本を迎えに行く日 後編
本を詰め込んだコンテナを船に乗せて、午後から使う空のコンテナをまたリヤカーに積んだ。それからようやく、お昼となった。
ぼくと宇喜多は、コバヤシさんから二段の弁当箱を一つずついただいた。ぼくは持ってきたペットボトルのお茶を配った。
「ちょっとー、そういうのは先に言ってもらわないと」
宇喜多が困ったように眉根を寄せた。なんの事?
「ご飯の時に、なにか持ち寄ってって言ってよ。オレだけ手ぶらで悪いじゃない。気まずい」
そういうとこには、気を遣うんだ。彼女が三人いるのは気まずくないのかな。
それから、でかめの声でいただきます、と頭を下げて宇喜多は弁当の蓋を開けた。ぼくも、おなじくコバヤシさんに頭を下げて、おかずとご飯に分かれている弁当を開いた。
うわ、サバの竜田揚げだ。卵焼きと、レンコンのきんぴら。それからイワシの甘露煮、人参とツナのサラダ、かぼちゃの煮物、こんにゃくのピリ辛炒め、小松菜と塩昆布の和え物。ご飯は一箱にたっぷり。
「うまーい、コバヤシさん、すごくうまいよ」
ぼくもうなずく。午前中の作業で腹ペコだったこともあるけど、とにかく箸が止まらない。
おかずが魚中心なのも嬉しい。先生とぼくの調理能力では、まずお目にかかれないおかずばかりだ。
サバの竜田揚げ、こんど作ってみようかな。すごくご飯がすすむ。たぶん先生も好きな味だ。
「いいなあ、オレもはやく結婚したいなあ」
「宇喜多はまず、彼女を一人に決めろ。そこからだ」
「自分で作るのが早いよ」
ぼくが言うと、宇喜多はきゅっとぼくに視線を向けた。
「風間は料理ができるのか」
「できるよ。簡単なものばかりだけど。先生と毎日、交代で作っている」
え、と宇喜多が目を丸くする。
「月にいた時には、作らなかったけどね」
「じゃあ、どんなの食っていたんだよ」
宇喜多が食い下がる。しゃべっていないで、お弁当を食べたいんだけどな。
「TVディナーって一食セットになった冷凍食品があって、それをレンジで二分温めたやつ」
「うまいのか」
うーん、とぼくは首をひねった。こどもの頃からずっと食べていて、舌になじんではいたけど。
「地球に来て、いろんなもの食べるようになったら、あれはあんまり美味しくなかったんだって気づいた」
パサパサした肉に、味の薄い野菜を美味しいと思って食べていたんだから不思議だよ。
「食べ物は、圧倒的に地球のほうがうまいよ。このお弁当が証明している」
「うん……たしかに」
宇喜多はそういうと、また一心に弁当を食べ始めた。本当に、おいしい弁当だ。朝早くから、コバヤシさんの奥さんが作ってくれたなんて、感謝しかないよ。
「それでもさ、月には地球にないものがたくさんあるんだろう。オレはそれを見てみたいよ」
「あまり変わり映えはないと思うけど」
地球の生活に馴染みすぎて、月のいいところがあまり思い出せない。
「そんなに行きたきゃ、ちゃんと金をためて月へ観光旅行すればいいんじゃないか」
コバヤシさんに言われて、宇喜多は沈黙した。ああ、あまり貯金が得意ではない性格なのかな。彼女がたくさんいたら、お金がかかりそうだし。
「がんばる」
宇喜多がぼつんと返事をしたのが、なんだかかわいく思えた。
食事のあと、ぼくらはまた学校へ戻った。
「午後の作業の前に、風間くんは音楽室を見てきてくれないか」
「図書室の隣ですよね」
「そう。楽譜があったら持ってきてほしい。楽譜も人気があるから」
わかりましたとぼくは返事をした。
「オレ、ちょっとほかのところ、見てきてもいい?」
宇喜多が手を挙げた。
「別にいいけど、気をつけろよ。無茶はするな」
コバヤシさんは宇喜多に釘をさしてから、送り出した。
ぼくは二階へ上がると、音楽室の扉を開けた。茶色のかたまりがあると思ったら、枯れ葉に巻かれたグランドピアノだった。音楽室は半分開いた窓から蔦に侵入されていた。
ピアノは図書館側の壁よりにある。小さな椅子がピアノの方に集まっている。
ぼくはピアノとは反対側の小部屋へ入った。案の定、棚に楽譜が並んでいた。楽譜は薄く、ちょうど抱えられるくらいの分量だった。
ミッション完了。
さて、帰ろうかと思った時、グランドピアノが不自然に傾いているのに気付いた。よく見ると、ピアノの足が一本、床にめり込んでいる。歩くたびに床がきしむ音がする。もしかして、床全体がピアノ側に向かって落ち込んでいるんじゃ……。
ぼくはなおさら足音をひそめて、音楽室から廊下へ出ると、扉をそっと閉めた。
それから、図書室へ戻ってピアノがあった側の壁と床を確認した。
作り付けの本棚が床から剥がれて浮いている箇所がある。
背中に冷たい汗が伝う。
「コバヤシさん、これ見て」
ぼくがコバヤシさんを呼ぶと、本を選ぶ手を止めて見にきてくれた。
「反対側にグランドピアノがあって」
「……こっち側には、入らないようにするか」
ぼくとコバヤシさんは、うなずきあった。それから、木がきしむ音がするたびに、緊張した。
宇喜多は、段ボール箱を持ち出してきた。
「コバヤシさーん、新品の本が職員室にあった!」
宇喜多が外から二階に声をかけた。下を見ると、宇喜多の腕にちょうど収まるくらいの大きさの箱だった。
「でかした! リヤカーに乗せて。あとで見る」
ずぼらな職員に感謝だな、とコバヤシさんは、ちょっとわるい顔で笑った。
「さて、あと一時間くらいか。暗くなる前に風間くんを送り届けないとな」
そんな、どこぞの娘さんみたいな扱いをしなくていいんだけど。面映ゆいわ。
ぼくはコバヤシさんが、本棚から抜き出していた本をまた、釣瓶のバッグに入れておろす作業を開始した。
床が傾いているのは、さすがに怖い。作業が早く終わるにこしたことはない。
すると、コバヤシさんが手を止めて、図書室をぐるっと見渡した。コバヤシさんの作業は本棚を半分弱見たくらいだ。立ち上がると、窓から宇喜多に声をかけた。
「コンテナ、あと何個ある?」
「えーと、35個でーす!」
元気よく宇喜多がこたえた。とたんにコバヤシさんの眉間にしわがよる。
「ということはだ、だいたい900冊くらいか」
コバヤシさんは、暗算して天井をみあげた。
「ずいぶんありますね」
「ちがう、900冊しか入らないんだ。ヘマした! 9類からじゃなく、0類からみるべきだった! まだ7類なのにコンテナが」
コバヤシさんは突如専門用語らしきものを叫ぶと、頭を抱えた。
「0類ってなんですか? 何か問題でもありますか」
「本の分類だ。0類はその床が浮かんでるあたり。おもに図鑑だ」
図鑑……子どもに人気がありますね。持ち帰らないわけにはいかない。
「ぼく、図鑑類こっちまで持ってきます。コバヤシさんが選んでください」
「いや、万が一床が」
「コバヤシさんより、ぼくのほうが軽いですよ」
床を踏み抜く危険度は、ぼくのほうが少ない。コバヤシさんは、それだともしも、とかつぶやいたり何度も顔を上げ下げしていたけど、結局ぼくの提案を飲んでくれた。
「それじゃ、とにかく図鑑以外のものをコバヤシさんは選んで。それをどんどん下ろしましょう」
残り時間が一時間くらいしかないのなら、とにかく作業を進めないと。ぼくらは日没と競争しているんだから。
そこからのコバヤシさんのスピードはすごかった。きっと、断腸の思いであきらめた本もあると思う。ときどき、うめき声や、ごめんなという小さな声が聞こえていたから。
それでも、図鑑のところまで来るには、やっぱり一時間はあっという間に消化されてしまった。
「じゃあ、ぼくが図鑑渡しますから」
床が沈んでいる部分に、そっと足をのせる。背中に冷や汗が伝う。ぼくは本棚から図鑑を取り出して予備の釣瓶のバッグへ入れた。いっぱいになると、コバヤシさんが持ち手に付けたロープを引っ張って手元に寄せる。
本棚が少しでも軽くなれば、床への負担も減るはずだ。それでも、体重がかかると床板がたわむのが感じられて、ぼくの動悸が激しくなる。冷や汗をかきながら、バッグはぼくとコバヤシさんの間を行き来する。
その間にも、三時過ぎの外は夕方の様相が漂う。冬至前の時期だ。日没は四時半くらい?
もう一列で図鑑が終わる。
「よし、だいたいのタイトルも確認したし、いいよ。終わりにしよう」
コバヤシさんは、釣瓶で本を下ろす作業を始めた。ぼくは、ほっとして体の緊張を解いた。本棚を見ると、あやとりと折り紙、乗り物の図鑑が残っている。どれも子どもが好きなものだ。きっと喜ばれる。ぼくは厚みのある三冊を抜き取ると、立ち上がった。
そして、一歩を踏み出した、とき。
ばきん、と派手な音がして、視界がガクンっと下がった。
「風間くん! 」
右足が床を踏み抜いていた。ひざ上まで、足がはまり込んでいる。痛いというより、口から心臓が飛び出そう。
「コバヤシさんっ」
「本をはなせ、手をこっちに」
どうしたー、と下から声がする。来るな、ぜったい来るな、とコバヤシさん。
ぼくは持っていた本を手放し、コバヤシさんの腕につかまった。ぼくの足が床から抜けると、さっきまでぼくがいたあたりの床まで、どんっと落ちた。
「だめだ、外へ逃げるぞ」
コバヤシさんは釣瓶を窓枠から外した。
「宇喜多、よけろ、釣瓶を落とすぞ」
えっ、という声が聞こえた。コバヤシさんは、釣瓶を外して落とすと、ぼくの腕をとった。
「歩けるか」
「はい」
もう、なにがなんだかわからない。心臓の音が耳まで響いて、ほかの音が聞こえづらい。足は動いた、たぶん軽い打撲だ。
ずん、と重い音がして図鑑が本棚から飛び出て落ちていく。きっとグランドピアノが壁にぶつかったんだ。図書室の床は、どんどん斜めになっていった。
「窓を閉めないと、本が」
コバヤシさんが窓際へ駆け寄ろうとする。
「無理です、もう窓枠がゆがんでる」
ぼくはコバヤシさんの手をつかんで止めた。
グランドピアノと本だ。どれだけ重いか、コバヤシさんだってわかっている。コバヤシさんは、唇をかみしめて叫んだ。
「ごめん、ごめんな」
ぼくらは階段を駆け下りて、正面玄関から外へ出た。
すべてが崩壊するかと思われたけど、校舎の二階の一部が屋根ごとへこんだくらいでおさまった。
ぽかんとしている宇喜多がぼくらと校舎を交互に見ていた。
「風間、ズボン破けて……大丈夫か!」
宇喜多がぼくの肩をつかんでゆすった。
「だ、大丈夫、大丈夫」
ゆすられると、なんだか体のあちこちが痛いから、やめて。
「事情はあとで説明する。まず片付けよう」
ぼくらはコンテナに本を詰め、釣瓶の部材をリヤカーに積んだ。空はゆっくりと茜色に染まっていった。
「すまない、危険な目にあわせて」
船は匙取島から離れた。ぼくらはまた操舵室にいた。さしもの宇喜多も重労働でヨレヨレになっている。
「大丈夫ですよ、たいしたケガもなかったし」
と、ぼく。
「オレも、釣瓶が頭にぶつからなかったし」
と、宇喜多。
「ほんと、すまん!!」
コバヤシさんは、操舵室にあるクーラーボックスを開けるよう、ぼくらに言った。クーラーボックスには、ぼくらが食べ終わった弁当箱のほかに、ちいさな紙袋があった。
「それ、食べてくれ。もう腹が減っただろう」
「え、なに?」
ぼくが開けてみると、中にはころんと丸いおにぎりがいくつも入っていた。
「おにぎりー!」
宇喜多もぼくも、すぐに手に取ってラップをむくと口いっぱいにほおばった。
「梅干しだ、しみるー。サイコー」
宇喜多の声に、ぼくもうなずく。ちょうどいい塩加減に、梅干しの酸っぱさ。海苔のうま味ってすごいな。
「こんなにおいしい、おにぎりは、月にはないよ」
そうか、と宇喜多はうなずいた。そうだよ、きみが知らないだけで。
「それに、一番星もない」
日は暮れて、五時でもすでに夜みたいに星が輝き始めていた。
「あ」
ぼくは、頭に手をやった。
「ん、どうした」
宇喜多が三個目のおにぎりをほおばって、ぼくを見る。
「帽子、忘れた」
あっ、と今度はコバヤシさんが声を上げた。
「今から、もどるか?」
「いいです、それにあの図書室にはもう入れないでしょ」
図書室は床が半分崩落した。きっと、そこから校舎は雨風と雪にさらされ、いずれ全体が崩れていくだろう。
満腹感からぼくは眠たくなってきた。船の揺れは、まるでゆりかごだ。とろとろと眠りに誘われる。
——母さん、ぼくのあの帽子は、本たちと一緒にいさせます。
ひまわりみたいに黄色い帽子が本に埋もれていくのを、夢のなかでぼくは見たような気がした。
月の舟についた時、もうコンビニは閉店していた。帰りが遅くて心配したのか、先生が外看板の明かりは消さずにいてくれた。
その明かりを見て、ぼくはなんだかほっとした。
「それじゃあ、ぼくはこれで。お弁当ごちそうさまでした。楽しかったです」
「ほんと、助かったよ。危ない目にあわせてしまって、すまない」
コバヤシさんは甲板でぼくに頭を下げた。そんなことない。ほんとに楽しかったんだから。
「あのさ風間、なまえ教えて」
宇喜多がぼくに尋ねてきた。そういえば教えていなかった。
「伊千郎、だよ」
「へー、イチローなんだ。ジローとサブローは?」
ぼくは、宇喜多のあっけらかんとした問いかけに、ちょっと笑ってしまった。
「いない、ぼくだけだ」
「わかった、じゃあ次は、風間のことイチローって呼ぶ。オレのことは、タマちゃんて呼んでいいからな」
「はいはい」
ぼくがこたえる前に、船は桟橋から離れて行った。
「ほんとだぞ、約束だぞ」
星空の下、宇喜多の声が響いた。
たくさんの本を迎えて重たくなった船が、見えなくなるまでぼくは見送った。
「おかえり」の声がして振り向くと先生がいた。
「ただいまです」
大冒険の一日が終わった。




