春の雪 佳也子のために
昼から急に冷え込んできた。四月だけど雪が降るかもしれない。
フィールドワークに出かけた先生は大丈夫だろうか。ぼくは外の様子が気にかかった。
鈍色の空から今にも雪が舞い降りそうだ。降るならたぶんぼたん雪だろう。
四月の雪は、ぼくが地球に来てばかりの頃を思い出す。
それはもう二年前になるんだけど。
ぼくが地球に来て、まだ二週間くらいだった。
外は四月とは思えないほど冷え込み、雪が降り始めた。
雪片は、まるで手のひらくらいの大きさに見えた。それが止むことなく、海に降る。ぼくはその光景に見とれた。
「そろそろ仕事に慣れましたか?」
折井先生に声をかけられ、ぼくは我に返った。
コンビニの制服を着たぼくの横には折井先生が同じく制服を着てレジカウンターにいた。
「風間くんはソフトクリームを巻くのがうまいね」
「いえ、はい、ありがとうございます」
いや、あなたが下手すぎ……という言葉をぐっと飲み込んで、笑って見せた。
「ごめんね、本職じゃないわたししか、指導者がいなくて」
「はい、や、あの、大丈夫です」
実際、地球のコンビニ「月の舟」は、月でバイトしていたコンビニに比べると、格段にラクだ。
値段は均一、ひとり三点まで。
公共料金の支払いも、宅配の受付もない。トラブルになりそうな、たばことアルコールは販売品目にはない。
ホットスナック類は、注文されてから電磁調理器を使えば一瞬で提供できる。もちろん、ショーケースにあらかじめ作って入れて置けるけど、ロスが出る可能性があるから、ぼくは注文ごとに作る。
「ケースがさびしいから、作っておこうよ。風間くん、唐揚げ作って。わたしは外の雪かき、ちょっとしてくる」
先生は一度片付けた雪かきスコップをバックヤードから引っ張り出して、店の前の雪をよけ始めた。雪といっても、降るごとにすぐ水になる。先生は手際がいい。民俗学者だって言うけど、ほんとかな。
先生は、月の舟の本社、ムーンシップ・コーポレーションから支援を受けて地球でのフィールドワークをしているそうだ。
人口が減ったあと、人々の暮らしがどのように変化したか、伝統行事や芸能は伝承されているのか、そういったことを研究しているらしい。ぼくには、よくわからないけど。
唐揚げ作るといったって。今日みたいに天気が悪い日は、どうしたって客足が遠のく。なんせ、お客様はもれなく船でくるから。
それでも、元気よく雪かきをしている先生に悪いから、唐揚げいくらか作るか。
カウンター下の冷凍庫から、冷凍の唐揚げを出していたら、威勢のいい先生の挨拶が聞こえた。
「いらっしゃいませ!」
あわてて立ち上がると、自動ドアが開いて、おじいさんと少年が入店してきた。
二人ともきちんとオーバーを着ている。おじいさんは、中折れの帽子、少年は毛糸のベレー帽をあたまに乗せている。少年は——、小学高学年かな、鼻のあたまが赤い。甲板にいたのかもしれない。桟橋に停められた船は、漁船ではなくクルーザーぽい。
地球のコンビニに来て驚いたのは、お店に来るお客様がみんな、きちんとした服装で来ることだ。首のあたりや膝が伸びたような、ダルダルのスエットに素足にサンダル、なんて見かけない。
コンビニは特別な場所なんだな。
スナック菓子のほうへ歩いていた少年が、振り返ってカウンターへ走ってきた。
「あの、妹の分も買っていっても、いいですか?」
あ、よくあるQ&Aだ。
「ごめんね。直接お店に来た人の分しか買えないんだ」
少し腰を屈めて、少年と目線を合わせて説明した。
賢そうな栗色の瞳が曇って、少年は唇をきゅっと噛んだ。
「だって、佳也子はコンビニに来られない」
ん? ぼくが首を傾げたとき、少年はおじいさんから呼ばれてカウンターから離れた。
妹さんは佳也子ちゃんっていうのかな。コンビニ来られない理由がなにかあるんだろうけど、決まりは決まりだから。それでも、ぼくの胸はチリっと痛んだ。
「はあ、春の雪は重いなあ」
頭から湯気をたてながら、先生が外から戻ってきた。先生は眼鏡をはずすと、首に巻いたタオルで頭と顔を拭いて一息ついた。
「あの、さっき男の子に、妹さんの分も買っていっていいか聞かれたんですけど……駄目ですよね」
ぼくが小声で先生に尋ねると、先生は眼鏡をかけなおし眉を八の字にした。
「駄目だよ。決まりだから。これは原則中の原則なんだ」
「そうですよね」
子供にほだされて、決まりを破ったら、きっときりがない。ここは心を鬼にしないと。そんな気持ちで少年を目で追っていた。
しばらくして、少年はレジにやってきた。
桃のゼリー、折り紙、ぬり絵の三点だ。ゼリーにスプーンをつけて、ぼくの手が止まる。ぬり絵は、女の子向けの絵柄だった。
この子は、自分の欲しいものではなく、おそらくは妹さんの物だけにしたんだ。
少年は小さめのエコバッグに、品物を入れた。
「薬は、売ってませんか」
まなじりを決して少年はぼくらに尋ねた。おじいさんが、あわてて少年の腕を引いた。
「お兄さんたちは、月から来たんでしょう。なにか、薬はありませんか。どんな病気でも治せる薬」
「カイト、やめないか」
「だって、お父さん」
え、お父さんだったの。いや、そっちに驚いている場合じゃない。ちゃんと答えなきゃ。
「あのね」
「薬はないんだ」
ぼくより先に先生が答えた。少年は先生を見上げた。先生はなかば気をつけの姿勢で少年を見下ろし、話した。
「わたしたちは、月から来た。いずれ月に帰る。それだけの存在なんだ。地球のことには、干渉できない決まりがある。薬はない、申し訳ないが」
少年は目を見開き、先生を見上げた。唇がわななく。栗色の目が涙で潤んだ。
「そんな、じゃあ、佳也子は死んじゃうよ」
その言葉に、先生の顔がゆがんだ。きっと、ぼくも先生と同じ顔をしてしまった。
「知ってる。地球の「椅子」は決まった数しかないから、だれかが立たなきゃ赤ちゃんが生まれない」
「そうだね。学校ではそう教えているね」
先生の声は落ち着いている。先生の瞳は慈しみ深く、少年を見つめている。
「それでも、椅子から立つのがぼくの妹じゃなくてもいいじゃない」
少年はあふれる涙をオーバーの袖で拭った。
「すみません、さあ、帰ろう」
少年の父親は、ぼくらに頭を下げて店から出て行った。その背中を見送りながら、先生は長いため息をついた。
外は雪が降り続き、白いクルーザーは雪に紛れて見えなくなった。
ぼくは、何もできなかったな。
雪かきスコップで、ウォークボードから雪を海に落としていく。天気が荒れているから、閉店の六時まで、お客様はあまり期待できないかな。
雪かきが終わるころ、タグボートが入り江に入ってきた。先生が乗っていった便利屋さんのボートだ。
桟橋に着くと、ボートから先生が下りてきて一直線で店へ走ってくる。予備のタオルを準備していると、すぐに先生が店へ飛び込んできた。
「さむっ、寒かった」
タオルを渡すと、先生は頭をガシガシと拭いた。
「まいった、途中からずっと雪で。せっかく凪舟島まで行けたのに」
くやしいなあ、と先生は言いながら濡れたカバンを拭く。
「お風呂に入ったら、どうですか。沸かしてあるから、すぐに入れますよ」
「風間くんは、気が利くなあ。しかたないから、今日は風呂をいただくか」
「毎日いただいてくださいよ」
ぼくの最後の言葉はスルーして、先生は二階へ上がっていった。
——春の雪は、すぐに溶けるから。
あの日、先生はつぶやいた。
地球のコンビニ、ぜんぜんラクじゃないよ。ぼくは降り続く雪を見てそう思った。




