風間の帰省 前編
風間の帰省 前・中・後編の三部構成です。
地球へ来て、丸三年が経って四回目の春だ。
ウグイスの声が聞こえる。梅がほころび、桜のつぼみがふくらむ。
「先生、じき伊能さんが来ますからね、下に来てくださいね」
ぼくはバックヤードの階段から、二階の先生へ声をかけた。先生は冬に収集した話をまとめたいと、ここ数日は、朝食後すぐに自室にこもってしまう。
でも伊能さんがコンビニへの補填商品を月から運んでくる日は、段ボールを開けて商品を並べるにも人手が必要だ。
先生の「はーい」なんて調子のいい返事が聞こえた。
ほんとに来てくださいよ。
ぼくは外に出て、ウォークボードのうえを箒で掃いた。開店前の時間に伊能さんは到着予定だ。
そんなことを考えていると、空から降りてくる物体が見えた。まるで、折り鶴の首が短いような形をしているアルテミス号だ。
沖合いで着水するとき、轟音とともに水柱があがる。
それが合図になったように、先生がコンビニから出てきた。
「今日も伊能嬢は快調みたいだね」
コンビニの制服を辛うじて着用した先生が、ぼくの隣で話した。
「先生、襟のところのボタン、ちゃんと留めてくださいね」
ぼくに注意されて、先生はボタンをはめてなんとか服装を正す。
アルテミス号は入り江から月の舟の桟橋に到着した。
「おはよう、坊やたち。元気してた?」
いつものタイトなジャンプスーツに、赤いベリーショートの髪の伊能さんが小首をかしげてみせる。先生が、坊やってとつぶやくから、笑ってしまう。
ハッチバックを開けた伊能さんから、次々段ボールが手渡される。ぼくらはリレー形式で荷物を店の前まで運んだ。晴れでよかったよ。雨なら大変だ。
「風間くん、毎回同じこと言ってしまうけど、溜まった有休を消化して欲しい、と総務からのお知らせよ」
「はい」
はいと言ったものの、有休の使い道がない。
「たまには、月へ帰省したらいかが? こちらに赴任してから一度もご実家へ戻られていないでしょう?」
「はあ、まあ、そうですね」
なんだか猫背になってしまう。
「それでは、また三ヶ月後に」
伊能さんは、挨拶をすますと、あっという間に沖合いへ出て、空へ飛び立った。
「仕事が早いねえ」
先生がつぶやく。ぼくらはアルテミスを見送ると仕事にかかった。
「ほんとに、そろそろ帰省したらどう?」
先生が尋ねてくる。ぼくは、うーんとうなってしまう。
「えーと。うちの家族はお世辞にも仲がよいとは、言えずなんです」
ぼくは、段ボールの結束バンドを大ぶりなカッターで切ると、中を確かめる。
「ほう」
「なので、特別会いたいとか……なくて、すみません」
せっかく、先生が帰省を勧めてくれているのに。
「それなら、旅行はどうかな? 火星でも。なんなら地球のべつの自治区とか」
「そうですね、考えてみます」
そう返事をしたけど、イマイチ乗り気になれない。
溜まりに溜まった有休は、三ヶ月分くらいになる。やっぱり、実家に帰省すべきだろうか。でもそうなると、コンビニの仕事は……。
たぶん、注意がそれていた。
あ。
つっ。
荷物を押さえる左手に、カッターの刃が親指から手の甲へ食い込んでいた。
「あっ、せんせいっ」
ぼくは先生の背中に声を絞り出して呼びかけた。
そのうちにも、血が滴り落ちる。手は動かせないままだ。
「どうした、かざまく——ん!?」
と先生は、うわあああと叫ぶと、ポケットからハンカチを取り出した。
「カッター、外して、すぐにハンカチで押さえるから! 心臓より高くあげて!」
ぼくはもう、されるがままだ。目をきつくつぶってカッターを外した。外したとたん、痛い、痛いというより、熱い、こわい。出血、血が、血が!
ウォークボードに赤い点々がいくつも、いくつも。
くらりと目の前が暗くなったとき、背中を支えられた。
「風間くん!」
き、木島さんだ。そう言えば今日あさイチでお客さんを連れてくるからって、前回話していた。
「き、きじまさん……ぼく、死ぬのかな」
そしたら、木島さんは声をあげて笑った。
「死なないよ。でも縫ったほうがいいよな、先生」
先生はうなずいた。古い映画で見たことあるけど、皮膚を針で縫い付ける野蛮な治療法だよね?
「木島さん、わたしは別の船を頼むから、その子を病院へ連れていってあげて」
木島さんが連れてきた、おばあさまが親切にもそう申し出た。そうだなと木島さんは顎に指をあて、数秒考えていたが、結論はすぐに出た。
「川西さん、ありがとう。じゃあ、風間くんは船に乗って」
「で、でも荷物を片付けないと……」
片付けとコンビニの両方をするなんて、先生ひとりじゃ無理だ。
「誰か頼めそうなやつ、いない?」
木島さんに言われて、ぼくの少ない交遊関係をまわらない頭で必死に考えた。
「宇喜多、かな」
「宇喜多、たまちゃんか?」
そうですと、ぼくがうなずくと木島さんは船の無線であっという間に、宇喜多と話をつけた。
なに、魔法なの?
「じゃ、先生。風間くんをお預かりします!」
「よろしく頼んだよー」
間延びした先生の声に、少しだけ緊張感がほぐれた。
「病院って、どこですか? 水晶島か潮待島ですか?」
客席からぼくが尋ねると、木島さんはこともなげに言った。
「シーナのとこだよ」
え?
「ちょっと待ってください、椎名さんは獣医じゃないですか!」
「大丈夫。ヒトも縫えるから。ほら、腕を心臓より高くあげて!」
なんか違うー。
ぼくの魂の叫びは、スルーされた。
「話は無線で聞いたぞ、月人」
ぼくは、椎名さんの病院へ連れこまれた。
久しぶりに会った椎名さんは、相変わらず髪も服装も真っ白だった。
ぼくは診察用の椅子に座らされ、動物の診察台に左手を乗せた。
「どれ、傷を見せなさい」
言われてハンカチをはずして恐る恐る見せる。ハンカチは生乾きだ。血でゴワついている。
椎名さんは、ぼくの左手を取ると傷口をしげしげと観察した。
「キレイに切ったな。これなら治りが早い」
言うなり、脱脂綿で傷口を消毒した。
「いたー! いたいじゃないですか!」
ぼくが咄嗟に腕を隠す。
「いいのか!? 麻酔なしで縫うぞ!」
椎名さんは右手に注射器を持っている。麻酔なしは怖いけど、麻酔注射を打たれるも絶対に痛い。何もかも痛いし、怖い。
「ああ、もう! スバル!」
……最終兵器が投入された。
「ほーら、猫ちゃんですよー」
木島さんがハチを連れてきた。
「ううっ、かわいぃ……」
ぼくは半泣きでハチを撫でながら、左手を縫われた。
その日、ぼくは木島さんの家に泊まった。
ケガの様子も見たいから、二・三日泊まったらどうだと椎名さんが提案したのだ。
衛星電話で椎名さんがコンビニの先生と連絡を取り、木島さんが先生から着替えを預かってきてくれた。
「月人。それだけ大きなケガをしたのは初めてだろう。今日は横になっていろ」
抗生剤をのんだ後、椎名さんの見立てでぼくは木島さん宅の客間に寝かされていた。
先生からは、有休の使い時だから一週間くらい休めばいいとの伝言、宇喜多からは椎名先生にはオレも腹を縫ってもらった。留守番は任せろ、だと。
宇喜多、彼女に刺されたの腹だったのか……。
ぼくも宇喜多も治療してくれる人がいてよかったよ。
ぼくは部屋にやってきて、布団に上がったハチとクロの重さを感じながら、眠った。
それからの一週間は、猫たちと寝て起きて、木島さんが作った美味しいごはんをいただき、ひたすらのんびりゴロゴロした。
「さすが、若いと治りがはやい。明日、抜糸するか」
六日目の夕食時に、椎名さんが言った。
「やった! 明日帰れるんですね」
言ったあと、でも猫たちとの天国ライフも終わりかと思うとさびしい。
「あがったり、さがったり、風間くんは分かりやすい顔をする」
木島さんにからかわれてしまった。
「風間くんが帰ったら、またシーナとふたり暮らしだな」
「なんだ? 俺でなんの不満がある?」
「ありませんよ」
木島さんは、たけのこごはんを口にほおばって、笑った。
翌日の朝、椎名さんはぼくの抜糸をした。
「縫ったのは七針だ。いちおう、皮膚はくっついたが無理は禁物だからな」
「はい、ありがとうございます」
ぼくは左手を握ったり開いたりした。なんだか、皮膚がひきつれているみたいだ。
「違和感はいずれなくなる」
椎名さんは、抜糸した糸やハサミを片付けた。
「月人」
「はい?」
「俺は月人になるはずだった」
唐突に椎名さんは話を始めた。
「うちは母子家庭で、母が月人と再婚した」
え、何で、どうして。
「俺が獣医師になるため月へ留学して、母も付いてきたんだ。それで再婚相手と知り合った。結局、俺は地球へ戻った」
そんな過去があったとは。若くて医療関係なら月へ市民IDを移すハードルは低いはずなのに。
「母は今も月にいる」
「え? お母さまはおいくつですか」
「86かな。月人は長生きだから、おれが先にくたばるだろうな」
たしかに、月での平均寿命は100歳を越える。
「会いに行かないんですか」
「行くわけがない」
それから、椎名さんは深いため息をついた。
「ただ、時おり母の腹から生まれたのが俺ひとりなのかと思うと……さびしくなる」
たったひとりなんだ。
椎名さんは窓越しに、空に浮かぶ薄い月を見上げた。
あそこには、椎名さんの母親もぼくの家族もいる。会いに行こうと思えば行けるのに、行かないと言う椎名さんは、毎晩どんな思いで月を見ているのだろう。
「準備できたか」
木島さんが診察室へ顔を出した。
「あ、できてます。抜糸、終わりました」
「じゃあ行くか」
木島さんに月の舟まで送って貰うことになっている。
「それじゃあ、ありがとうございました。椎名さん」
「次からは、椎名先生と呼べ」
あれ? もしかして、今まで不満だったのかな。
「どうでもいいだろうよ、シーナ」
木島さんがそう言うが、椎名さんは腕組みをして顔をしかめている。譲る気はないらしい。
意固地だよな、意固地で少しさびしがりやかな。
ぼくは笑うのをこらえた。
「分かりました、椎名先生」
そう言って、頭を下げた。なかなか懐いてくれなかったミケが、いつの間にかぼくの足にすり寄ってきた。
うっ、かわいい。帰りたくないけど帰らなきゃ。
何から何までお世話になりっぱなしだ。あとでお礼をしないと。
ぼくは後ろ髪を引かれる思いで、タグボートに乗った。
ぼくは、家族に会いたくないわけじゃない。ただ、なにかきっかけを失っているみたいなんだ。
このまま、両親へ会うことがないんだろうか。椎名さんのように。
それとも、きっかけをみつけられるのかな。
空には白とグレーの雲が重なり、時おり青空がのぞいていた。




