風間の休日 前編
風間の休日 前編後編と二部構成です
七月、梅雨の晴れ間の水曜日。
コンビニは水曜日が定休日だ。ラジオの天気予報では、今日は波も穏やかで晴天の一日になるらしい。
「先生、ぼく出かけてきますからね」
バックヤード内にある階段から二階に向けて、同居している折井先生へ声をかける。
先生は民俗学のフィールドワークのために地球に来たらしい。宵っ張りの朝寝坊だ。
ぼくは、青空のしたで思い切り背伸びをした。からだの筋肉がぎゅーっと緊張して、ふっとゆるむ。ついでに頬もゆるむ。
ボディバッグを背負って、一番端の桟橋に止めてある小型のボートに乗り込む。
ボートは太陽光発電で動く。今日くらいの晴れなら余裕だ。
先週と先々週は、雨降りなうえに波が荒くて、外出はあきらめたんだ。少しでも波が高いと、ぼくの小さな船では、転覆の危険もある。
月の人工波がでる池で船の練習をしたけど、本物の海とでは、天と地ほどの違いがあった。実際、いちど外出の帰りに天気が急変して風が強まったとき、船がひっくり返ると思った。死ぬかもしれないって。なんとか無事に帰り着いた時には、手足のふるえがなかなか止まらなかった。
だから、石橋をたたいて渡る、安全第一、命はひとつ、が標語になる。
ぼくの住むあたりは、大小いくつもの島で構成されている。今日は、まず水晶島の映画館をめざす。
映画、今日はやっているかな。
映画が上映されているかどうかは、運次第だ。地球に来て二年経つけど、映画が見られたのは片手で足りるくらい。
島が近づいてきた。島の小高い丘に、青い旗がはためいているのが見えた。
「やった!」
青い旗は、映画が上映されている合図だ。
ぼくは水晶島の港にスピードをゆるめて入ると、漁船の邪魔にならないように端へ泊めた。気がはやって、船をもやう手がすべる。ああ、もう映画が始まっているかもしれない!
なんとか係留して、石畳の坂道を駆けのぼる。バイクに乗った人たちとすれ違う。洒落た洋品店やカフェの前を走って走って、映画館に行き着く。
い、息が、あがる。
四角い建物の外壁はコーラルピンクに塗られ、銀色の金属で「水晶宮」と文字が打ち付けてある。半円形にはりでた庇の下をくぐると、すぐに切符売場だけど、誰もいない。赤い扉の向こうからは、にぎやかな音楽が聞こえてきて、気が気じゃない。
「あのー」
控えめに声を出しながら、ぐるりと体を回すと、真後ろに人が立っていて悲鳴をあげるところだった。
「大人おひとり二千オーロです」
鼻梁の半分くらいまで黒いレースで顔を隠したゴスロリのワンピースを着た少女が切符売場へ入った。
相変わらず感情の入らない声でぼくに告げると、コイントレイをずいっと差し出す。
慌てすぎて財布を取り落としそうになる。
「落ち着いて。まだ予告編が流れているだけ」
は、はいって返事をしてようやく支払いを済ます。
「お好きな席へどうぞ」
赤い防音扉を開くと、独特のにおいがする。重油のような、湿気のこもった……。映画館に来たって気がする。中央に傾斜のついた通路がある。
今日の客の入りは三分の一くらいだ。
ぼくはいちばん後ろの座席を選ぶ。
座ってすぐに、映画が始まった。投影される映像の光に、細かいチリが舞うのが見える。
月にはない、古いタイプの映写機が愛しい。
映画は二時間で終わった。
今回もよかった。犬と人間の絆の物語。月にいたら、たぶん見る機会がなかったろうなあ。サブスクに入っていたかもしれないけどさ。
エントランスに出ると、ロビーのカウンターにゴスロリが二人に増えていた。
うっ、と思わず一歩体が後ずさる。
そっくりな二人は親子だというけど、見た目の年格好がおんなじだ。
「あの、お二人の写真を撮らせていただいても構いませんか?」
ぼくが旧式のカメラをボディバッグから取り出すと、二人は互いに顔を見合ってからうなずいた。
わりとフレンドリーなのが、うれしい。
水晶島を後にして、昼食は隣の潮待島へ移動する。水晶島にはお洒落なお店が多くて、食事も食堂というよりカフェが主流だ。カフェのご飯、嫌いじゃない。でも、せっかくだから生きのいい魚が食べたい。
潮待島は、漁師の島だから、いわゆる漁師飯が多くて、大好きだ。
男性も女性も、威勢がいい。ぼくは、船を泊めると漁港にある産直へ行く。平屋で、生け簀がある。地物の野菜もあるし、干物が売っているのがうれしい。
産直には、食堂があるから、ぼくはたいがいここで食べると決めている。
昼過ぎの時間だけど、まだまだ客足が途絶えない。壁に大漁旗が貼られた店内には、年配者もいれば、学生さんかな? 若者もいる。隣の海燕島には、学校があるからだろう。
三十くらいある座席がカウンターの椅子まで、ほとんどが埋まっている。それでもなんとか、座席を見つけて座った。背もたれのない丸椅子に腰を下ろして、メニュー表を見る。
焼き魚定食、お刺身定食、ちらし寿司に、ふつうの麺類もある。
今日の焼き魚は、太刀魚か。おいしいよね、身が柔らかくて塩焼きとか最高。
でも、今日はお刺身にしておこうかな。鰯の刺身は滅多に口に入らない。鰯は足が早いから、なおのこと。
「すみませーん、お刺身定食お願いします」
お揃いのオレンジ色のエプロンをしている、お母さんにお願いする。
帰りに干物を買っていこう。先生へのお土産だ。それから、パンも。コンビニにあるパンだって、美味しいけど、やっぱり現地で焼いているものにはかなわないから。なにを買おうか考えているうちに、定食が運ばれてきた。
光り物が苦手って人もいるけど、ぼくは平気だ。むしろ食欲を刺激される。
「いただきます」
手を合わせ、一礼してからご飯に箸をつける。
おいしい。
ご飯も、月で食べていたのより、数段おいしい。つやつやで、甘くて、一粒一粒に旨味が感じられる。
これに、わさびをつけた新鮮な鰯。たまんない。
ほんとに、漁師さんありがとう。
ぼくは、あっというまに定食を平らげてしまった。追加で筋子のおにぎりも……って考えたけど、欲張らないことにする。
夕飯も美味しく食べたいからね。
産直から出るまえに、アジの干物を買った。これを七輪であぶることを想像するだけで喉がなる。
持参した手提げ袋に干物を入れた。エコバッグって言うの、買い物へ行くときには持つのが当たり前だ。でも、エコって、なにかよく分からない。
パン屋までの道のりには、古い建物が多くて楽しい。木造の旧漁協組合の支所、今は銀行として使われている。中の机や椅子もすてきなんだけど、さすがに写真は撮れない。
ショーウインドウが大きくて、季節の植物と効用が書かれた紙が貼られる薬局も好き。効用はついつい読み込んでしまう。
道端の赤い立ち葵は、てっぺんまで花が咲けば、梅雨が明けるんだって。まだ二つ三つ蕾があるから、梅雨明けはしばらくお預けかな。
あちこち寄り道していたから、パン屋へつくのに時間がかかった。
ドアを開けると、焼きたての香ばしいパンのかおりに体が包まれた。もうそれだけで、幸せ。とろけそう。
「いらっしゃいませ。ご注文を伺います」
白いエプロンに、同じく白いくたんとした平たい帽子を頭にのせた、少女がぼくに話しかけた。
「えーと、クリームパンとコロッケパンを二つずつお願いします」
少女はうなずくと、ショーケースから注文の品をトングでトレイに乗せた。あとは紙の小袋に手早く入れてカウンターに並べた。
お金を払って、エコバッグへ入れようとしたら、少女に止められた。
「パンに干物のにおいが移ってしまいますから」
小さいけど、底が大きいバッグに入れてくれた。
「あの、わたしが作ったので、あまり上手にできたとは」
「えー! すごいかわいい。とっても素敵だね。ありがとう」
バッグの横に、食パンを小さく何個か刺繍してある。手がこんでる。
「次に来るときには、このバッグ持ってくるね」
何度も来店したくなるかわいさだ。コンビニではできないサービスだな。
港に戻る道すがら、どこからかシャボン玉が飛んできた。夏空にいくつものシャボン玉がふわりとそよ風に運ばれてくる。
あ、もしかしたら。自然とぼくの足が速くなる。軽快な音楽も聞こえてくる。
きっとそうだ!
ぼくはいつの間にか、駆け出していた。




