風間の休日 後編
漁港に不似合いな、船が一艘停泊している。まるで大きな角砂糖を乗せているみたいな見た目だ。角砂糖には、ランプの下で、本をひらく子供のイラストが描かれている。
やっぱり図書館船だ! ぼくの胸ははやる。
子ども連れの親子が目立つけど、年齢関係なく人が集まっている。
小さな箱から踊りたくなるような曲が流れ、箱のてっぺんからシャボン玉が吹き出している。これだけで、小さい子が集まる。
人垣の中に、ひときわ背が高くガタイのいい背中が見えた。
「司書さーん! コバヤシさーん!」
角刈りの頭が振りかえる。
「おう」
コバヤシさんは、貸し出しと返却の仕事をしながら、ぼくに挨拶する。デニムのエプロン、コバヤシさんの体が厚いから後ろのひもがギリギリだ。
「ぼくも本が借りたいから、話はそれからでいいかな」
「かまわないよ」
コバヤシさんは、手を休めることなくぼくに応えた。ぼくは、落ち着いた気持ちで図書館船に乗る列に並ぶ。船には一度にたくさんの人が乗れないから、一人降りたら一人乗る。小さい子もお年寄りも、みんな順番を守るの、えらい。
女の子たちが、今日借りる本の話をしている。花の本、星の本、本棚を作りたいって言う子、ケーキの作り方の本がいいと言う子。みんな、目をキラキラさせて。
見ているぼくも、浮き足立っちゃうよ。
順番が来た。渡し板から船へ乗り込む。
船内は両側に本棚がある。本棚の上に細長い窓が四つくらいあって、光と風が入るようになっている。波に揺られる船内で本を選ぶと、何かのアトラクションかゲームみたいで楽しい。
本棚の低い位置には、絵本や子ども向けの本。それから図鑑や写真集みたいに重い本。高いところは大人向けのもの。文庫本のコーナーもある。
実用書コーナーに、バッグや服の作り方の本があった。パン屋の女の子も、借りた本を見ながらバッグを作ったのかな。
ぼくは、写真集を一冊選んだ。操舵室の扉の前では、みんなが必ず足を止める。そこには館長がいるからだ。
「館長」
ぼくが声をかけると、青い目を眠たげに開いてチラリと見て、また目を閉じる。ふかふかのベッドに眠る館長は美しい白猫だ。首には赤いリボンをしている。
館長は無理にさわられると、容赦なくひっかく。だから、来館者は館長を見るだけだ。
さわりたいけど、さわれない。なんて悪女だ。でもたまらなくかわいい。
船から出て、コバヤシさんに貸し出しの手続きをしてもらった。
人波がはけるまで、借りた本を眺めて待つことしばし。
「風間さん」
いつの間にか、小一時間経っていた。
「こんにちは、コバヤシさん。お久しぶりです」「久しぶり」
コバヤシさんは、白い歯を見せて笑った。日に焼けた肌に相俟って、歯の白さが目立つ。
「先日のことだけど」
「月の舟のところに、図書館船が立ち寄ることだね」
コバヤシさんは、破顔した。
「役所から許可がおりたよ」
ぼくは、思わず万歳をする。よかった! 許可されたんだ。
「役所とムーンシップで協議されてさ。月の舟はもとより営利目的じゃなくて、慈善事業だろ?」
「そうです。本社ではそのような位置付けでコンビニは運営されています」
「そこが頭の固い役所連中にも、ようやくご理解いただけたんだよ」
「やった! いつから来ます? 来月から?」
勢い込むぼくの肩をコバヤシさんが軽くたたく。
「落ち着け。いちおう、来月からの予定に入れてある」
コバヤシさんは、運航予定のチラシをぼくに差し出した。八月の終わりに、月の舟島って書いてある。
「店にもお知らせを貼っておきますね。みんな喜びますよ」
「うちも、利用者が増えると嬉しい。さて、今日はそろそろ終わりかな」
コバヤシさんは帰り支度を始めた。船内の本が揺れて落ちないように、本棚に金属のバーを取り付ける。
「館長、抱っこしててくれるか」
「え、いいの? 館長、怒らない?」
大丈夫だって、とコバヤシさんは館長を抱き上げると、ぼくへバトンタッチした。
ふわりと軽く、信じられないくらい柔らかく。館長は不機嫌にはならず。ぼくの不慣れな抱っこに我慢してくれた。
「う……さいこう」
猫、地球へ来るまでさわったことがなかった。月では飼っている知り合いもいなかったから、ぼくのなかでは半ば伝説の生き物だった。
その間にも片付けは進み、最後にコバヤシさんはぼくから館長を受け取った。
「じゃあ、来月の寄港を楽しみにしています」
「こちらこそ、また」
ぼくは図書館船を手を振って見送った。来月から図書館船が月の舟へも立ち寄る。そしたらまた館長を抱っこできるかな? それは運次第だろうけど。きっと先生もお客さんも喜ぶニュースだ。
さて、日が暮れる前に帰ろう。ぼくの腕前じゃあ、夜の海は渡れない。
ぼくは来た時よりもずいぶん増えた荷物を持って、家路に就いた。
月の舟へ帰りつくと、空の半分は藍色になっていた。一番星が光っている。水平線ぎりぎりにまだ太陽が残っていて雲を茜色に染めている。
船をしっかり係留してから、今日の戦利品を持ってバックヤードから階段を登る。
直ぐに広い廊下みたいなスペースにあるシンクにたどり着く。暗い。まず明かりをつけた。
「先生ー、ただいま」
三室並んだ一番奥の、折井先生の部屋の扉をノックする。
「先生、開けるよ」
いちおう断りを入れてから、引戸を開けると、こちらに背を向けた先生が見えた。
「また明かりつけないでいるし」
照明のスイッチを入れる。寝る場所はなんとか確保されているけれど、それ以外は本やノートが山をなしている。部屋の窓際に置かれた机からむくりと体が起き上がった。
「お、手元がよく見える」
「よく見えるじゃないよ」
先生は作業に集中すると、何もかも忘れる。
「お帰り」
「ただいま。はい、アジの干物とパン、買ってきた」
「これは、これは。どれもうまそうだ」
先生は椅子から立ち上がり、伸びをした。
「よし、夕飯はわたしが作ろう」
そう言うと、先生はずり下がった黒ぶち眼鏡をあげ直しキッチンへ向かう。
「風間くんは、休んでいたまえ」
時代がかった言葉遣いで、嵐のなかを歩いてきたような髪型の先生は冷蔵庫を開けた。
「それじゃあ、ぼくは現像作業してますから」
はいはい、と調子のいい返事に一抹の不安を覚えつつ、ぼくは階段から一番手前の部屋に入った。
出かける前に干していた洗濯物を取り入れようと、そのまま突き当りの掃き出し窓からベランダに出た。夜露に濡れる前に二人分の洗濯物を部屋に放り込む。今夜は風が凪いでいるみたいだ。二階全体に空調が効いているから、暑すぎたりしないから助かる。
部屋に戻ると、ベッドに横になる。ちょっと疲れたかな。船を動かしたの、半月ぶりだったから緊張した。先にシャワーをすませたらよかったかな。なんだか、あくびが出る……。少しだけ、少しだけ休もう。
そのまま、一気に眠りに落ちてしまった。
どれくらい眠っただろう。ぼくは、魚が焼けるいいにおいと腹の虫に負けて、目が覚めた。あ、フィルム現像しようと思ったのに。時計を見ると、間もなく七時半だった。
そのままボケっとベッドに腰かけていたら、扉の向こうから派手な音がした。
「先生!」
引き戸を開けると、煙がどっと流れてきた。見ると、七輪の干物から盛大に煙が上がっているし、コンロの鍋は煮立っているしで……。
「先生、落ち着いて。まず、本を置いて。そしたら、横にずれて、換気扇の紐を引いて」
ぼくは七輪から魚と網をよけて、コンロのスイッチを止めた。
そう、先生は本を読みながら調理をしていたのだ。毎度のこととはいえ、今回は干物が犠牲になってしまった。
「先生、いつも言っていますが、料理中は」
「本を読まない、です」
先生は肩を小さく丸めてうなだれる。
「はい、そうですね。先生がやけどをしたり、お店が火事にならなくてよかったです」
「すまない。干物を駄目にして」
「また買ってきます。それにほら、一枚無事ですよ。これはぼくが焼きますね」
すっかり眠気が吹っ飛んだ。ぼくは残った一枚のアジの干物を、火を起こしなおした七輪であぶった。干物の表面に油がじくじくと見えてくると、いいにおいがしてくる。お腹が、ぐうと鳴る。先生は、かすかに土のにおいがする野菜を茹でておひたしを作っている。
「モロヘイヤですか」
「いや、つるむらさき。おとといのフィールドワークで、話を聞き取りしたおばあさんからいただいてきたんだ」
「先生は、研究に行っているのか、野菜をもらいに行っているのか分からないですね」
そうだな、と先生は笑った。
「でも、これが現地へ赴く醍醐味だと思わんかね」
「ぼく、大学で先生みたいな人がいたら、もっとまじめに勉強したと思いますよ」
自分のあまり真面目でも優秀でもなかった学生時代を振り返って、残念に思う。
魚は焼きあがり、あとは厚焼き玉子を作ってみた。厚さは均一じゃなかったけど、ネギと紅ショウガを刻んで入れたから、味に変化があっていいかな。
ぼくらは真ん中の部屋の座卓で、夕食を囲んだ。
アジの干物は半分こした。つるむらさきのおひたし、厚焼き玉子、トマトと胡瓜のマリネ、玉ねぎとじゃがいものみそ汁。うん、上等だ。
「今日ね、写真、撮らせてくれたんですよ、映画館のゴスロリ親子が」
「それは、一見の価値ありだな」
「それで、薬局があるじゃないですか。生薬の効能書いた紙を貼る」
「あるな。入る機会がなかなかないが」
「あそこの店内に古い写真が飾ってあったのが、外からも見えて。そしたらゴスロリ親子が」
「……きみみたいに、モノクロで撮ったのでは?」
「いえ、他のはカラーでした」
ふたりとも箸が止まる。先生が、うーんと頭をひねってからつぶやいた。
「もしかしたら、映画館の主人は代々あの服なのかも」
「ですかね」
ぼくはご飯のお代わりをよそった。
「それよりも、だ。月から連絡があったぞ。後任が決まらないから、まだ風間にお願いしたいと」
「ソニア安藤さんが?」
「そう。不自由かけて申し訳ないと言ってたよ」
「ぼくは……モバイル忘れただけで、八方塞がりになる月のほうが不自由に感じます」
モバイルには、電子マネーから身分証明までなんでもできるし、トラムやメトロの定期だって入っている。
「入社の面接のとき、モバイル忘れたって、いまだに語り草だよね、風間くんはさ」
「そういうのは、忘れてください。アジ、美味しいですね」
「地球へ来たのは、入社のときにうっかり『地球勤務可』にチェック入れたとか、伝説級」
先生、笑いすぎだよ。全部事実だから、否定はしません。
「ごちそうさまでした」
食べ終わった食器をシンクに運ぶ。あとから先生もついてくる。座卓の上を片付けて、先生と食器を洗う。
「あ、来月から図書館船がうちの島にも来てくれます。今日コバヤシさんから知らされました」
「そりゃ、楽しみだね」
ふふふと先生が笑う。すでに、先生の部屋は本で一杯なのに、このうえ本が欲しいらしいの、不思議でならない。
「お風呂、風間くんが先に使いなよ」
「はい、先生もちゃんと入ってくださいよ」
先生、どうかすると風呂をパスするから、きちんと言わないと。
食器を洗い終わると、先生はそそくさと自室へ消えた。じゃあ、先に風呂だな。
寝る前にベッドで借りてきた本を開いた。
世界遺産の本のページをめくる。
壮麗な寺院、勇壮な自然。ため息が出る。これらのほとんどが、いまは水底に沈んでいるんだ。
月の舟の桟橋あたりにも、ビルの影が見える。実際に水に潜って見られたら、いいだろうな。
と、うっとりしていたら、灯りが消えた。
「あー! 停電!」
先生の叫び声がした。お店は非常用蓄電池に切り替わるから、商品には支障がない。けど、2階にまでは電力を回してくれない。
ぼくは暗闇に目がなれてから、ベッドからそろりと降りて、キッチンのシンクの向こうの窓とベランダ側の窓を開けた。
裏山からの涼しい風が吹き抜ける。人が少なくなってから、熱帯夜は無くなったときいた。
月はもう沈んだらしい。星いっぱいの空が見える。ベランダで夜空に見惚れていたら、ゆっくり明滅する光が目の前を、たゆたっていった。
蛍だ!
蛍の光が、いくつもいくつも飛んでいる。
現地にいかないとわからないこと……。
これだよなあ。
名残惜しいけれど、ぼくは部屋に戻った。それから、先生の部屋の扉を叩いた。
「先生、分かっているでしょうが、冷蔵庫の扉は開けちゃダメですからね」
「はい、はい」
扉の向こうからの返事が、心もとない。
冷蔵庫は停電でも、開け閉めさえしなければ朝まで保冷してくれる。
なんとか先生が忘れませんようにと、祈ってぼくは床に入った。
館長、やわらかかったなあ。また、さわらせてくれるかなあ。
館長を抱っこしたときのやわらかさを思い浮かべているうちに、ぼくは眠りについた。
後日、現像したらゴスロリ親子はピンボケで、膝から崩れ落ちたのは、また別の話。




