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月の舟で会いましょう  作者: たびー


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4/10

風間の休日 後編

 漁港に不似合いな、船が一艘停泊している。まるで大きな角砂糖を乗せているみたいな見た目だ。角砂糖には、ランプの下で、本をひらく子供のイラストが描かれている。    

 やっぱり図書館船だ! ぼくの胸ははやる。

 子ども連れの親子が目立つけど、年齢関係なく人が集まっている。

 小さな箱から踊りたくなるような曲が流れ、箱のてっぺんからシャボン玉が吹き出している。これだけで、小さい子が集まる。

 人垣の中に、ひときわ背が高くガタイのいい背中が見えた。

「司書さーん! コバヤシさーん!」

 角刈りの頭が振りかえる。

「おう」

 コバヤシさんは、貸し出しと返却の仕事をしながら、ぼくに挨拶する。デニムのエプロン、コバヤシさんの体が厚いから後ろのひもがギリギリだ。

「ぼくも本が借りたいから、話はそれからでいいかな」

「かまわないよ」

 コバヤシさんは、手を休めることなくぼくに応えた。ぼくは、落ち着いた気持ちで図書館船に乗る列に並ぶ。船には一度にたくさんの人が乗れないから、一人降りたら一人乗る。小さい子もお年寄りも、みんな順番を守るの、えらい。

 女の子たちが、今日借りる本の話をしている。花の本、星の本、本棚を作りたいって言う子、ケーキの作り方の本がいいと言う子。みんな、目をキラキラさせて。

 見ているぼくも、浮き足立っちゃうよ。

 順番が来た。渡し板から船へ乗り込む。

 船内は両側に本棚がある。本棚の上に細長い窓が四つくらいあって、光と風が入るようになっている。波に揺られる船内で本を選ぶと、何かのアトラクションかゲームみたいで楽しい。

 本棚の低い位置には、絵本や子ども向けの本。それから図鑑や写真集みたいに重い本。高いところは大人向けのもの。文庫本のコーナーもある。

 実用書コーナーに、バッグや服の作り方の本があった。パン屋の女の子も、借りた本を見ながらバッグを作ったのかな。

 ぼくは、写真集を一冊選んだ。操舵室の扉の前では、みんなが必ず足を止める。そこには館長がいるからだ。

「館長」

 ぼくが声をかけると、青い目を眠たげに開いてチラリと見て、また目を閉じる。ふかふかのベッドに眠る館長は美しい白猫だ。首には赤いリボンをしている。

 館長は無理にさわられると、容赦なくひっかく。だから、来館者は館長を見るだけだ。

 さわりたいけど、さわれない。なんて悪女だ。でもたまらなくかわいい。

 船から出て、コバヤシさんに貸し出しの手続きをしてもらった。

 人波がはけるまで、借りた本を眺めて待つことしばし。

「風間さん」

 いつの間にか、小一時間経っていた。

「こんにちは、コバヤシさん。お久しぶりです」「久しぶり」

 コバヤシさんは、白い歯を見せて笑った。日に焼けた肌に相俟って、歯の白さが目立つ。

「先日のことだけど」

「月の舟のところに、図書館船が立ち寄ることだね」

 コバヤシさんは、破顔した。

「役所から許可がおりたよ」

 ぼくは、思わず万歳をする。よかった! 許可されたんだ。

「役所とムーンシップで協議されてさ。月の舟はもとより営利目的じゃなくて、慈善事業だろ?」

「そうです。本社ではそのような位置付けでコンビニは運営されています」

「そこが頭の固い役所連中にも、ようやくご理解いただけたんだよ」

「やった! いつから来ます? 来月から?」

 勢い込むぼくの肩をコバヤシさんが軽くたたく。

「落ち着け。いちおう、来月からの予定に入れてある」

 コバヤシさんは、運航予定のチラシをぼくに差し出した。八月の終わりに、月の舟島って書いてある。

「店にもお知らせを貼っておきますね。みんな喜びますよ」

「うちも、利用者が増えると嬉しい。さて、今日はそろそろ終わりかな」

 コバヤシさんは帰り支度を始めた。船内の本が揺れて落ちないように、本棚に金属のバーを取り付ける。

「館長、抱っこしててくれるか」

「え、いいの? 館長、怒らない?」

 大丈夫だって、とコバヤシさんは館長を抱き上げると、ぼくへバトンタッチした。

 ふわりと軽く、信じられないくらい柔らかく。館長は不機嫌にはならず。ぼくの不慣れな抱っこに我慢してくれた。

「う……さいこう」

 猫、地球へ来るまでさわったことがなかった。月では飼っている知り合いもいなかったから、ぼくのなかでは半ば伝説の生き物だった。

 その間にも片付けは進み、最後にコバヤシさんはぼくから館長を受け取った。

「じゃあ、来月の寄港を楽しみにしています」

「こちらこそ、また」

 ぼくは図書館船を手を振って見送った。来月から図書館船が月の舟へも立ち寄る。そしたらまた館長を抱っこできるかな? それは運次第だろうけど。きっと先生もお客さんも喜ぶニュースだ。

 さて、日が暮れる前に帰ろう。ぼくの腕前じゃあ、夜の海は渡れない。

 ぼくは来た時よりもずいぶん増えた荷物を持って、家路に就いた。


 月の舟へ帰りつくと、空の半分は藍色になっていた。一番星が光っている。水平線ぎりぎりにまだ太陽が残っていて雲を茜色に染めている。

 船をしっかり係留してから、今日の戦利品を持ってバックヤードから階段を登る。

 直ぐに広い廊下みたいなスペースにあるシンクにたどり着く。暗い。まず明かりをつけた。

「先生ー、ただいま」

 三室並んだ一番奥の、折井先生の部屋の扉をノックする。

「先生、開けるよ」

 いちおう断りを入れてから、引戸を開けると、こちらに背を向けた先生が見えた。

「また明かりつけないでいるし」

 照明のスイッチを入れる。寝る場所はなんとか確保されているけれど、それ以外は本やノートが山をなしている。部屋の窓際に置かれた机からむくりと体が起き上がった。

「お、手元がよく見える」

「よく見えるじゃないよ」

 先生は作業に集中すると、何もかも忘れる。

「お帰り」

「ただいま。はい、アジの干物とパン、買ってきた」

「これは、これは。どれもうまそうだ」

 先生は椅子から立ち上がり、伸びをした。

「よし、夕飯はわたしが作ろう」

 そう言うと、先生はずり下がった黒ぶち眼鏡をあげ直しキッチンへ向かう。

「風間くんは、休んでいたまえ」

 時代がかった言葉遣いで、嵐のなかを歩いてきたような髪型の先生は冷蔵庫を開けた。

「それじゃあ、ぼくは現像作業してますから」

 はいはい、と調子のいい返事に一抹の不安を覚えつつ、ぼくは階段から一番手前の部屋に入った。

 出かける前に干していた洗濯物を取り入れようと、そのまま突き当りの掃き出し窓からベランダに出た。夜露に濡れる前に二人分の洗濯物を部屋に放り込む。今夜は風が凪いでいるみたいだ。二階全体に空調が効いているから、暑すぎたりしないから助かる。

 部屋に戻ると、ベッドに横になる。ちょっと疲れたかな。船を動かしたの、半月ぶりだったから緊張した。先にシャワーをすませたらよかったかな。なんだか、あくびが出る……。少しだけ、少しだけ休もう。

 そのまま、一気に眠りに落ちてしまった。

 どれくらい眠っただろう。ぼくは、魚が焼けるいいにおいと腹の虫に負けて、目が覚めた。あ、フィルム現像しようと思ったのに。時計を見ると、間もなく七時半だった。

 そのままボケっとベッドに腰かけていたら、扉の向こうから派手な音がした。

「先生!」

 引き戸を開けると、煙がどっと流れてきた。見ると、七輪の干物から盛大に煙が上がっているし、コンロの鍋は煮立っているしで……。

「先生、落ち着いて。まず、本を置いて。そしたら、横にずれて、換気扇の紐を引いて」

 ぼくは七輪から魚と網をよけて、コンロのスイッチを止めた。

 そう、先生は本を読みながら調理をしていたのだ。毎度のこととはいえ、今回は干物が犠牲になってしまった。

「先生、いつも言っていますが、料理中は」

「本を読まない、です」

 先生は肩を小さく丸めてうなだれる。

「はい、そうですね。先生がやけどをしたり、お店が火事にならなくてよかったです」

「すまない。干物を駄目にして」

「また買ってきます。それにほら、一枚無事ですよ。これはぼくが焼きますね」

 すっかり眠気が吹っ飛んだ。ぼくは残った一枚のアジの干物を、火を起こしなおした七輪であぶった。干物の表面に油がじくじくと見えてくると、いいにおいがしてくる。お腹が、ぐうと鳴る。先生は、かすかに土のにおいがする野菜を茹でておひたしを作っている。

「モロヘイヤですか」

「いや、つるむらさき。おとといのフィールドワークで、話を聞き取りしたおばあさんからいただいてきたんだ」

「先生は、研究に行っているのか、野菜をもらいに行っているのか分からないですね」

 そうだな、と先生は笑った。

「でも、これが現地へ赴く醍醐味だと思わんかね」

「ぼく、大学で先生みたいな人がいたら、もっとまじめに勉強したと思いますよ」

 自分のあまり真面目でも優秀でもなかった学生時代を振り返って、残念に思う。

 魚は焼きあがり、あとは厚焼き玉子を作ってみた。厚さは均一じゃなかったけど、ネギと紅ショウガを刻んで入れたから、味に変化があっていいかな。

 ぼくらは真ん中の部屋の座卓で、夕食を囲んだ。

 アジの干物は半分こした。つるむらさきのおひたし、厚焼き玉子、トマトと胡瓜のマリネ、玉ねぎとじゃがいものみそ汁。うん、上等だ。

「今日ね、写真、撮らせてくれたんですよ、映画館のゴスロリ親子が」

「それは、一見の価値ありだな」

「それで、薬局があるじゃないですか。生薬の効能書いた紙を貼る」

「あるな。入る機会がなかなかないが」

「あそこの店内に古い写真が飾ってあったのが、外からも見えて。そしたらゴスロリ親子が」

「……きみみたいに、モノクロで撮ったのでは?」

「いえ、他のはカラーでした」

 ふたりとも箸が止まる。先生が、うーんと頭をひねってからつぶやいた。

「もしかしたら、映画館の主人は代々あの服なのかも」

「ですかね」

 ぼくはご飯のお代わりをよそった。

「それよりも、だ。月から連絡があったぞ。後任が決まらないから、まだ風間にお願いしたいと」

「ソニア安藤さんが?」

「そう。不自由かけて申し訳ないと言ってたよ」

「ぼくは……モバイル忘れただけで、八方塞がりになる月のほうが不自由に感じます」

 モバイルには、電子マネーから身分証明までなんでもできるし、トラムやメトロの定期だって入っている。

「入社の面接のとき、モバイル忘れたって、いまだに語り草だよね、風間くんはさ」

「そういうのは、忘れてください。アジ、美味しいですね」

「地球へ来たのは、入社のときにうっかり『地球勤務可』にチェック入れたとか、伝説級」

 先生、笑いすぎだよ。全部事実だから、否定はしません。

「ごちそうさまでした」

 食べ終わった食器をシンクに運ぶ。あとから先生もついてくる。座卓の上を片付けて、先生と食器を洗う。

「あ、来月から図書館船がうちの島にも来てくれます。今日コバヤシさんから知らされました」

「そりゃ、楽しみだね」

 ふふふと先生が笑う。すでに、先生の部屋は本で一杯なのに、このうえ本が欲しいらしいの、不思議でならない。

「お風呂、風間くんが先に使いなよ」

「はい、先生もちゃんと入ってくださいよ」

 先生、どうかすると風呂をパスするから、きちんと言わないと。

 食器を洗い終わると、先生はそそくさと自室へ消えた。じゃあ、先に風呂だな。


 寝る前にベッドで借りてきた本を開いた。

 世界遺産の本のページをめくる。

 壮麗な寺院、勇壮な自然。ため息が出る。これらのほとんどが、いまは水底に沈んでいるんだ。

 月の舟の桟橋あたりにも、ビルの影が見える。実際に水に潜って見られたら、いいだろうな。

 と、うっとりしていたら、灯りが消えた。

「あー! 停電!」

 先生の叫び声がした。お店は非常用蓄電池に切り替わるから、商品には支障がない。けど、2階にまでは電力を回してくれない。

 ぼくは暗闇に目がなれてから、ベッドからそろりと降りて、キッチンのシンクの向こうの窓とベランダ側の窓を開けた。

 裏山からの涼しい風が吹き抜ける。人が少なくなってから、熱帯夜は無くなったときいた。

 月はもう沈んだらしい。星いっぱいの空が見える。ベランダで夜空に見惚れていたら、ゆっくり明滅する光が目の前を、たゆたっていった。

 蛍だ!

 蛍の光が、いくつもいくつも飛んでいる。

 現地にいかないとわからないこと……。

 これだよなあ。

 名残惜しいけれど、ぼくは部屋に戻った。それから、先生の部屋の扉を叩いた。

「先生、分かっているでしょうが、冷蔵庫の扉は開けちゃダメですからね」

「はい、はい」

 扉の向こうからの返事が、心もとない。

 冷蔵庫は停電でも、開け閉めさえしなければ朝まで保冷してくれる。

 なんとか先生が忘れませんようにと、祈ってぼくは床に入った。

 館長、やわらかかったなあ。また、さわらせてくれるかなあ。

 館長を抱っこしたときのやわらかさを思い浮かべているうちに、ぼくは眠りについた。


 後日、現像したらゴスロリ親子はピンボケで、膝から崩れ落ちたのは、また別の話。

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