第90話:フェルゼン体験版、先行リリース
外交フェーズに入ったとは言ったものの、俺自身はこの世界どころか、前の世界での外交のこともろくに知らない。
(まずは異世界ウイキペディアでこの世界の外交を確認しておこう)
「グスタフ。この国での外交……つまり、隣の領主連中と話を付けるってのは、具体的にどういう手順を踏むんだい?やっぱり書状を送って、会議室でサインし合うの?」
俺の問いに、グスタフは少し困ったような、何か「気の重い仕事」を思い出したような顔をした。
「……いえ、ゼクトさん。この国の、というより貴族同士の外交とは、もっと……その、遠回しで、社交を重んじるものです。基本的には招き、招かれること。それが全ての始まりになります」
「招き、招かれる?」
「はい。自領で茶会や晩餐会を主催し、周辺の領主やその家族を招待する。あるいは、相手の催しに顔を出す。そうして何気ない会話の中で、相手の懐具合を探り、こちらの力を見せつけ、裏で根回しを済ませていくのです」
(……は?何だそのアナログすぎる仕様は。会議よりも懇親会の二次会?昭和の接待ゴルフかよ)
「ナォ(……あんた、また顔が歪んでるわよ。綺麗な格好して美味しいもの食べるだけでしょ。たまには外に出なさいよ)」
膝の上で丸まっていたたまが、俺の絶望を察したかのように鳴いた。
「……つまり、いきなり本題を送りつけるのはマナー違反ってことか?」
「特に今のフェルゼンは、周辺からすれば『急激に発展し始めた不気味な辺境』に見えています。いきなり条件を突きつければ、彼らは恐怖から防壁を固めてしまうでしょう。まずは彼らをフェルゼンに招き、この街の『豊かさ』を、社交の場を通じてゆっくりと流し込む必要があるのです」
グスタフの説明を聞きながら、俺は脳内で次のロードマップを描き直す。
(なるほどね。まずは体験版を見せて、豪華なノベルティで釣って、フェルゼンというシステムのファン……いや、依存者に変えていく『ソーシャルエンジニアリング』が必要なわけだ)
「……わかった。要するに、豪華なパーティーを開いて、あいつらに『フェルゼンと仲良くしておくと、こんなにいい思いができるぞ』と勘違いさせてやればいいんだね」
「勘違い……。ええ、言い方はともかく、その通りです」
(うん、俺の出番はないね。外交なんていう最も非合理で人間臭い処理は、この世界の美形領主という名のフロントエンドに任せるのが一番効率的だろ)
「グスタフ。大変だなぁ君も」
俺の一言ですべてを悟ったかのように、グスタフが苦笑いしながら肩をすくめた。
「ちなみにさ、いままでのフェルゼンではどんな感じだったの?その、社交外交とやらは」
「フェルゼンは辺境領ですからね。正直に申し上げれば、今までは他領に見せられるような目新しいものはありませんでした。他領のパーティーの形式をなぞって、失礼がないように、恥をかかない程度にやり過ごすのが精一杯でしたよ」
「……なるほど。相手のプロトコルに合わせるだけで手一杯だったわけだ。じゃあ、今度からは大きく変わるな」
俺がリクライニングを少し倒すと、グスタフは自信に満ちた、だがどこか楽しげな笑みを浮かべた。
「ええ。既に新都市の変貌ぶりは噂になって広まっており、周辺領の貴族たちからの期待は相当なものになっていると聞き及んでいます。彼らは今、フェルゼンの『力』をその目で確かめたくて堪らないはずです。」
「次回が勝負だな、グスタフ。フェルゼンというシステムの圧倒的なスペック、あいつらの脳に直接インストールしてやろうぜ」
「ナォン(また、二人とも楽しそうな顔して……)」
たまの賛同も得られたし、あとはもう一つ二つ、サプライズを用意してやれば完璧だ。
新都市のデモンストレーション外交を成功させるための、強烈な「知の娯楽」を用意してやろう。
異世界転生モノの定番なら将棋やリバーシあたりが相場だろうが、この世界の貴族たちのプライドをハックするには、もう少し「格」という名の装飾を使う必要がある。
俺は手元のスマホを操作してルミナショッピング(日本版)の検索窓を叩いた。
「ナォ(……あんた、またそうやって板っ切れをポチポチして。次は何のゴミを買うつもりなのよ)」
たまの鳴き声は無視して、俺は迷わず『最高級黒檀チェスセット』をカートに放り込んだ。
数秒後に玄関に届いたそれをリビングに持ち込む。グスタフが、興味深そうに身を乗り出した。
「……ゼクトさん。また新しい魔導具……ですか? 彫刻が施された石が並んでいますが」
「『チェス』っていう戦略ゲームだ。複雑なルール、洗練された駒の動き、そして何より『運の要素がゼロ』という冷徹なロジック。……まぁ、俺は駒の動かし方すら知らないんだけどね」
俺たちはしばらく、ルールブックを片手に対局してみた。素人同士で勝ったり負けたりだったが、グスタフは領主としての戦術眼があるのか、飲み込みが異常に早い。すぐに俺は敵わなくなった。
「どうだい?グスタフ。貴族たちのお眼鏡にはかなうかな?」
「ゼクトさん!このゲームは面白いですよ!それに駒の形が美しい。絶対に流行しますよ!」
俺はリビングの隅で、俺達の邪魔をしないよう、静かに計算書類の整理をしていたアルゴを招き寄せた。
「アルゴさん。見ていただろう」
アルゴは眼鏡を直し、盤上に並ぶ白と黒の駒をじっと見つめた。
それから数局。アルゴは戸惑うこともなく、一局目からグスタフを圧倒し、全ての対局を制した。
盤上には、アルゴが置いたクイーンが、グスタフのキングの逃げ道を完全に塞いでいた。
「……参った。チェックメイトだ」
グスタフが両手を上げると、アルゴは「失礼いたしました」と恐縮したように頭を下げた。だが、その瞳の奥には、数式を解き明かした時のような、静かだが鋭い光が宿っている。
「アルゴさん。あんたはもうこのゲーム、完全に理解したんだろう?」
俺の問いに、アルゴは盤上の駒を一つ一つ、愛おしむように見つめながら答えた。
「……はい。この盤面は、六十四のマス目の中に凝縮された、純粋な演算の世界ですね。運に左右されず、ただ最善手を積み重ねた者だけが勝利する。……ゼクト様、これはゲームという名の『残酷なまでの知性の証明』です。私のような、数字の中にしか居場所のない者にとっては……あまりに心地よい世界です」
(演算の世界……この数学の天才には世界チャンピオンでも勝てないんじゃないのか?)
「グスタフ。これで戦略が整ったよ。この天才が最後のピースだ」




