本を迎えに行く日 中編
「日本群島自治区では、出版社が少ない。ましてや新しい児童書の発刊点数が多いとは言えない」
コバヤシさんは、先頭を切って校舎へ足を踏み入れた。肩に木材と鉄材を組み合わせた、部材を担いでいる。
校舎は、壁が劣化してはがれ落ちているし、廊下のタイルも割れている。窓からは、枯れた蔦の葉と黄色くしぼんだ実のようなものが、校内に侵入していて不気味だ。
「だから、廃校になった小学校の図書館から利用可能な本を回収している。本館をはじめとして図書館船でも使いたいんだ」
正面玄関から入って左右に延びる廊下、一階は職員室と保健室、それから一年生の教室、かな。扉のところに吊された小さな表示板の片側が外れて揺れている。教室をのぞくと、黒板に足し算の問題が何問か書かれてある。散乱したランドセルやプリントがそのままだ。
「足元、気をつけて。丈夫そうだけど、三十年手入れなしだから、脆くなっているかもしれない」
「ねえ、図書館ってまだ。オレの肩、いかれてしまうよ」
コバヤシさんの半分くらいの部材を担いだ宇喜多が弱音を吐く。
「図書館は、たいがい二階だ。階段、あがるぞ」
階段の踊り場に、三年生の子供たちが描いた絵が貼ったままだ。運動会のことかな。体操着で、かけっこしたり、綱引きしたりしている絵がいくつも目に付く。
「ほら、図書室、あった。なんと、となりは音楽室とはラッキーだ」
なにがラッキーか分からないけど。ぼくは帆布で作られた大きめのバッグを持っている。重い。布のわりに重い。
たどりついた図書室は、廊下から見ると、真っ暗な穴のように見えた。扉は開けっ放しだ。
「なんて、幸運だ。暗幕が引かれていたとは」
コバヤシさんが興奮気味に叫んだ。
「カーテンを開けるまで、廊下で待機していてくれ」
コバヤシさんは、部材をおろすと一人室内へ入っていった。
図書室は、壁の三方に本棚があるのが暗がりの中でも見えた。カーテンの隙間からさす光のなかで、きらきらと埃が舞っている。
窓際に到達したコバヤシさんがカーテンを開けると、一瞬、目がくらんだ。
コバヤシさんのため息が聞こえた。
「日焼けしていない、状態がいい」
「それより、これ、コバヤシさん」
釣瓶の部材を宇喜多が床に下ろした。ずん、と床が揺れた。大丈夫なのか、いや、大丈夫じゃないか。
「地震の時、なにか上映していたんだろうな」
コバヤシさんが図書室の机が並んだ後ろに、倒れた映写機を見つけた。
「みんな無事に避難できたんですか」
「匙取島では、人的被害は記録にはゼロとなっていたから、ここにいた児童も先生も避難できたんだよ」
それならよかった。ぼくは胸をなで下ろした。
「さて、釣瓶を組み立てて、どんどん本を下ろそう」
釣瓶は昔の井戸に使われていた方法だ。ロープの両端に、ぼくが持ってきたキャンバス生地の大きな袋をつける。ロープを滑車につけて、袋を上げ下ろしする。とてもシンプルな作りだ。
滑車の付いた木製の支柱は、窓にがっちり固定されているから、外れない。
「じゃあ、宇喜多は下にマットを敷いて。本を受け取ったら、リヤカーのコンテナに入れてくれ」
リヤカーは、窓の下まで寄せてある。
「オーケー」
宇喜多は、両腕を伸ばして首を一回りさせると、階下へ行った。
「風間くんは、俺が選んだ本を袋に入れてくれ。埃がすごいから、軍手とマスクをして」
言われてリュックから取り出した軍手とマスクを身につける。
その間にも、コバヤシさんは選んだ本を、床に積み上げていた。
ぼくは袋に本を入れて、ゆっくりおろすと上がってきた袋にも本を入れる。そうすると、釣瓶はバランスの均衡が取れて、あまり力を入れることなく、袋の上げ下げができる。あとは交互に袋の中身をコンテナに移すだけだ。
「ここは宝の山だ。うちの図書館にない本が多い」
ぼくにはどんな基準で選んでいるのか、わからない。時々ひどく傷んだ本が混じる。
「これ、ぼろぼろですけど、いいんですか?」
ぼくが声をかけると、コバヤシさんは振り返った。
「ぼろぼろだってことは、それだけ人気があったことなんだ。図書館で修理できそうなのは、持っていくよ」
そうなんだ。本の見方がぼくとはぜんぜん違う。
それからは黙々と作業を続けた。
体を動かすと、毛糸の帽子が暑苦しくなって、ぼくは帽子を脱いで低い本棚の上へ置いた。
「風間くんの、その帽子。派手な色だね。黄色は目立つ」
あ、う、とかぼくは変な声をあげてしまった。
「防寒具を探したらスーツケースの中から出てきて。たぶん母が入れたのだと思います」
ひまわりみたいな、黄色の編み帽子はスーツケースのサイドポケットに入っていた。
「母が、黄色はぼくの持ち物の色って決めて」
「へえ、きょうだい、たくさんいるから?」
「いえ、ぼくだけです」
そう言ってから、胸が少し痛くなる。
——イチローは黄色、ジローは緑色。
そういって、ほほ笑む母さんと手をつないで歩いた、八歳の夏を思い出す。
ぼくとコバヤシさんは、無言で作業を進める。
ジローは生まれなかった。
一時期、家の中は緑色の物であふれた。父さんは、何も言わずに母さんの好きにさせた。
両親、とくに教師をしていた母さんは、成績がぱっとしないぼくに、落胆していたと思う。
母さんは学校から送られてくるぼくの成績表に目を通すと、いつもすぐに削除した。
口にこそしなかったけど、母さんはジローに期待していたんじゃないかな。
ジローだったら、きっとって。
「あのさ、風間くん」
と、不意にコバヤシさんがぼくに声をかけた。
「ぼろぼろの本は、たしかにたくさんの子に人気があった証拠だよ」
「そうですね」
「でも、ほんの一人に、愛された本もあるんだ」
これを見て、とコバヤシさんは一冊の本を手にしていた。コバヤシさんは本の裏表紙を開いて、利用者名が書かれた小さな紙を指さした。
あっと、ぼくは思わず声をあげた。
そこには、同じ名前が何段も書かれてあった。
「きっと、大好きだったんだろうね」
コバヤシさんは、優しくほほえんだ。
「いらない本なんて、ないんだ。ほんとうは、ここの本だって全部持ち帰りたい」
無理だけどね、とコバヤシさんは切なげに、本を撫でるとぼくに渡した。
「コバヤシさーん!」
宇喜多の呼び声が聞こえた。
「なんだー?」
コバヤシさんは窓から乗り出して下を見た。
「もうコンテナ、いっぱいなんだけど!」
「わかった。いちど船まで戻ろう」
ぼくとコバヤシさんは、階下へおりて宇喜多と合流した。コンテナに、几帳面に本が詰められてリヤカーに積まれていた。チャラいように見えて、宇喜多はきちんと仕事をする人なんだな。ぼくは宇喜多を少し見直した。
「じゃあ、船にコンテナを乗せたら、昼飯にしよう」
やった! と宇喜多は万歳をした。つられたのか、ぼくの腹も音を立てた。




