夏の手旗信号
地球に来てから、初めての夏を迎えた。
月のドーム、日本国では他国よりも四季を重視していた。なので、六月から九月までは、ドーム内の気温が二十五度前後になり、「セミ」という昆虫の鳴き声が流れた。
そして今、夏は二十五度ではないことを、ぼくは知った。ついでに、「セミ」なる昆虫も実在することを知った。
「どうした、もう夏バテか。暑さはまだ当分続くぞ」
今日は土曜日だ。応援で先生がレジに入ってくれている。
「ねえ、先生。今日もあの子たち来るでしょうか」
「うーん、来るんじゃない。今日は学校が休みだし」
「目的が分からないのが、気持ち悪いんですけど」
あの子たち、というのは高校生たちのことだ。
ぼくが四月に着任してから、しばしばやってくるようになった男子高校生、メンバーはバラバラだけど、五人か六人だ。
別にいいんだよ、誰でも一人一回三点まで買えるルールだし、彼らはきちんと順番を守りソフトクリームや唐揚げを買う。そして自前の船で帰る。
ただ、なんていうか。
ぼくの顔を見ては、ひそひそ話をするのが、気になるというか、感じがよくない。ぼくの接客に不満があるのかな。
「月から来る人は珍しいからね。それで君の顔を拝みにくるんじゃないかな」
「拝みに来るって、ぼくは神様でもなんでもないですよ」
まあ、気にしないでいこうよ、と先生は言うけどさ。
お昼の時間を回る頃、レジは少し余裕が出てきた。
今日も暑いから、かき氷とソフトクリームの注文が多い。かき氷の容器と、ソフトクリームのコーンを確かめていると、桟橋に小型のボートがやってきた。
あ、例の高校生だ。
珍しく、一人だけ。
見ていると、店に入るわけじゃないけど、外から店の中をのぞく。のぞくというか、ぼくの方を見る。
だから、何なんだよ。ほんと感じ悪いよ?
そんなこと、二・三回繰り返されて、さすがにぼくの堪忍袋の緒が切れた。
「先生、ぼく聞いてきます!」
「え? なに? 喧嘩は駄目だからね」
先生の声を背に受けて、ぼくは店の外に出た。とたんに焼けつく日差しと、海のにおいに打ちのめされそうになる。
いや、負けるものか。
ぼくは、頭をひとつ振ると店の前に立っている高校生へ歩み寄った。
「君、ちょっといいかな」
「え、おれ?」
振り返った男子高生に、ぼくはうなずいた。
スポーツ刈りに白い半袖、顔にはニキビがふたつみっつ。身長はぼくのほうがわずかに高い、たぶん。
「ぼくに用があるなら、聞いてよ」
「……」
高校生はぼくの顔を見た、というかぼくの肩越しに入り江の方向を見た。
「あの、あと数分、待ってもらえませんか」
「は?」
「すみません、待って、あ!」
男の子は、ぼくを押しのけて桟橋の端まで走っていった。
ぼくが半身をひねって、男の子を視線で追うと、入り江には一艘の白いヨットがいた。
ヨットを操作していたのは、セーラー服の女子高生だった。あれは海燕学園の制服だ。
女の子はヨットの上に立った。遠目でわからないけれど、長い髪を肩あたりでふたつ結びにしている。髪は胸の下まで届くくらい、長い。
すると女の子は右手に赤、左手に白の旗を持っていた。
胸を押さえて、何回か呼吸をしたように見えた。それから、姿勢を正して旗を振った。
手旗信号!?
女の子は、数回旗を切れのある動きで振る。
右へ、左へ。
「なんて?」
読めるのか?
「なんて言ってるの?」
この子には分かるのか?
旗は、きっぱりと左右に、時に交差して動いた。
男子高生は、祈るように胸の前で手をにぎり、呼吸さえ止めているように見えた。
やがて女の子は旗を二つとも手に持つと、ほっとするように深呼吸をして、お辞儀をした。
「やった! やった!」
男の子は突然、桟橋から海へ飛び込んだ。勢いよくあがった水しぶきが、ぼくにまでかかる。
「あああ! 危ない、あがって!」
ぼくが駆け寄ると、彼は手慣れたものですぐに海からあがった。
ヨットはいつの間にか、消えていた。
「ありがとう、風間大明神様!」
「は?」
びしょ濡れの男子高生に両手をにぎられ、思い切り上下に振られた。
「おかげさまで、告白が成功しました!」
「は?」
それと、ぼくが大明神なのは、何の関係が?
「今までの店員、すぐにいなくなったから、風間大明神様も夏までにいなくなるって、おれたち思っていて」
まあ、ぼくの前任者は半年で月に戻ったけど。
「おれたち、賭けをしていたんです。風間さんがいつ帰るか」
「ひどいな」
さすがに気を悪くするぞ。
「そしたらいつまでも、帰る様子がなくて、逆にレアだって」
レア……ぼくは幻の珍獣か?
「だから、風間さんがいるあいだは、何かしらのレア——奇跡があるかも、って」
「奇跡って、そんなのあるわけない」
「ありました!」
男の子は、顔を真っ赤にして叫んだ。
「おれたち、全員の告白が成功したんです!」
言うなり彼は、ばんざいと叫んでまた海へ飛び込んだ。
ぼくはただ、口をぽかんと開けたまま、彼の泳ぎをしばらくみていた。
「てなことも、ありましたね」
「風間くんがいつまでも、帰らないから、結局恋愛大明神は自然消滅したけど」
二年後の八月、ぼくはまだ地球にいる。
「知らない間に、勝手にパワースポットにされても困ります」
先生がクスクスと笑う。
軽快な音楽とともに自動ドアが開く。
「いらっしゃいませ」
反射的に挨拶をして、ぼくはお客様さまを思わずしげしげと、見た。
「あの時の!」
ぼくの声に青年は、あたふたと手を上げたり下ろしたりした。
海へ飛び込んだ高校生は、立派な社会人になっていた。
「その節は、お世話に」
と、少し頬を赤らめてぼくに頭を下げた。隣には、キョトンとした表情のロングヘアーのかわいらしいお嬢さんがいた。
「……風間くんの霊験は、いまだあらたかみたいだね」
先生が言うなら、たぶんそう。




