不可能になることを意味する。
こわいよ、そんなの。
でも、それが地球での「椅子」を得る絶対条件なんだ。
「じゃあ、あのシャツの彼は地球で小説を書いているのかな」
「こっちで書いて、月で発表するのはできるからな」
すごいな。ぼくは借りてきた本の厚みを見ると、ぶわっと汗が吹き出しそうになった。紙があの厚さになるまで、文章を書くなんて信じられない。
でも、それを言ったら折井先生だって、本を何冊か出しているらしい。
ぼくは、わかめと豆腐の味噌汁をすすった。
「あ、先生。先生の手持ちの本か何か、貸してくれませんか。コピーの見本を作りたいので」
「それは、べつに構わんが。何がいい? この周辺の民話かな。それとも……」
先生は少し、腰を浮かした。なんだか頬に明るい色が差す。
「なんでもいいんですよ。書き損じのノートでもいいし」
「なんだか、自尊心が削られるな」
頬の色は消え去り眉がねじくれて、先生は酢の物のイカを嚙み締めていた。
パン屋の女の子、中村さんが注文した布は二週間後に届き、はがきで連絡すると、すぐにお母さんが受け取りに来た。お母さんへは布を渡し、ぼくは読み終わった本を預かった。
手芸部のみんなでポーチをつくるそうだ。学園祭にいらっしゃいませんかと誘われたけど、あいにく土日もコンビニは営業するから、ちょっと無理かな。
そして九月の最終土曜日に、図書館船はやってきた。
雨降りで心配したけど、風がなくてよかった。
前回本を借りた人も、話を聞いて借りに来た人もいて、今回もにぎわっている。
「コバヤシさん、これお店で預かった本です」
ぼくは、図書館へ返すレジかごいっぱいの本をコバヤシさんへ渡した。
「おう、ありがとう。返却場所が増えると助かるよ」
コバヤシさんは、笑顔でレジかごを受け取ってくれた。
「このあいだの本は、どうだった」
「読んだけど、なんていうか、いまひとつよく分からなくて」
「そうか。じゃ、また何か選んでおくから」
なぜか、またコバヤシさんセレクトを読むことになるらしい。
と、船のエンジン音がきこえてきた。便利屋さんの船だ。お客様がやってきた。
「じゃ、また後で」
ぼくは店へ戻った。
便利屋さんは、個別に頼んだり乗り合いだったり、公共交通みたいに決まったコースを時間どおりに動くものがある。
いま入港したのは、後者だ。
船をもたない人や、免許をもたない人、子ども連れだったり、お年寄りだったり。
今日もいろんなお客様が降りてくる。
「いらっしゃいませ」
入店するお客様へ声をかける。みなさん、店内のあちこちに散る。ソフトクリームの注文は、かえりに集中するから、ちょっと待ちの時間……いや、あのお姉さんだ。今日も髪があちこちにはねているし、上下小豆色のジャージ姿だ。
「コピー、お願いします。二回分。あと、これも」
お姉さんは、ステープラーの針をカウンターに乗せた。あいかわらずバインダーを胸に抱きしめて、支払いを済ませた。
「操作方法が分からなかったら、聞いてくださいね」
コピー用のコインを渡してぼくは微笑んだ。しかし! 今回はきっと大丈夫だと思う。
コピー機へ行ったお姉さんの控え目な「あっ」が聞こえた。きっとぼくが悪戦苦闘して作った、両面コピーのとじ方見本をみつけたんだ。
ぼくはカウンターの下で、小さく握りこぶしを作る。お役に立てて何よりです。
なんて、ひとり悦に入っていたら、お姉さんがカウンターに小走りで駆けつけた。
「こ、これ。この文章は折井瞳先生の著書のコピーですよね!」
折井先生の名前……瞳? たいがい忘れているけど。たしかそう。
「手書きで、これまだ本になっていないやつ。どうして見本なんかになっているんですか!」
「どうしてって、先生ここに住んでますよ」
え、っとお姉さんは言ったきり両手で口を押さえて、よろよろと数歩下がった。
「呼んできましょうか?」
ぼくが二階を指差して言うと、顔を真っ赤にしたお姉さんは首を激しく左右に振った。
「そんな……夢がこんなにあっさり叶っていいはずが……や、なんでジャージ、すっぴん!」
お姉さんは、見本をぼくに押し付けると、店から飛び出してしまった。
「よう、小町!」
コバヤシさんの、知り合い? お姉さんは名前を呼ばれて悲鳴をあげ、ちょうど出発するとこだった便利屋さんのタグボートへアスリートさながらのジャンプで飛び乗ると、そのまま帰っていった。
「コピーのコイン、使わなかったよな」
コバヤシさん、知ってるみたいだからあとで聞こう。
ちょうど、ソフトクリームを注文されたので、お姉さんのことは、ひとまず保留にした。




