風間の帰省 中編
月の舟が近づいた。桟橋が船でほとんど埋まっている。大盛況じゃないか。木島さんは、タグボートをなんとかあいているスペースに停めた。
「ありがとうございました。お礼はすみませんがあとで」
「そんなの気にするな。おれたちも楽しかったんだ。またいつでも来てくれ」
木島さんはそう言って、ぼくを下ろすと去っていった。何もいらないと言われても、そうもいかない。後で考えよう。
コンビニへ入ると、「いらっしゃいませ」という声。
「イチロー! 怪我、もういいのか」
相変わらずの宇喜多だ。耳にバチバチのピアスしたままで接客か。少し減らせ。
「うん、ありがとう。なんとかくっついた」
ぼくは左手をあげて見せた。
「よかったなー」
そう言いながら、お客様に注文されたソフトクリームを手早く作っていく。それがまあ、上手なわけで。やっぱり宇喜多は器用だ。なんでもできる。
「ああ、風間くん、お帰り」
バックヤードから出てきた先生が声を上げる。
「よかった。ゆっくり休めたかい。こっちは宇喜多くんが大活躍で助かったよ」
「そうみたいですね」
ちょっと、妬ける。なんだかぼくがいなくても、店はうまく回っているんだ。
「今日は休んでいなよ。こっちは大丈夫だから」
「うん、イチローは休んでな」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
ぼくは妙に丁寧な言い方をすると、二階へあがって荷物を下ろした。
宇喜多、誰とでもすぐに仲良くなれるから、先生ともう打ち解けてるみたいだった。
悔しいというか、嫉妬するというか、ぼくが築き上げてきたものって、あっさり誰かがこなせる程度のことだったんだな。
ぼふっとベッドに横になる。ここには猫ちゃんはいない。こんな複雑な気持ちも、猫ちゃんをだっこしてなでられたらきっと忘れられるのに。
猫のかわりに、バッグをぎゅっと抱きしめる。
……でも、これは考えようかもしれない。いままで店を開けなきゃって、そればっかりでぼくはなかなか休めなかった。本を回収に行った日は休むかどうか悩んだ。先生一人ではどうしても手が足りない。でも、今回みたいに宇喜多が来てくれるなら、ぼくは晴れて「有休」が取れる。
現地採用だ!
ぼくはやにわにベッドから起きあがり、階段を駆け下りた。
「先生、宇喜多を現地採用しましょう」
「お、一応もう仮採用ってことにしていたけど、社員の風間くんが決めてくれたなら正式採用だな」
「そういうことで、宇喜多。パートだけど、時々ここで働いてくれるか」
「いいよー。コンビニ楽しい」
いかにも、人好きのしそうな笑顔で宇喜多は答えた。
「おもしろい子だよね。宇喜多くん、彼女が四人いるんだって」
先生の言葉に、てへっと宇喜多は笑う。
おい、前から一人増えているじゃないか。
4月下旬から、ときどき宇喜多に出勤をお願いできるようになった。
ぼくは、二週に一度くらい有給を取るようになった。その他、宇喜多は先生がフィールドワークで留守だったり執筆で忙しいときにもお願いするようになった。
有休を取って、ぼくが何をしていたかというと、写真を撮り歩いていた。
避難所の階段上からの展望、それから桜は散りぎわだったけどなんとかフィルムにおさめた。
夕暮れ時、海側からの月の舟の入り江は奥のコンビニの灯りがいい感じだ。
そういえば、湖水岬の崖になんだか花が咲くって。湖の写真も撮りたいから、行こうか。
「先生、ぼく明日の休みには、湖水岬へ行こうと思います」
「いいね、あそこは風景が美しい」
レジの合間に先生に話すと、賛同してくれた。
「写真、だいぶ撮ったみたいだね」
「おかげさまで、あちこち」
まだ全然だけど。手持ちのフィルムはあと10本くらい。大切に使おう。
「猫ちゃんと椎名先生にも会えるの、楽しみです」
「椎名さん、猫のついでみたいだね」
先生に笑われた。まあ、そうではある。
「この星は美しいよ。日本群島はドームにはない四季があるから。もっとも、剥き出しの四季に当てられた社員は帰っちゃうんだけど」
先生は苦笑した。先生は詳しく話すことはしないけど、赴任しては短期間で去っていくムーンシップの社員たちを何人も見てきたんだ。
チャイムが鳴って、小町さんが顔を見せた。いつも通りにコピーのコインを買う。今日は先生が対応したから、緊張したみたいであまり顔を上げずに、そそくさとコピー機のほうへ行った。
「わたしは、ここが好きなんだけどね」
「ぼくも、好きです。先生のことも、みんなのこと……」
と、店の奥で派手な音がした。あわてて行ってみると小町さんが倒れていた。
「小町さん、大丈夫?」
先生が抱き起こすと、さらに顔を赤くして気絶した。
尊いって、呟いていたけど、なんのことかな。
猫たちと木島さんたちへのお土産を用意して、ぼくは休日に湖水岬を目指した。
普段の生活圏より、ずっと遠くまで行く。
やがて、湖水岬から崖に挟まれた水路のような海を進む。
「わあ」
思わず声が漏れた。両側の崖には房状の紫の花がたくさん下がって咲いていた。甘い香りまでする。花には蜜がたっぷりあるのだろう。蜂の羽音が聞こえる。花房は水際まで垂れ下がり、風に揺れている。
ぼくは船のエンジンを止めると、何度もシャッターを切った。それから、またエンジンをスタートさせると、木島さんの家を目指した。
木島さんのタグボートはみえなかったから、木島さんは仕事で留守のようだ。
椎名先生が、病院の前のベンチでミケを抱いてうたたねしていた。いつもふんぞり返っている椎名先生が、背中を丸めているのがなんだか面白い構図だったから、思わず写真を撮ってしまった。使い切ったフィルムを交換していたら、椎名先生が目を覚ました。ぼくを見つけたのか、いきなり姿勢がよくなる。
「来るときには、連絡くらいしろ」
「すみません。衛星電話、あまり使えなくて」
衛星電話はあくまで緊急時のものだから、私用に使うには気が引ける。
船を係留してあがると、ハチが軽い足取りで走ってきた。すぐに、ぼくの足に体を擦り付ける。
「おう、覚えていたかハチ。今日は撮影か、月人」
ハチを抱っこしたぼくに椎名先生が話しかける。
「崖の写真を撮りに来たんですけど、湖跡と神社もいいなあって」
「そうだな、湖の奥のほうは水が澄んでいるから、底の方までよく見えるぞ」
え、それは初耳だ。ぜひ写真に収めたい。ぼくはハチを下ろして、また船に乗った。
「ちょっと待て、一人で行くな。危険だ。俺も一緒に行く」
「……椎名先生は、船酔いしやすいって木島さんから聞きましたけど」
椎名先生は、一瞬うっという顔をした。
「ここなら、波もないから大丈夫だ」
大丈夫、大丈夫と呪文のように唱えながら、椎名先生はぼくの船に乗った。そのまま狭いデッキにうずくまる。
「じゃあ、行きますよ。先生、場所を教えてくださいね」
「わかった」
心なしか緊張したような声で先生は答えた。ぼくはなるべく静かに船を操作した。神社のある小島のその先、まるで大きなガラス玉を沈めたような場所があった。
「水が溜まって動かないんですか」
「……そうだ、おそらくほとんど動かない」
あ、駄目だ。椎名先生、また顔色が白くなっている。早めに帰ろう。
ぼくは水の中を覗いた。驚くほどの透明な水、陽が差す湖底にはかつての道や橋の跡が見えた。家の基礎がいくつも並んで残っている。
「こんなにはっきり見えるなんて」
魚がよぎると、湖底が揺らめく。神秘的な光景をおさめたくて、ぼくは何度もシャッターを切った。もっと、もっとと、体を乗り出した。
「おっと、そこまでだ」
椎名先生にシャツの後ろを引っ張られた。
「乗り出しすぎだ、湖に落ちるぞ」
たしかに、そうだ。バランスを崩すところだった。いまさら、ぞっとして冷や汗が額に浮いた。
「ありがとうございます」
だから、ぼくをひとりで行かせなかったのか。ぼくはカメラをしまって、また岸へと舳先を戻した。
岸へ戻ると、お昼になってた。木島さんのタグボートがあった。
「シーナ、いないから探したぞ。風間くんと一緒だったのか」
出かけるなら、メモの一枚も残せと木島さんは椎名先生へ注意していた。
ふたりがそろったところで、ぼくはなんだか嬉しくなった。
「あの、お二人の写真を撮ってもいいですか」
「なんで撮る。なんの記念でもない日なのに」
地球では、写真は何かの節目に撮る。ふだんは撮らないことは知っている。
「なんでもない日記念です」
ぼくの言葉に、木島さんと椎名先生は苦笑した。苦笑したけど、承諾してくれた。
「猫、猫たちを抱っこした方がいいよな」
椎名先生は、三匹の猫を手早く集めてきた。そしてさっきのように病院前のベンチに座った。人ふたりに猫三匹。
「こんな感じでいいのかー」
「ばっちりでーす」
ぼくは、ふたりと三匹を撮った。
その時、なんだか胸がいっぱいになった。この感情はなんだろう。あたたかくて、満ち足りていく、この気持ちはなんだろう。
「ありがとうございました!」
ぼくはふたりに、頭を下げた。大好きなふたりに。
それからぼくは、風景だけじゃなくて、人物の写真も撮るようになった。
映画館と、ゴスロリの母子。
田中パン屋の一家。
コバヤシさんと図書館船、それから館長とコバヤシさん。
コビーを取りにきた小町さん。
机に向かう先生、レジカウンターにいる宇喜多。
魚市場に食堂、コンビニへヨットやボートでやってきた学生たち。
フィルムはたちまち、使いつくしてしまった。
六月は終わりをまもなく迎えるという日に、ぼくは先生に相談した。
朝ごはんの場で、ぼくは正座して先生に話しかけた。
「先生、ぼく、来月あたり月へ帰省しようと思います」
先生は、目を少し見開いたあと、ゆっくりと細めた。
「それは、いいことですね」
先生は冷奴に醤油を回しかけると、ぼくに醤油さしを渡してくれた。
「それで、宇喜多一人に店を長期間任せられないと思うので、コンビニを三か月ほどお休みにしたらどうかなって」
先生は、うーん、と天井を見上げて唸った。
「そうだね、わたしも夏はフィールドワークに出かけて店を空けることが多いし。そうするのがいいかな。月へは連絡したの」
「先生に相談してからと思って、まだです」
「それなら、今日しなさい。思い立ったが吉日だ」
はい、とぼくは返事をした。月へ帰ってそれきりじゃない。ちゃんとまた帰ってくる。帰ってくるはずなのに、さびしい。
その先、ほんとうに地球をあとにするとき、ぼくは平気でいられるだろうか。
冷奴のショウガが鼻にツンときて、ちょっと涙が出た。
コンビニは七月から九月いっぱい、お休みすることになった。
お客様からは、「ほんとに、帰ってくるの?」とさんざん聞かれた。帰ってくるのかという疑念は、帰ってきたときに、ようやく晴れるんだろう。
ぼくは、出発前日までお店に立った。
月へ持っていくものなんて、たいしたものはないから、出掛ける準備なんてあっという間だ。
宇宙船に乗ったら、月までなんてすぐ。
宇宙港には、両親が迎えに来ていた。




